女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

名古屋の総合女装ルーム『レディス美島』さんの広告

2024年08月13日 | 私的東京女装史
夏休みです。
国会図書館でコピーしてきた『くいーん』のバックナンバーを整理しています。

昭和時代の女装、本文も面白いのですが、広告も興味津々です。
1987年10月号に名古屋の総合女装ルーム『レディス美島』さんの広告がありました。


私は1989年夏にこちらにお伺いして、美島さんお話したことがあります。
このころはまだまだ女装子愛好男子として初心者でしたので、『レディス美島』さんを楽しむことができなかったのが、残念です。


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いずれも地味な奥さんといった風情で、人の目を引くようなところがいっさい無い

2024年07月26日 | 私的東京女装史
承前です。

女装者と「普通の人」の区別がまるで分からないのだ。初めて会うので、目を皿のようにして待ち合せポイントに集まってくる人たちを眺めているのだが、見れば見るほど通行人の普通の女性たちが女装者のように見えてくる。その間に決定的な差異は伺も無かった。
 総勢十人近いグループとなったが、いずれも地味な奥さんといった風情で、人の目を引くようなところがいっさい無い。わたしたちは上野公園で花見し、酒を飲んだ後、なぜか国立博物館を見学したが、周囲で女装者であることに気付いた人はほとんどいなかった。それほど「彼女たち」の女装は、日常性の中に忍者のように忍び込んでいたのである。


>東京駅の雑踏を歩いている「地味な奥さん」が実は男性ということ。
こういうところに女装男子愛好者の私はぞくっときます。

初めての女装子さんとのデートは1989年でした。
『くいーん』で知り合った女装子さんと新宿・伊勢丹前で待ち合わせました。
彼女と喫茶店に入ってコーヒーを飲んだのですが、彼女は新宿の日常性のなかに忍び込んでいます。
周りは20代女性ばかりですが、誰も気づかない。
「この子はね、本当は男の子なんだよ」と叫んでみたいくらい、何かわからない快感を知ったのです。
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キャンディ・ミルキィさんのこと(2)

2024年07月25日 | 私的東京女装史
承前です。
山崎邦紀氏のプロフィールはこちらです→★

繰り返しになりますが、出所は『コミック女装奴隷 vol.1』 2011年 一水社です。
これは成年向けなのでここではリンクは貼れません。
またAmazonでは書名の奴隷が●隷となっています。
御容赦を。

 本人に確認したわけではないので、実際のところ、どうだったかは分からないが、戯画化されたロリコン漫画的衣裳でオフロードバイクを疾駆するキャンディさんの勇姿には、沙漠のゲリラのような鮮烈な印象があったことも確かである。
 渡辺教授の理論闘争や、キャンディ・ミルキィさんのゲリラ的実践を一方の極とすると、女装の世界のもう一方には日々の日常生活の中に静かに埋没し、潜航艇のように時折見え隠れしている一群の人々があった。そんな 「彼女たち」とわたしは上野公園で花見をしたことがあったが、待ち合せをした東京駅の銀の鈴(名古屋から上京してくる人たちもいた)で、わたしは世界の裏と表が入れ違ったような感覚を味わった。

 女装者と「普通の人」の区別がまるで分からないのだ。初めて会うので、目を皿のようにして待ち合せポイントに集まってくる人たちを眺めているのだが、見れば見るほど通行人の普通の女性たちが女装者のように見えてくる。その間に決定的な差異は伺も無かった。
 総勢十人近いグループとなったが、いずれも地味な奥さんといった風情で、人の目を引くようなところがいっさい無い。わたしたちは上野公園で花見し、酒を飲んだ後、なぜか国立博物館を見学したが、周囲で女装者であることに気付いた人はほとんどいなかった。それほど「彼女たち」の女装は、日常性の中に忍者のように忍び込んでいたのである。

 そこでわたしが興味を惹かれたのは、ある女装者に付き添ってきた老紳士で、パトロンか何かなのだろうが、男として女を愛するのではなく、また男として男を愛するのでもなく、明らかに男が女の衣裳を着た女装者を、性的に愛するタイプの男たちがいることを初めて知った。

