蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

原 節子

2015-11-29 | 映画
NHK-BSで『東京物語』のデジタル修復版をやるというのでテレビをつけてみたら、セピア色に着色してある。何を考えているのだ。黒白撮影の清潔感が台無しではないか。

で、古いDVDを引っ張り出して再生。実は手に入れて随分経つが、ちゃんと観るのは初めてなんだよね。会話のシーンでセリフごとに顔のアップを切り替える、小津のあの演出がどうも苦手で。

あれ、俳優から自然な演技を引き出そうとして、かえって緊張を強いてないか。ここでも原節子のこわばった笑顔が引っかかる。

この映画、実の子供たちより義理の娘の方が老いた両親に優しいという文脈でしばしば紹介されるが、観ていて、実子は遠慮がなく嫁は他人行儀、という当たり前のことを当たり前に描いたんじゃないかと思った。

自分を何から何まで嫁の理想像にはめ込んで、にっちもさっちも行かなくなってる嫁より、素の自分に正直な長女の方がずっと血が通って見えるんだもの。演じる杉村春子が上手いせいもあるけど。

2~3日前の朝日デジタルに、小津の原もいいが成瀬己喜男の原もいい、みたいなことを蓮見重彦が書いていたが、オレはどっちの原もブリっ子だと思う。

それより、原節子がもっとも輝いて見えたのは黒澤の映画に出たときだった。特に『わが青春に悔いなし』と『白痴』(って、彼女の出演した黒澤作品はこれだけだっけ?)。

『わが青春』では前半、驕慢な令嬢を演じて理不尽なワガママを言う。自分に好意を寄せる男に、なんでもいいからとにかく謝れと強要し、渋々ひざを折って頭を下げる男を目で追いながら見るみる嫌悪の表情を浮かべる。

『白痴』では、なに見てんのさ、と言わんばかりの仏頂面で登場する。久我美子演じる富豪令嬢と、壮絶な怒鳴り合いをエンエンくり広げるシーンもある。自身お嬢さま育ちの久我はケンカ口調の長ゼリフを必死でしゃべっているが、原は堂々たる落ち着きだ。小津や成瀬の映画での上擦った発声とは違い、音程自体がアルト。笑顔もほとんど作らない。

こういう強い女の表現は、当時(1951)日本女性の権利向上を図っていたGHQの意向も働いていたんだろうが、黒澤の演出力がやっぱり大きいよな。原を従順な大和ナデシコの鋳型から解放して戦後の西欧型女性の先駆を演じさせたところが、黒澤の慧眼だ。そして原には、前例のないキャラを演じ切るだけの底力があった。

ついでに言うと、『東京物語』で優しい老母の典型を演じている東山千栄子が、『白痴』ではのべつ憎まれ口をたたくしっかり者の祖母を演じている。こっちの方が断然、面白い。

ところで、キネマ旬報が俳優のオールタイム・ベストテンをやると、日本女優枠では長いあいだ原節子と吉永小百合が不動の1位2位だった。それが昨年は、高峰秀子と若尾文子。映画評論家の世代交代が進んで、原を観てない人も多くなったんだろうな。

それとも、日本人好みの処女性よりもリアルな存在感が重視されるようになったのか。
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逆転負け

2015-11-20 | スポーツ
6連勝を自分の実力と勘違いしてたんじゃあるまいな、小久保よ。あれだけの顔ぶれを揃えたドリーム・チームなら、勝って当たり前なんだよ。負ける方がおかしいんだよ。

則本は責められない。負ければ終わりのトーナメントで初めてのクローザーを任されれば、誰だって平常心を失う。手元が狂う。大谷が7回まで行ったから8、9は則本になった、なんぞとノンキなこと監督が言ってんじゃねーよ。シロウトじゃあるまいし。

韓国の先発がイ・デウンだと聞いたとき、間違いなく楽勝だと思ったね。イ・デウンはわが愛するロッテのピッチャーだが、シーズン中はどうも頼りなかったから。一時、中継ぎに降格されていたぐらいだ。

で、大谷が投げているあいだは予想どおり。則本も、8回は息をのむぐらい鮮やかな快投だった。

だからって、9回へ則本を引っ張るところが小久保の浅はかさなんだよ。私の責任だ、などと白々しい談話を出すより先に、さっさとハラを切れ。

小久保ってオレ、選手時代から嫌いだったんだよね。自分が脱税するだけじゃなく、仲間の選手に脱税を勧めて回るという小汚いマネをやったし。

脱税ぐらい卑怯で狡い犯罪って、ないだろ。

それにしても、一流のアスリートとは剛胆に見えて、いかに神経質で繊細で傷つきやすい男たちであることか。改めて実感した次第であります。
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パリ同時テロ

