2010年8月21日土曜日朝、私の二次選考日です。連日の猛暑のため、地上を歩く距離を最短にしようと会場最寄の地下鉄駅で下車。「車では何回も走ったことのある地域なので迷うことはない」と思っていましたが、緊張のためか、地上に出た途端に方向感覚がおかしくなりました。少し周囲をうろうろして、ようやく知っている建物を発見し、幸いにも2~3分ロスしただけで会場に到着。早めに家を出ていたので問題なかったのですが、前日までに場所を下見しておけば良かったと感じました。
控え室は3階の大きな階段教室で、受験番号の若い順に、集団討論を行う5人ずつがグループ分けされ、横一列に座って待つ形。各人にはやはり受験番号順にA~Eの記号が付けられ、受験者は集団面接(討論)中は記号で呼び合います。私はEでした。教室に入ると、仲良くなった予備校仲間達を見つけて、エール交換。これでかなり気分が落ち着き、「友達っていいもんだなぁ」と実感しました。
見たところ、番号前半のグループは若い人が多く、私も含む番号後半のグループは年齢層が高めです。そもそも受験番号自体が、まず一般選考、次に特例選考の各種類、という順番になっているので当然なのですが(集団討論時に、私が入ったグループは5人とも講師ないし社会人であることがわかりました)。左隣のDさんと挨拶して情報交換しているうちに、試験の段取り説明の時間に。すると「会場では私語厳禁」との事で、以後はDさんとも話ができなくなってしまいました。
説明の概要はだいたい以下の通りです。
・今日のスケジュールの案内:説明終了後、グループ別に集団面接40分。その後、Aさんから順番に個人面接30分。終了後は自由解散。・・・・つまり、Eの私は2時間待ち!ということ。
・出欠確認:スタッフ1人が3グループを担当し、受験票の写真で本人確認。欠席者がいたグループは間を詰めて4人グループに(Dの人が欠席の場合、間を詰めてEの人がDに)。
・面接票回収(前のグループに、回収直前まで書いている人がいて驚きました)。
やがて時間になり、スタッフの誘導で面接会場に移動。いよいよ集団面接の開始です。会場は各教室で、面接官は3人。年齢的には皆さん50歳前後のようです。各人の受験票確認後、着席し、A4サイズの紙が1枚配られました。問題文か?、と思いきや、これがただの白紙。昨年までの情報では問題文が記された紙が配られると聞いていたのですが、今回は「問題を口頭で伝えるのでメモしてください」というやり方でした。社会人特例選考の論文問題が2パートで書くように変わったことに続いての変更で、今後も毎年、少しづつ出題方法の改変があるのかもしれません。
私の入ったグループに出題された問題は下記のとおりです。
「皆さんはある学校の同じ学年の学級担任とします。あなたの学級(学校)に、得意なことや好きなことには集中できるが、苦手なことには取り組もうとしない子供が、複数進級してきました。あなたは担任として、この問題を解決するために、どのように取り組んでいきますか。考えをまとめて発表してください。考えのまとまった人から、挙手をして発表してください。
<受験者ひとりずつの発表>
さて、皆さんが同じ学年の学級担任として、同じ問題を抱えていることがわかりました。学年で協力して解決するために、皆さんはどのように取り組んでいきますか。意見をまとめてください。話合いの時間は20分間です。時間内にまとめてください。全体の進行は皆さんにお任せします。話合い終了後、全員に、話合いに基づく質問をします。では、始めてください。」
・・・・なぜ、こんなにも正確に問題文を書けるかというと、下記サイトに公開されているからです(笑)。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/23senko/mondai_niji/mensetu_kadai.pdf
問題自体はこれまで勉強&対策してきた範囲内のものだったので、自分の意見はすぐまとまり、予定どおり2番目に発表しました。話合いの方は「抑え気味に」と思っていたのですが、他の皆さんがかなり「引き気味」だったため、結果的に私が「進行&まとめ役」に。それでも、独りよがりにならないように気を付け、時間内でメンバー総意の意見はまとめられたので、「まあ限度内には収まったかな?」という感じです。話合い終了後の質問は、「自分の意見は言えましたか」「討論にどんな感想を持ちましたか」「こう発言した理由はなぜですか」などで、私には「この討論で一番気を付けた点は何ですか」でした。
終了後、机にA4用紙を置き、個人面接順が一番目のAさんだけを残して4人が控え室に移動。この時点で時刻は10時すこし前。ここから、個人面接のための、なが~い待ち時間の始まりです。私語厳禁のため、やれたことは、自己PRや単元指導計画の説明等の反復、持参した資料類の最終チェック、トイレなど。この時感じたのは「朝食をしっかり食べてきて良かった」ということです。