 その後「女装と日本人」 (講談社現代新書)の著者、三橋順子さんの文章や講演によって、女装者を性的に愛好する男たちのディープな世界が浮かび上がってきた。なお、三橋さんが研究者としてカミングアウトする以前に、結局は2号で敢えなく廃刊となった、 『クロス・ドレッシング』創刊号でグラビア・デビューを飾っていたことは、知る人ぞ知る、誰も知らなくても何の問題も無い、実に些末な事実である。

 かつてあった女装者を性的に愛好する男たちの欲望と、女装男子や「男の娘」に萌える現代の男や女たちの性的ファンタジーが、どのように交絹するのか、しないのか、もし本誌に次号があれば考察してみたい。(山崎邦紀)
出所:『コミック女装奴隷 vol.1』 2011年 一水社
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キャンディ・ミルキィさんのこと(1)

2024年07月24日 | 私的東京女装史
おはようございます。
本棚の整理をしているといろいろな女装小説・女装コミックが出てきます。
そのなかで鬼畜系の女装アンソロジーを読んでいたら、巻末にコラムがありました。
筆者は山崎邦紀氏。編集者であり、映画監督だった方です。
女装コミックの巻末とは思えない女装を語った硬派のコラムです。
2回に分けて紹介します。
出所は『コミック女装奴隷 vol.1』 2011年 一水社です。
これは成年向けなのでここではリンクは貼りません。
御容赦を。


女装哲学コラム 女装裏通り・第1回
  山崎邦紀
 わたしもまた、かつて「エリザベス」で女装を試み、鏡の中に現れた身も蓋もないオバサン面(づら)に心底ゲンナリして、二度と女装しようなんて気を起こすことは無いが、憧れのふんわりしたスカート、大島弓子さんや高野文子さんのマンガに出てくるようなスカートをはくことが無いまま一生を終えるかと思うと、やはり無念という気がしてくる。
 スカートの下から風が入ってくる感覚は、あれはどんなものなのだろう。初老のオッサンは、蒸し暑い夏はすっかり短パンで押し通しているが、そんな実用性を越えて、脚の間から風が入ってくる感覚を、しきりと妄想してみるものの、現実には女の人のスカートの下から風が入ってくることはないのかもしれない。
 以前『クロス・ドレッシング』 (一水社の系列会社の光彩書房)という女装専門誌の編集長をしていた頃、女装者の皆さんとずいぶん交流したが、最近の女装男子といった爽やかな(?)ブームとは対極にある、たっぷりと濃厚でダークな人たちが、世間の隙間にひっそりと、しかし強烈な存在感をもって棲息していた。「彼女たち」の
女装には人生がかかっていて、もしバレたら家庭生活は破綻し、社会的生命も失われるというような逼迫した危機感が絶えず背後に迫っているので、対抗上、理論的にも武装している人が少なくなかった‥
当時の記念碑的な本として、その後は死生学に転じた渡辺恒夫教授の「脱
男性の時代~アンドロジナスをめざす文明学』 (勁草書房)がある。ちょっとした楽しみで女装してみる時代が、いつか来ることを夢想しながら、社会的圧迫に抗すべく理論武装していたような気がする。
 親しく付き合ったキャンディ・ミルキィさんのように、キャンディ・キャンディの真似をした手製のフリフリの衣裳を着込み、オフロードバイクに乗って原宿の歩行者天国に乗り込むような奇矯な実践もまた、女装者の強烈なイメージを増幅したことだろう。
 「彼女」は『ひまわり』という女装誌の編集長でもあって、奮闘する女装ゲリラといった趣だった。
 最近、ある筋から聞いて驚いたのだが、キャンディ・ミルキィさんは女装の世界で頭角を現す以前は、新左翼の活勣家だったというのである。真偽は分からないが、ガセネタを流すような相手ではない。わたしとキャンディさんの付き合いは『クロス・ドレッシング』を編集していた頃だけでなく、その後ピンク映画や薔薇族映画を手がけるようになってから、何度か出演もしてもらった。
 かつては写植で生計を立てていたが(自分のアパートでやってる人も多かった)、印刷業界の構造変化で仕事が減り、空港で積み荷の運搬のバイトをしているとか、子供もいた奥さんと離婚したとか、そんなプライベートの話は聞いていたが、政治的な活動歴についてはいっさい耳にしたことが無かった。しかし、その一方で奇異な感じがしなかったのも事実である。キャンディさんの政治の季節が終わりを告げ、女装の世界のゲリラ戦士として新たな戦いを繰り広げたと考えると、符帳が合うような気もするのだ。

