『戦後日本女装・同性愛研究』(矢島正見編著):中央大学出版部から引用です。
「相手がいて初めて,男であり,女であり,という意識をもつわけです」ということばは至言だと思います。
私は自分のことを男だと思っています。女として生きていきたいとか扱われたいとか,そんなことを思ったことはさらさらありません。
男がやるから女装なんです。だから楽しいんです。だから,私はどこまで行っても真の男です。
女装をすれば,女になったという錯覚を起こす,それが楽しくて気持ちがいい
わけです。それはあくまで趣味であり,遊びであり,結局は道楽です。
でも,趣味にしても何にしても,人に負けたくないという気持ちはあるんで
やれるだけはやってみたい,自分か「もうこれ以上はあかん」とあきらめ
るところまで,やってみたいんです。あらゆることを研究して,どこまで自分
か行けるか,とことん追求してみたくなるわけです。これは私の性格ですね。
何でもとことんやらないと,気が済まないんです。負けず嫌いなんです。自分
の人生すべてそれに尽きるかもしれません。人に頭を押さえられて「おまえは
だめだ]とやられるのが嫌なんです。私のいちばん最初の女装び真なんてひど
いものですから。まるきり他人,ぜんぜん違います。で払 ここまでになっ
た,それまでに相当の努力と研究があったわけです。
昔は,仕事以外のときはずっと,下着から何から全部女物を着て過ごしてい
ました。住宅設備の仕事をやめて小売業を始めてからは,夜もお客さんが来る
のでやらなくなったのですが。今でもド着は全部女ものです。病院に行くとき
など必要なときに,男物をさがして引っ張り出すぐらいです。下着は女物をつ
けるのが自然,当たり前になっています。もうはき慣れてしまって,男のもの
だと気持ちが悪いんです。寝巻きだって男物はないです。寝巻きも全部,女も
ののパジャマかネグリジェです。
夜になると女装をするというより,自然にもどるという感覚です。人が来た
ときに,男の演技をするという感じです。やはり男と女,両方の気持ちをもっ
ているわけです。ひとりでいるときは,ややこしい心理状態です。男の精神と
女の精神とが,両方住んでいて,そのときどきによって変化しているんです。
どちらかの気持ちでいるというはっきりした区分ではない。男性心理と女性心
理の両方が同居している,それが私という感じです。それをはっきり区分けし
ろと言われても無理です。
あとは第三者次第です。相手がいて初めて,男であり,女であり,という意
識をもつわけです。ひとりの場合は同居している,両方の気持ちをもっていま
すから,女装するとすっと女になれるんです。自然になれるんです。芝居をし
ているのとは,またちょっと違います。
私は男の格好をしていたら,ぜったい男性とセックスできません。でも,女
装仲間からせまられたことはけっこうあります。私が男の格好をしていてもせ
まってくるんです。私は,相手が女装をするということを知っていると,仮に
男の格好をしていても,だめです。女になれば,女としての立場のセックスを
やりますが、それはあくまでも遊びです。穴があってやれないことはないわけ
ですから,別にそれはいいのではないでしょうか。
彼氏とはアナルセックスをしました。しないと彼女にならないですから。セ
ックスをしているときは,射精します。当然でしょう。だってふたりとも興奮
しているんです。最高潮になったらいってしまうでしょう。射精すると自分が
男だということを確認するようで嫌だという方もいらっしゃるようですけど,
そんなことないです。お互いに本当に没頭した場合は,そんなことを言ってら
れないと思います。『風俗奇譚』の小説などでも,うしろから入れられて,興
奮して射精しますけど,そんなのは当然あります。快感をおぼえれば,それに
連勤して射精は起きるわけですから。
でも,私は,相手の男性のペニスをしゃぶるのは嫌です。なんか不潔な感し
がするでしょう。私は潔癖性なほうですから,口を使うのはだめです。どうし
てもやってほしいなら消毒してきなさいと言います。手でやってあげるくらい
