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こちらは、2015年3月10日~14日まで
娘3号と一緒に韓国・ソウルに4泊5日で
旅してきたときの記録になります。
何らかの参考になれば嬉しいです❤
… … … … …
「2015年6月15日、中東呼吸器症候群(MERS)の影響で訪韓観光客が減少する中、
韓国文化体育観光部は同日、訪韓中にMERSに感染した外国人観光客に対し、
旅行費や治療費として3000ドルを支給することを今月22日から実施すると発表した」
そうですね。 どうなっていくのでしょう…
自由公園の奥に進むと 「マッカーサー将軍の銅像」 が目に飛び込んできます。
どうして、ここにマッカーサー将軍?と思いますよね。
1957年、朝鮮戦争時に仁川上陸作戦を指揮したマッカーサー将軍の功績を称えるために
銅像が建てられたそうです。
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仁川上陸作戦とは、
1950年に始まった朝鮮戦争で、北朝鮮から大邱 (韓国中南部) まで南下した人民軍を
国連軍の総司令官だったマッカーサー将軍の指揮の下、仁川の月尾島に韓国軍とともに上陸し、
2週間ほどでソウルまで制圧に成功した作戦のことです。
この朝鮮戦争は、ずいぶん昔のことのように思っていましたが、先日観た 「国際市場で逢いましょう」 で
私の子ども時代に起きていたことだと再確認して、驚きました。
これ以上先には進まないで、下に続く階段を下ります。
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階段を下りた途中には、『旧済物浦倶楽部』 があります。
外国人有力者の社交場として作られたそうですが、
今は市民文化センターのような施設として使われているため、建物内に入ることができます。
しかし、このときはタイミングが悪く、職員の方の休憩時間のため扉は閉まっていました。
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ここを訪れたのは、2回目の私。
以前のブログは → こちら
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せっかくここまで来たので、案内板にあった 『290m 홍예문 虹霓門』 と書かれていた門まで
行ってみることにしました。
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自由公園の外周道路静かな住宅街を進み、
290mだからすぐそこにあるはずと思っても目的のものが一向に見えてきません。
通り過ぎてしまったかもと思ったら、なんと門は私たちの足の下にあったんです。
そう、門の上に立っていました。 階段で下まで下りないと門は見えません。
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門の両サイドに下に続く階段がありました。
つまり門と言うよりは、応峰山を貫くトンネルのような感じです。
日本の軍隊が日本人の居住地を拡張するために繰り抜いた門だとも言われています。
1905年に工事を開始したものの、巨大な岩石に手こずり、3年掛かって1908年に完工。
仁川の南北の移動が楽になったとか。
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このなんてことのない門ですが、映画やドラマのロケ地になっており、
知る人ぞ知る場所だそうです。
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虹の形をした門という意味の。
花崗石とレンガを組み合わせたアーチ型の部分が虹の形に見えることから、この名前が付いたとか。
鉄道建設を担当していた日本の工兵隊が設計や監督をし、
当時の土木工法と材料を知ることができる貴重な遺産として、
仁川広域市有形文化財第49号にも指定されているそうですよ。
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歩いて門を通過してみたかったのですが、人っ子1人としていないこの状況。
歩くだけの歩道らしきスペースもなく、
結構な交通量で、しかもすごいスピードで車がビュンビュンと両方向からくるので
交通事故を巻き起こしては大変と、断念しました。
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帰国後、いろいろと調べてみると、どうやら歩いて門をくぐっても大丈夫なことが判明しました。
しかし、あれだけ車が通過すると、少々怖いものがあります。
でも行ってみたかったなぁ~ 行けばよかったかも…
自分の身は自分で守ることが鉄則ですからね。
無理をしなかったことが正解だったと自分に言い聞かせます。
【虹霓門】仁川広域市中区松鶴洞2街20番地
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