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「LGBTは3人に1人」というのは本当か? ②

2024年03月16日 | 私的東京女装史
以下続きです。

 ところで、二大経済週刊誌の同日発売号に同様の特集を組ませた「仕掛け人」は誰か? と いう設問の種明かしをしておきましょう。
 皆さん、もうお気づきでしょう。そんな影響力を持っているのは巨大広告代理店「電通」し かありません。2012年の「電通ダイバーシティ・ラボ」の調査は、「仕掛け」のリソース(資源)だったのです。

 2012年の日本におけるLGBTブームの端緒を仕掛けたのは「電通」という説、証拠はない推測ですが状況的にまず間違いないでしょう。この話を「電通」の関係者に振ったことが あります。ニヤリと笑っただけで何も答えてくれませんでしたが。 こういう批判を、私があちこちで繰り返してきた結果? さすがに「電通」の数字の信憑性に疑問を抱くメディアも増えてきました。現在ではNHKも『朝日新聞』も「123人に1人」と はあまり言わなくなりました。「蟷螂之斧」(弱者が自分の力をわきまえず、強者に立ち向かうこと)なりに少しは効果があったのでしょう。

 そもそもの話、性的少数者の数的把握はかなり困難です。まず、どこまで含めるべきか?といった問題。I (Intersex) は? Q (Queer)やQ (Questioning) は? Aは (Asexual) は入れるの? などです。それによってかなり数値は違ってくるはずです。つぎに、何をもっ てL、G、B、Tとするかのカテゴリー設定の問題があります。たとえば、Gなら「男性を 好きになったことがある男性」と定義するか、「男性と実際に性行為をしたことがある男性」 と定義するかで、かなり数値は違ってきます。Lも同様で「女性を好きになったことがある女性」なのか、「女性と性行為をしたことがある女性」なのかで数字は大きく(たぶん倍以上) 違ってくるでしょう。でも「性別を移行したいと思っている人」と定義するか、「実際に性別 を移行して生活している人」と定義するかで大きな違いがあります。

  というような説明をすると、多くのマスメディア関係者は、それなりに納得します。 「なるほど、よくわかりました。 した。三橋先生のおっしゃる通りだと思います。ところで、先生はLGBTの比率はどのくらいだとお考えですか?」(ぜんぜんわかってないじゃないか!)

 どうしても「数字」を欲しがるのは、メディアの悪癖です。仕方なく、内心の怒りを抑えて 「きちんとした調査に基づいた数値ではなく、長年、この世界を観察してきた私の印象です」と断った上で、男性はGが2%、Bが0.5%、女性は上が1%、Bが2・5%。全人口比で10%になったらマイノリティでなくなるわけでもありません。

  また、3%だから人権を無視してもいい、8%なら人権を認めるべきだという話でもありません。3%だろうが8% だろうが、LGBT+の人権は認められるべきであり、それに基づいて「SOGI平等」を達成する施策がなされるべきなのです。数値に本質はありません。


出所『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』三橋順子著 辰巳出版 2023

>Gなら「男性を 好きになったことがある男性」と定義するか、「男性と実際に性行為をしたことがある男性」 と定義するかで、かなり数値は違ってきます。
後者の定義であれば、私もBではなくGに定義されますね。

>3%だろうが8% だろうが、LGBT+の人権は認められるべきであり、それに基づいて「SOGI平等」を達成する施策がなされるべきなのです。数値に本質はありません。
私はこの三橋さんの主張に大きく同意します。

今日は土曜日。
きれいな朝日が昇ってきました。
みなさま、素敵な週末をお過ごしください。
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「LGBTは3人に1人」というのは本当か? ①

2024年03月15日 | 私的東京女装史
先週、勤務先でLGBT研修がありました。
「参加するように」と年下上司の命がありましたので、まあ興味津々で大会議室へ。
講師は人事部の若手社員。
一生懸命リハーサルしたんでしょうね。
90分ですが、しっかりと話をしていました。
私と言えば、「へぇ、そうなんだ~」という初心者顔(どんな顔なんだ)でちんまりと聞いておりました。