ならいいです。
「相手がいて初めて,男であり,女であり,という意識をもつわけです」ということばは至言だと思います。
私は自分のことを男だと思っています。女として生きていきたいとか扱われたいとか,そんなことを思ったことはさらさらありません。
男がやるから女装なんです。だから楽しいんです。だから,私はどこまで行っても真の男です。
女装をすれば,女になったという錯覚を起こす,それが楽しくて気持ちがいい
わけです。それはあくまで趣味であり,遊びであり,結局は道楽です。
でも,趣味にしても何にしても,人に負けたくないという気持ちはあるんで
やれるだけはやってみたい,自分か「もうこれ以上はあかん」とあきらめ
るところまで,やってみたいんです。あらゆることを研究して,どこまで自分
か行けるか,とことん追求してみたくなるわけです。これは私の性格ですね。
何でもとことんやらないと,気が済まないんです。負けず嫌いなんです。自分
の人生すべてそれに尽きるかもしれません。人に頭を押さえられて「おまえは
だめだ]とやられるのが嫌なんです。私のいちばん最初の女装び真なんてひど
いものですから。まるきり他人,ぜんぜん違います。で払 ここまでになっ
た,それまでに相当の努力と研究があったわけです。
昔は,仕事以外のときはずっと,下着から何から全部女物を着て過ごしてい
ました。住宅設備の仕事をやめて小売業を始めてからは,夜もお客さんが来る
のでやらなくなったのですが。今でもド着は全部女ものです。病院に行くとき
など必要なときに,男物をさがして引っ張り出すぐらいです。下着は女物をつ
けるのが自然,当たり前になっています。もうはき慣れてしまって,男のもの
だと気持ちが悪いんです。寝巻きだって男物はないです。寝巻きも全部,女も
ののパジャマかネグリジェです。
夜になると女装をするというより,自然にもどるという感覚です。人が来た
ときに,男の演技をするという感じです。やはり男と女,両方の気持ちをもっ
ているわけです。ひとりでいるときは,ややこしい心理状態です。男の精神と
女の精神とが,両方住んでいて,そのときどきによって変化しているんです。
どちらかの気持ちでいるというはっきりした区分ではない。男性心理と女性心
理の両方が同居している,それが私という感じです。それをはっきり区分けし
ろと言われても無理です。
あとは第三者次第です。相手がいて初めて,男であり,女であり,という意
識をもつわけです。ひとりの場合は同居している,両方の気持ちをもっていま
すから,女装するとすっと女になれるんです。自然になれるんです。芝居をし
ているのとは,またちょっと違います。
私は男の格好をしていたら,ぜったい男性とセックスできません。でも,女
装仲間からせまられたことはけっこうあります。私が男の格好をしていてもせ
まってくるんです。私は,相手が女装をするということを知っていると,仮に
男の格好をしていても,だめです。女になれば,女としての立場のセックスを
やりますが、それはあくまでも遊びです。穴があってやれないことはないわけ
ですから,別にそれはいいのではないでしょうか。
彼氏とはアナルセックスをしました。しないと彼女にならないですから。セ
ックスをしているときは,射精します。当然でしょう。だってふたりとも興奮
しているんです。最高潮になったらいってしまうでしょう。射精すると自分が
男だということを確認するようで嫌だという方もいらっしゃるようですけど,
そんなことないです。お互いに本当に没頭した場合は,そんなことを言ってら
れないと思います。『風俗奇譚』の小説などでも,うしろから入れられて,興
奮して射精しますけど,そんなのは当然あります。快感をおぼえれば,それに
連勤して射精は起きるわけですから。
でも,私は,相手の男性のペニスをしゃぶるのは嫌です。なんか不潔な感し
がするでしょう。私は潔癖性なほうですから,口を使うのはだめです。どうし
てもやってほしいなら消毒してきなさいと言います。手でやってあげるくらい
ならいいです。