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こちらは、2015年3月10日~14日まで
娘3号と一緒に韓国・ソウルに4泊5日で
旅してきたときの記録になります。
何らかの参考になれば嬉しいです❤
… … … … …
今回の日帰りツアーの目的地は、忠清南道(チュンチョンナムド)扶餘郡(プヨグン) ですが、
ここは、百済の最後の都「泗沘(サビ)」があった場所でもあります。
百済の聖明王が、538年に首都を扶余に移し、
そこから現在まで歴史が受け継がれているわけですから、この地に立てたことで感動しています。
538年といえば日本では、古墳時代とも飛鳥時代とも呼ばれていた頃の時代です。
駐車場から歩いて 『定林寺址博物館』 と書かれた入り口まで来ました。
この定林寺は538年から百済が滅亡するまで栄えていたお寺だそうです。
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ガイドさんが先をずんずん進んで行かれます。
後ろからぞろぞろ続く6人。
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それにしても敷地が広いです。
博物館より先に 『定林寺址』 から見学をするようです。
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インフォメーションがありましたが、ゆっくり見る時間もなく、先に進みます。
この遺跡地に仏教文化の中心をなした 『定林寺』 しかも都の中心にあったそうです。
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遠くに立派な博物館が見えています。
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入場料も込みのツアーなので、ガイドさんがまとめて支払ってくれました。
大人 1人 1500ウォン (163円)
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都を 「泗沘(サビ)」 に遷都したのち、泗沘都城の中を中央、東、西、南、北の5部に分けて
その中に居住地が造られました。 そして、この都市計画と共にお寺が建立されたそうです。
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その後、この歴史が残る文化遺産は野ざらしのまま放っておかれることになりますが、
ここ最近、歴史の遺産を見直す動きが出てきて、『定林寺址』 も日の目を見ることに。
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今、私が立っている場所に百済の都の中心があったと思うと感慨深いものがありました。
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定林寺址は、中門・塔・金堂 ・講堂が南北一直線に並ぶ置かれた
百済時代の典型的な1塔1金堂式百済伽藍配置だそうです。
この伽藍配置は、古代日本伽藍形式の土台になり、日本の四天王寺 の様式を生んだとか…
こんな昔から日本とも文化の交流はあったんですね。
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この1塔1金堂式伽藍配置にあった 『定林寺址五層石塔』
高さ8.33m、149枚の花崗岩で建てられているそうです。
百済時代の二つしか残ってない石塔の一つで、韓国に現存する石塔で最古の塔でもあります。
国宝第9号に指定されているそうですよ。
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囲いがなかったらもっとよかったのに…
計算された形式美と、少し反り上がった屋蓋石の端など
これが造られた昔の時代に、この技術があったことに感心させられました。
人力しかなかった、その昔にこんなに大きな塔をどう工夫して造ったんでしょうね。
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裏に回ってみました。
パンフレットには
「塔は、木造から石塔へ移り変わる初めての様式で比例と構造手法にすぐれており、
木造の模倣から離れて創意的な変化を試み、完璧な構造美を確立しており
韓国の石塔の始原様式として、その意義が大きい」
と書かれてありました。
やわらかく温厚な百済のイメージがそのまま伝わってくるようです。
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尚、塔身には 「大唐平百済国…」 で始まる刻銘があるそうです。
その意味は 「百済を平定した記念塔」 という意味だそうで、
660年に、新羅・唐の連合軍が百済の都があった泗沘城の王宮や寺院を徹底的に破壊し尽くしたのに、
唐の将軍、蘇定方 (ソ・ジョンバン) が戦勝を記念して 「大唐平百済国…」 を彫り付け、
そのために塔は破壊されずに現在まで残ったとされているんだとか。 皮肉なものです。
ツアー内容は こちら にてどうぞ~!
住所 : 忠清南道 扶余郡 扶余邑 定林路 83
開館時間: 4月~9月:9:00~19:00 / 10月~3月:10:00~17:00
休館日 : 月曜日
入場料 : 大人1,500ウォン
行き方 : ソウル南部市外バスターミナル (ソウルメトロ3号線「南部ターミナル駅」) から
扶余行きの高速バス (2時間あまり) に乗車し 「扶余ターミナル」 で下車
扶余市外バスターミナルから徒歩15分
ホームページ : http://www.jeongnimsaji.or.kr/jpn/index.asp
ポチっと押して頂くと皆さんには何もありませんが、しゃかしゃか母がHappyになります
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