冒頭、彼が「電通の調査ではLGBTの方は100人に7人いるのです」と胸を張って言いました。
ふーん、7人もいるんだ....とその時は納得しました。
しかし、自宅に帰って三橋順子先生の新刊を読むと、この数字の信ぴょう性が大いに揺らぎました。

以下引用です。
「LGBTは3人に1人」というキャッチ・コピーを聞いたことがある人、いらっしゃると思います。これは「電通ダイバーシティ・ラボ」が2015年に公表した「LGBT調査」の結 果、7・6%の逆数です (100÷7.6=3・2)。
私はこの数字をニュースで聞いたとき「多すぎる!」と思いました。それは私だけでなく、 長年、性的マイノリティとして生きてきた多くの人たち共通の感想でした。

 なぜ、こうした現実感覚と離れた数値が出てきたのでしょうか?「電通ダイバーシティ・ラボ」はこの3年前の2012年にも同じような調査をしています。
それと比較してみると、わずか3年の間にGは0・61.8%で3倍、Lは0・21・0 %でなんと5倍になっています。「電通」は「同性愛に対する社会的理解が広まった結果」と説明していますが、いくらなんでも増えすぎです。「理解が広まった」というのならTはどうでしょうか。4・1→0・7%で3年間で6分の1になっていて、激減です。この3年間にトランスジェンダー大虐殺が起こって6分の5のTがいなくなってしまったのでしょうか? もちろん、現実にはそんなことは起こっていません。

 さらに、2012年の調査にはなく2015年の調査で現れる「その他」とは何でしょう?? しかもそこに3・8%という全体 (7.6%)の半数に当たる大きな数字が入っています。この頃から目立つようになった「Xジェンダー」 (215ページで説明)でしょうか? このように2012年の調査と比較すると、変動幅が大きすぎて、実態的にあり得ない結果 であることがわかります。

こうした量的な社会調査では、その調査方法(対象、カテゴリー設定など)が妥当であるか 検証されるべきなのですが、「電通ダイバーシティ・ラボ」は詳細な調査方法を公開しておら ず、検証不能です。つまり、結果的にも方法的にも問題があり、学術的には使えない、一種の 「プロパガンダ」(広報・広告)として理解すべき数字だと思います。
ここで留意すべきは「電通ダイバーシティ・ラボ」は学術調査機関ではなく、「電通」という巨大な(日本最大手、世界6位)広告代理店の調査機関だということです。広告代理店の仕事はプロパガンダですから、数値が学術的な正確性より、ブロパガンダ的性格を帯びるのは当然のことなのです。

 実は、「電通」の2015年調査の翌年、2016年に業界2位の広告代理店「博報堂」が 8%という数字を出しています。数値をプロパガンダと考えた場合、「電通」の2015年の 調査より下の数値ではインパクトはありません。「博報堂」としてはライバル社を上回る数値を打ち出す必要があったのだと思います。

  その時、私は予言しました。「つぎの電通の調査は、必ず博報堂の上をいく」と。2018 年の「電通」の調査結果は、「博報堂」の数値を上回る8・9%でした。子言的中です。こうしたプロパガンダの繰り返しの結果、日本は世界一 「LGBT」の比率が高い国になりました (まったくのフェイクですが)。
 
 むしろ、そうしたブロパガンダの数字を真に受けるマスメディアや、企業研修会で開口一番「私たちLGBTは3人に1人もいます!」と叫ぶ時流便乗のLGBT系NPOに問題がある (不見識)と思います。



出所『これからの時代を生き抜くためのジェンダー& セクシュアリティ論入門 』三橋順子著 辰巳出版 2023年

確かに社会調査はその標本の取り方、質問方法などがオープンにされています。
しかし電通調査はうやむや。
エビデンスとしては使用することができないかもしれません。

そして性的少数者も広告キャンペーンのために不可思議な調査を行いあぶりだしていくという広告会社の長期戦略に驚くばかりでした。


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平成元年、新宿・女装バーで④

2024年01月30日 | 私的東京女装史
まあ、余談です。
『地下鉄にのって』です。
丸の内線の車内でのカップルの情景を描いているよう思えます。
でも作詞した岡本おさみ氏はもうひとつの状況を描いています。
銀座で映画を見た。
地下鉄に乗っている。
いま赤坂見附だ。
君の声がよく聞き取れない。
停車しているわずかに時間に話そう。
新宿はまだまだだ。
次の駅で降りてあるこう。
でも君はそのまま、地下鉄に乗っていてもいいんだよ。