ようやく12時となり、スタッフの誘導で先程の集団討論と同じ教室に向かいました。教室前の廊下に置かれた椅子に座り、しばし待機していると、Dさんの面接が終了し、小声で「お疲れさまでした」と挨拶。Dさんは帰っていきます。そして数分後、面接官の一人の方が中から戸を開け、一緒に入り、私の個人面接が始まりました。
私への質問は30項目以上。全部書くと長くなるので、主な内容のみ記載します。
・東京都を志望した理由。どのような教師を目指したいか。自己PRを1分ほどで。
・単元指導計画の内容について、この単元を選んだ理由、狙い、工夫などの観点で2分程度説明を。
・入社以来の経歴を簡潔に説明を。その仕事で教職に活かせる要素は。
・特技の中で教員として貢献できそうなものは。
・PTA会長として、何に一番注力したか。どうやって仕事と両立させたか。教員に何を一番求めたいか。
・教員として生徒に夢を与えたいと言っていたが、具体的に、生徒に夢を持たせるために何をするか。
・そうしたことがうまくいかない時、悩んだときはどうするか。
・校内の人間関係が良くなく、他の職員に相談ができない、協力が求められない学校だったらどうするか。
・良くない状況の時に必要なものは何だと思うか。
・最後に、つけ加えたいことがあったらどうぞ。
個人面接は30分と聞いていましたが、最後のEさんだったからか、私の場合は35分位。自分の思いを真摯に、熱意を持って語った、濃密な時間でした。教室を出て階段を下りると、嬉しいことが。先に面接が終わった予備校仲間が2人、玄関で私を待っていてくれたのです。
会場を出ると、真夏の昼の強烈な日差しが照りつけましたが、暑さより、全力を出し切った後の達成感の方が大きく感じられました。自分の面接の様子をおしゃべりしながら駅に向かって歩く3人は、まるで定期テスト後に一緒に下校する男子高校生グループのようなノリ。
「で、手ごたえはどうでした?」
そう聞かれた私は、ためらうことなく、こう答えていました
「自分の全力は出したよ。あれでダメだったとしたら、来年どこを直せばいいかわからない。」
駅前の食堂で遅めの昼食をとり、結果を報告しあうことを約束して別れた3人。大好きなドラマ「俺たちの旅」の、各回最後のシーンみたいな光景だなぁ、などと思いながら、二次試験が終わったのでした。
合格発表は、約2か月後の10月22日(金)午前10時。本当に長い、なが~い、待ち時間でした。・・・・以下次回です。
控え室は3階の大きな階段教室で、受験番号の若い順に、集団討論を行う5人ずつがグループ分けされ、横一列に座って待つ形。各人にはやはり受験番号順にA~Eの記号が付けられ、受験者は集団面接(討論)中は記号で呼び合います。私はEでした。教室に入ると、仲良くなった予備校仲間達を見つけて、エール交換。これでかなり気分が落ち着き、「友達っていいもんだなぁ」と実感しました。
見たところ、番号前半のグループは若い人が多く、私も含む番号後半のグループは年齢層が高めです。そもそも受験番号自体が、まず一般選考、次に特例選考の各種類、という順番になっているので当然なのですが(集団討論時に、私が入ったグループは5人とも講師ないし社会人であることがわかりました)。左隣のDさんと挨拶して情報交換しているうちに、試験の段取り説明の時間に。すると「会場では私語厳禁」との事で、以後はDさんとも話ができなくなってしまいました。
説明の概要はだいたい以下の通りです。
・今日のスケジュールの案内:説明終了後、グループ別に集団面接40分。その後、Aさんから順番に個人面接30分。終了後は自由解散。・・・・つまり、Eの私は2時間待ち!ということ。
・出欠確認:スタッフ1人が3グループを担当し、受験票の写真で本人確認。欠席者がいたグループは間を詰めて4人グループに(Dの人が欠席の場合、間を詰めてEの人がDに)。
・面接票回収(前のグループに、回収直前まで書いている人がいて驚きました)。
やがて時間になり、スタッフの誘導で面接会場に移動。いよいよ集団面接の開始です。会場は各教室で、面接官は3人。年齢的には皆さん50歳前後のようです。各人の受験票確認後、着席し、A4サイズの紙が1枚配られました。問題文か?、と思いきや、これがただの白紙。昨年までの情報では問題文が記された紙が配られると聞いていたのですが、今回は「問題を口頭で伝えるのでメモしてください」というやり方でした。社会人特例選考の論文問題が2パートで書くように変わったことに続いての変更で、今後も毎年、少しづつ出題方法の改変があるのかもしれません。
私の入ったグループに出題された問題は下記のとおりです。