2015-11-16 | 国際
東京タワーとスカイツリーと都庁ビルが、いっせいにトリコロールのライトアップ。心優しいよねえ、日本人て。ヨーロッパ諸国の中では比較的に親日的というフランスで、ますます日本アニメの人気が上がることでしょう。

ところで、覚えてますか。ちょうど一か月前、トルコのアンカラでも自爆テロがあったんだよね。犠牲者数は、パリとほぼ同じ。

でも東京は、どこも赤のライトアップもしなければ新月の飾りもしなかった。なんでだろうね。不思議ね。

トルコは、フランスよりはるかに親日的な国なんだけどね。アジア人に対する人種偏見もないし。

5年後の東京オリンピック、無事に済めばいいけどねえ。

韓国慰安婦問題の早期妥結はソウルの日本大使館前の少女像撤去が前提と、安倍が条件付け。溜飲を下げる向きも多かろう。

しかしこれって、朴槿恵政権側から見れば、受け入れ不可能な無理難題じゃないかね。撤去すれば政権の崩壊は目に見えてる。したがって、慰安婦問題は解決されない。

こんな対立をあおるだけの感情的攻勢が、日韓問題の正解だろうか。日本がやるべきなのは、『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河さんのような良識人を支援し、もって韓国のかたくなな反日感情の軟化に粘り強く努めることじゃないのか。

ネットには、次のような意見も書き込まれている。こうした冷静な意見が安倍のアグレッシヴな対応によって、韓国内で生け贄にされてしまうことを怖れる。
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ムーヌ・ド・リヴェル

2015-11-11 | 音楽
ワタシかつてはシャンソン評論家の看板出してたんですけど、論語読みのナントカなんだよね。シャンソン・クレオールは、ほとんど聴いてなかった。自慢にはならないけど。

そのシャンソン・クレオールにムーヌ・ド・リヴェルという、すばらしく心地よく聴ける歌手がいると知ったのは、つい最近のことだ。ひとえに原田尊志さんのおかげである。原田さんのお店、エル・スールのウェブサイトで歌の断片を聴いて魅了された。グァドループ系の移民二世だそう。

中村とうようさんが亡くなったあと、自分の耳で隠れた名演、名歌手を発掘しているのは事実上、原田さんぐらいじゃないかな。人の後追いで知ったかぶりをかますヤツは、ほかにいるけど。

この人の肝煎りで復刻されたのが、『島々や海岸線』というアルバムだ。半音進行を多用した曲調はちょっとバルバラを連想させるが、もちろんあんな貧血症みたいな頼りない歌ではなく、あたたかく滑らかなアルトが芳醇なメロディをのびのび歌う。

全盛期のマラヴォワがそうだったように、豊かな生命力を漲らせながら、隅々まで神経のかよった繊細な歌だ。

LPからのトランスファーらしいが、音質も目覚ましい。レコードよりもマスター・テープからトランスファーしたメーカー製CDの方がプロセスが一段階少ないから音がいいと、いまだに多くの人が信じているが、そういうのを観念論という。

アナログ録音は磁気テープの宿命で、時間の経過とともに劣化する。磁力の減衰に連れて微小信号が徐々に失われるのだ。高音は特に減衰が早く、鈍化した高音を補正するとノイズが増加する。

レコード会社は60年代以前の古い録音をCD化するとき、CDは開発当初ノイズが少ないことを売り文句にしていた手前、マスターに入っているノイズを目のカタキにして削除しまくる。これが曲者で、ノイズの道連れに音楽信号も大量に抹消してしまう。

だから大手のレコード会社が発売する復刻CDは、たいていストリングスやヴォーカルがギスギスに痩せて耳をつんざくような音質に変わっている。

録音直後にプレスされたLPは、もっとも鮮度の高い音を凍結保存している。大体、レコード製造はカンと経験がモノを言う工芸品に近い世界だから、ベテラン技師ともなると録音のアラを上手に抑えてマスターより美しい音に仕上げる、なんて手品みたいな芸当ができたのだ。

そのため、録音後何十年も経ったマスターよりも、初期プレスのLPから制作されたCDの方が音がいい。

この『島々や海岸線』は、そういうCDの典型だ。たっぷり響きの乗った声が目の前にぐんぐん迫り出してくる。まるで、レコードを直接聴いているみたい。

LPの泣きどころのスクラッチ・ノイズも、ごく目立たないのが1か所で聞こえただけだった。

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