前回までの続きになります。




ALSになってしまった母の入院生活だが、母が居る病棟から数名コロナ陽性者が出てしまい、ただでさえ制約が厳しかった面会が、10月9日より完全に禁止となっしまった。
それでも母の洗濯物の受け渡しのため、そして新聞や飲料など届け物を持って、私はほぼ毎日病院に出向いた。
病棟に行っても全病室の扉が閉まっていて、母に会うことは出来ず、看護師を通じての受け渡しや、母の様子を聞く日々だった。
胃ろうの手術後、かなり痛そうだった母が心配だった。
そんな或る時、いつものように病棟に行くと、たまたま母の部屋の扉が開いていた。そして、通路側のベッドだった母が見えた。
母は無表情で何をするわけでもなく、ベッドに座り、ボーッとしていた。
「お母さん」
そっと廊下から声をかけた。
母は、「あ…」という顔で私に気がついた。
「お母さん、お腹痛いの大丈夫?」
と聞くと、母は「うん」と頷いた。
良かった。それだけでもわかってと思って、面会禁止なので部屋に入るわけにも行かず、その日は帰った。
面会禁止が解かれたのは10月19日だったが、解除になった日と翌日は実家の商売の手伝いを頼まれていたので面会には行けなかった。
明日は久し振りに会えると思った10月20日、病院から来た連絡で、また心配な事態になった。
手術後の経過がよくないという。
ウミになっているという。
(え!ちょっと、何!?)
「それで、本日20日より10日間、絶食をして抗生剤を投与します」とのことだった。
なんだか病院に腹が立った。
弟からもLINEが来て、
「入院して悪くなっているってどういうこと?ちゃんと見てくれてたのかなあ。姉ちゃん、明日病院に行ったら強く言ってきて欲しい」
と来た。
妹も同様の不信感を持っているようなLINEだった。
今までの看護師の対応を少なからず見てきた私は、言いたいことが溜まってきていた。
手術後の体を起こしたり寝せたりする時にかなり痛がっているので手を貸して欲しいと頼んでいたのに忘れられ、痛み止めの薬の投与も忘れられ、
そしてこういうこともあった。
手術後、3,4日した頃だっただろうか。
いつものように母の所に行くと、母が肌着のままベッドに座っていた。
「お母さんどうしてそんな格好なの?パジャマを着たら?」
と言うと、
「シャワーを浴びた後、消毒をするからそのまま待っていてくださいって看護師さんに言われて」
と言う。
そっか、そういうことかと母と二人、少し話をしながら待っていた。
しかし、来ない。
「お母さん、シャワー浴び終わったの何時頃?」と聞くと、なんと2時間も前の時間だった。
「お母さん、それって忘れられてるよー!」と言って、私は看護師を呼びに行ったことがあった。
手術後の傷口がちゃんと塞がれるまで、キチンと消毒をしてくれていたのだろうか。そんなだから傷口にバイ菌が入ったのではないか、
本当にそんな不信感でいっぱいだった。
大きな病院で、看護師が忙しいのはわかる。それでもこちらは命を預けているんだから、やることはちゃんとやって欲しい。
私は病院側に(けんか腰ではなく)今までの疑問を伝え、ちゃんと見てもらいたいことをお願いした。
その後、病院側も反省してくれたようで、正式に謝られた。
遠慮していたが、いろいろ言えて良かった。
良かったけど、10日間の絶食は結構辛かったと思う。いくら栄養の点滴をしているとはいえ、口から何も入れないのは考えるだけでストレスだ。
水さえも禁止だったので、本当に可哀想だった。
そして今日は、11月3日。
10日間の絶食期間は、10月30日のお昼で終わり、抗生剤やウミを取り除く管は昨日11月2日の夜に外された。
やっといろいろ繋がっていた物が外され、母は自由の身になった気分だろうなあと思う。
ただ、今はもう喋りは完全にといっていいほど出来なくなり、筆談しか出来ない。
ALSはこのまま済む病気ではなく、これから進行に伴い、その手足の力も全部失っていく。
本当にこの先を考えると辛い。
辛いしか無い。
でも先を考え過ぎると母に不安しか与えないと思うので、少しでも明るい気持ちで接しようと思っている。
二日遡るけど、一昨日11月1日は母の84歳の誕生日だった。
娘である60歳の私と同じうさぎ年の84歳。
その日、誕生日プレゼントと、100均で買った材料でお誕生日カードではなくお誕生日ボードを持って、母に届けたら涙ぐんで喜んでくれた😄

この先、母も私達周りの者も辛いことや大変なことがあるのはわかってる。
でもそんな中でも、少しでも母が笑顔になれることがあればなあと思う。