「皆さんはある学校の同じ学年の学級担任とします。あなたの学級(学校)に、得意なことや好きなことには集中できるが、苦手なことには取り組もうとしない子供が、複数進級してきました。あなたは担任として、この問題を解決するために、どのように取り組んでいきますか。考えをまとめて発表してください。考えのまとまった人から、挙手をして発表してください。
<受験者ひとりずつの発表>
さて、皆さんが同じ学年の学級担任として、同じ問題を抱えていることがわかりました。学年で協力して解決するために、皆さんはどのように取り組んでいきますか。意見をまとめてください。話合いの時間は20分間です。時間内にまとめてください。全体の進行は皆さんにお任せします。話合い終了後、全員に、話合いに基づく質問をします。では、始めてください。」
・・・・なぜ、こんなにも正確に問題文を書けるかというと、下記サイトに公開されているからです(笑)。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/23senko/mondai_niji/mensetu_kadai.pdf
問題自体はこれまで勉強&対策してきた範囲内のものだったので、自分の意見はすぐまとまり、予定どおり2番目に発表しました。話合いの方は「抑え気味に」と思っていたのですが、他の皆さんがかなり「引き気味」だったため、結果的に私が「進行&まとめ役」に。それでも、独りよがりにならないように気を付け、時間内でメンバー総意の意見はまとめられたので、「まあ限度内には収まったかな?」という感じです。話合い終了後の質問は、「自分の意見は言えましたか」「討論にどんな感想を持ちましたか」「こう発言した理由はなぜですか」などで、私には「この討論で一番気を付けた点は何ですか」でした。
終了後、机にA4用紙を置き、個人面接順が一番目のAさんだけを残して4人が控え室に移動。この時点で時刻は10時すこし前。ここから、個人面接のための、なが~い待ち時間の始まりです。私語厳禁のため、やれたことは、自己PRや単元指導計画の説明等の反復、持参した資料類の最終チェック、トイレなど。この時感じたのは「朝食をしっかり食べてきて良かった」ということです。
ようやく12時となり、スタッフの誘導で先程の集団討論と同じ教室に向かいました。教室前の廊下に置かれた椅子に座り、しばし待機していると、Dさんの面接が終了し、小声で「お疲れさまでした」と挨拶。Dさんは帰っていきます。そして数分後、面接官の一人の方が中から戸を開け、一緒に入り、私の個人面接が始まりました。
私への質問は30項目以上。全部書くと長くなるので、主な内容のみ記載します。
・東京都を志望した理由。どのような教師を目指したいか。自己PRを1分ほどで。
・単元指導計画の内容について、この単元を選んだ理由、狙い、工夫などの観点で2分程度説明を。
・入社以来の経歴を簡潔に説明を。その仕事で教職に活かせる要素は。
・特技の中で教員として貢献できそうなものは。
・PTA会長として、何に一番注力したか。どうやって仕事と両立させたか。教員に何を一番求めたいか。
・教員として生徒に夢を与えたいと言っていたが、具体的に、生徒に夢を持たせるために何をするか。
・そうしたことがうまくいかない時、悩んだときはどうするか。
・校内の人間関係が良くなく、他の職員に相談ができない、協力が求められない学校だったらどうするか。
・良くない状況の時に必要なものは何だと思うか。
・最後に、つけ加えたいことがあったらどうぞ。
個人面接は30分と聞いていましたが、最後のEさんだったからか、私の場合は35分位。自分の思いを真摯に、熱意を持って語った、濃密な時間でした。教室を出て階段を下りると、嬉しいことが。先に面接が終わった予備校仲間が2人、玄関で私を待っていてくれたのです。
会場を出ると、真夏の昼の強烈な日差しが照りつけましたが、暑さより、全力を出し切った後の達成感の方が大きく感じられました。自分の面接の様子をおしゃべりしながら駅に向かって歩く3人は、まるで定期テスト後に一緒に下校する男子高校生グループのようなノリ。
「で、手ごたえはどうでした?」
そう聞かれた私は、ためらうことなく、こう答えていました
「自分の全力は出したよ。あれでダメだったとしたら、来年どこを直せばいいかわからない。」
駅前の食堂で遅めの昼食をとり、結果を報告しあうことを約束して別れた3人。大好きなドラマ「俺たちの旅」の、各回最後のシーンみたいな光景だなぁ、などと思いながら、二次試験が終わったのでした。
合格発表は、約2か月後の10月22日(金)午前10時。本当に長い、なが~い、待ち時間でした。・・・・以下次回です。
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