赤坂見附は政治や権力のシンボル。
新宿は自由のシンボル。
地下鉄は暗闇のシンボル。
その地下鉄に僕たちは乗っている。
『地下鉄にのって』は1972年11月の発売。
全共闘の時代から3年しかたっていません。

そして、いまはも私たちは地下鉄に乗り続けているのかも.......。

地下鉄にのって
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平成元年の新宿・女装バーで③

2024年01月29日 | 私的東京女装史
厳密にいうと平成元年ではありませんが、Jの思い出です。


ある夜、武道館でライブに参加し、火照った心と身体のまま九段下駅に着きました。
「このままじゃ帰れねえゃ」
本当は東西線に乗るところ、新宿線に乗り新宿3丁目駅で下車。
そのまま、Jに入りました。
Jは都営新宿線の新宿3丁目駅の真上なんですね。
カウンター内のママ(だったでしょうか)にハイボールを頼んで、今日のコンサートを熱く語っておりました。
すると、隣にいた男性が「ええっ、〇〇さんのコンサートいったんですか?」と声をかけてきました。
「いやぁ、よかったですよぉ♪」
「いきたかったなあ、セットリストはどんな感じでした.....」
なんて話が始まりました。
Jで武道館コンサートの話ができるなんで思っていませんから、これは本当にうれしかったですね。
さすがは新宿。
女装だけではないのです。

ここまで書いてきて、曲をリクエストしていいですか。
リクエストは猫の『地下鉄に乗って』です。

猫 地下鉄にのって

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平成元年の新宿・女装バーで②

2024年01月28日 | 私的東京女装史
承前です。

その後、M子さんとは数回デートしました。
1度は私の地元に来ていただきました。
可愛い女装子さんと近くの公園のベンチに並んで座り、何気ないおしゃべりをする。
周りの人から見れば何気ないカップルのデートですが、
私たちにとってはとんでもない非日常。
これで二人の火柱は高まり、私の狭いアパートで抱き合いました。

その後は自然に連絡はとれなくなりました。
(なにせ携帯もSNSもない時代でしたからね)

数年後、週末にふらりとはいったJ。
店内を見渡すとU字カウンターの向こうに美人女装子がいます。
それがM子さんでした。
さらに美しくなられていました。
彼女も気づいたようでしたが、お互い目であいさつしただけ。
後から「お持ち帰りすればよかった...」と悔やみました。

その後、彼女は女装界隈から姿を消したようです...

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平成元年の新宿・女装バーで①

2024年01月25日 | 私的東京女装史
1989年1月7日に天皇陛下がなくなり、平成が始まりました。

初めて女装子さんとデートしたのが、この年の夏。
くいーん誌でスリムでレオタードがよく似合うM子さんを見つけました。
だめでもともととお手紙を書いて、アント商事気付で送りました。
待つこと1か月。
「だめだったかな....」とあきらめかけた頃、アパートの黒電話がジリジリと鳴ったのです...。
「お手紙ありがとうございます....」
きたぁ、M子さんだ。

待ち合わせは翌週の土曜日夜7時。
場所は新宿伊勢丹前の地下鉄出口。
「目印は...」
「多分わかると思いますよ、他の女の子たちとは少し違うから」

心を弾ませて、伊勢丹前で待ちましたが、なかなか彼女はやってこない。
夏至近くの長い昼が終わりかけたころ、美女が現れましたのです。

こちらは天まで上るきもちです。
近くの喫茶店でコーヒーを飲み、タクシーを飛ばして渋谷にでて、パブでカラオケを歌ったり。
そして肩を抱いて道玄坂を上りました。

短い夜が明け、彼女は朝日の中を新宿に帰ってきました。
そのタクシーを見送る私はまだ夢を見ているようでした。

えっ? この話に女装バーが出てこないって。
M子さんはバーJの着替え部屋の会員でした。
私にすぼっかされたら、そのまま新宿3丁目駅ちかくのJに行くつもりだったそうです。
まあ、セカンドプランを作っておくことは大切ですね。
それとメールも携帯もない平成元年、待ち合わせに現れない男も何人かはいたのでしょうね。
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