故・加東大介の不朽の書に基づく芝居がこの夏、3劇団によって上演されている。その内、端役の隅々まで演技に安定感のある前進座の舞台を観た(12日、三越劇場)。第2次大戦中ニューギニアに駐屯した兵士たちが、戦場で人情芝居を上演する話だ。
結論から言うと、ソツなくまとまっている感じ。補給路を断たれた兵士たちの悲惨さを強調する一方ではなく、軍隊組織の非人間性を強調するばかりでもなく、適度に滑稽な味付けをしてメッセージ性とエンタメ性のバランスを取っている。
たとえば、節劇(って、地方歌舞伎みたいなもん? 浪曲に合わせて演じられたらしいが)出身の兵士が、どうしてもクサい演技から抜け出せないシーン。女形の兵士が着物の上にスカートを巻き、日本舞踊とフラメンコのごちゃ混ぜで「酋長の娘」(私のラバさん 酋長の娘/色は黒いが 南洋じゃ美人……)を踊るシーン。この幕切れは特に秀逸だった。
といっても、そこは前進座だから、どこかカミシモを脱ぎきれない雰囲気は残るが。
飢えと熱病と敵軍の空襲が続く過酷な環境で、兵士たちは砂漠で水を求めるように、ささやかな娯楽、というより癒しを素人芝居に求める。ジャングルを越え、ワニの河を泳ぎ、4日間歩きづめで観劇にやってくる。
その切ない心情がより切実に伝わってきたら、並のレベルを突き抜けた舞台になっていたと思う。しかし正直なところ、もう一つ物足りない。この辺の事情がすべて、セリフで説明されるだけだからだろう。
その点は、先日亡くなった加藤武さんのプログラムに寄せた文章(遺筆?)が胸を打つ。加藤さん自身も出演したテレビドラマ版では、視力を失った兵士が手を伸ばして舞台に降る紙の雪をまさぐったそうだ。兵士は雪国出身だった。こういう細かい演出は、舞台では物理的に無理ではあるんだけどね。
話変わって、マスコミOB会が出した安保法案のアンケートに対し、自民以外の首相経験者中、野田佳彦だけが無回答。やっぱりね。自民系が無回答なのは不思議でも何でもないが。
民主党政権の息の根を止め、安倍自民圧勝の地均しをしたこの男、間違いなく霞が関から永田町に送り込まれたトロイの木馬だった。
結論から言うと、ソツなくまとまっている感じ。補給路を断たれた兵士たちの悲惨さを強調する一方ではなく、軍隊組織の非人間性を強調するばかりでもなく、適度に滑稽な味付けをしてメッセージ性とエンタメ性のバランスを取っている。
たとえば、節劇(って、地方歌舞伎みたいなもん? 浪曲に合わせて演じられたらしいが)出身の兵士が、どうしてもクサい演技から抜け出せないシーン。女形の兵士が着物の上にスカートを巻き、日本舞踊とフラメンコのごちゃ混ぜで「酋長の娘」(私のラバさん 酋長の娘/色は黒いが 南洋じゃ美人……)を踊るシーン。この幕切れは特に秀逸だった。
といっても、そこは前進座だから、どこかカミシモを脱ぎきれない雰囲気は残るが。
飢えと熱病と敵軍の空襲が続く過酷な環境で、兵士たちは砂漠で水を求めるように、ささやかな娯楽、というより癒しを素人芝居に求める。ジャングルを越え、ワニの河を泳ぎ、4日間歩きづめで観劇にやってくる。
その切ない心情がより切実に伝わってきたら、並のレベルを突き抜けた舞台になっていたと思う。しかし正直なところ、もう一つ物足りない。この辺の事情がすべて、セリフで説明されるだけだからだろう。
その点は、先日亡くなった加藤武さんのプログラムに寄せた文章(遺筆?)が胸を打つ。加藤さん自身も出演したテレビドラマ版では、視力を失った兵士が手を伸ばして舞台に降る紙の雪をまさぐったそうだ。兵士は雪国出身だった。こういう細かい演出は、舞台では物理的に無理ではあるんだけどね。
話変わって、マスコミOB会が出した安保法案のアンケートに対し、自民以外の首相経験者中、野田佳彦だけが無回答。やっぱりね。自民系が無回答なのは不思議でも何でもないが。
民主党政権の息の根を止め、安倍自民圧勝の地均しをしたこの男、間違いなく霞が関から永田町に送り込まれたトロイの木馬だった。