女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

女装妻としてフルムーン旅行②

2024年08月31日 | ★女装体験記
そして由貴さんは時雄さんと浅草駅から東武特急で日光に旅立ちます。

 東武日光への車中「由貫 口じゃ言いづらいからこれを見て」
 一枚の便箋「二日間は僕の妻として完璧な演技をして下さい。もちろん精一杯の演出をさせてもらうから……云々」
 字数は少ないけれど小さなハートが締めつけられるような彼のひた向きさに悦びを感じとり、彼の顔をじっと見て「頑張ってあなたの妻になりきってみせます」
 返事の替わりに「うむ!」 私の頬に手をかけ肩を引き寄せます。
 少し汗ばんだ手をぐっとにぎり、心の太い絆が赤い糸で結ばれていくのが判ります。

 終着駅は小雨にしっとりと濡れていて半袖ブラウスとタイト姿では肌寒く宿を早めに探さなくては。
 ふたりで電話ボックスに入り,”るるぶ栃木″からランダムに電話番号を伝える私に彼はピッポッパと。
 二人三脚の夫婦の和。結局宿はあいていません。でもこんになところにも小さな幸福があるんですよね、一生懸命探してくれている彼に感謝。
 しかたなく宇都宮に宿をとる事になりました。東武からJRの駅へ。しっぽりと相合い傘でお互い手を携えながら……

 築数十年の駅近くの旅館。宿帳にしっかりと妻由貴恵と。ここにも幸せを見つけました。
 宿の主人「家族風呂もうあくからおふたりでどうぞ」「はい」と私。二階の今時めずらしい格子の戸を開けて部屋に入ります。
 仲良く敷かれた布団がふたつ。
 浴衣に着がえ、なにげなく彼が私の唇を奪います。ファーストキスはあっ!というまに。
 「由貴恵お風呂入ろう」
 旦那様の幅広い肩や背中を流してさし上げます。
 前も……恥ずかしいわ……(天の声……初めてじゃないのに)
 ゆったりした湯舟にふたりでつかり、彼の膝の上にちょこんと。優しく激しいペッティング。
 部屋に戻り三つ指ついて床入りの儀式。
「こんな由貴恵ですが末長く可愛がって下さいね。お願い致します」
 彼は首を縦にふり「うん、こちらこそ」
 桃源郷の奥深く二人の体は沈んでいくのでした……

 翌朝、朝食時「奥さん、おかわりあるからね」「はい!」
 彼は昔来た事があるこの旅館の近辺についておかみさんと昔話に花が咲きます。私も彼と一緒の輪の中と安堵感が。
 小さな便箋の大きな役割をはたして女装冥利に尽きる思いです。
 女装の演出はエスコートの方の協力が大とつくづく考えさせられました。
 ありがとうあ・な・た。
  ♡   ♡
 久し振りに晴れた日曜日、ふたりは今、御苑に来ています。
 近くで買ったお弁当。「あなたのなめこ汁おいしそうね」
 一ロつけた彼のカップ「こっちのがおいしいわ」
「全部いいよ」
「じゃあ、私のしじみ汁あげる」
 こんな場面を夢に抱いた由貴恵ですもの。
 幸せの絶頂!
 私の膝枕で今回依頼されたこの原稿。
 ふたりで案を練り合いながらいつまでもいつまでも語り尽くせぬ中秋の青空の下、私の恋焦がれる思いが天まで届くのを祈りつつ、この大きく怖いシークレットの趣味をいつまでも支えていってもらいたいわあー。あなた! お願い!

 東京ラブストーリーのリカか、はたまた101回目のプロポーズの薫さんかしらね。
 結末は。でも始まったばかりのINGの愛のプレリュードだから……。
   『くいーん』1992年2月号


>部屋に戻り三つ指ついて床入りの儀式。
>「こんな由貴恵ですが末長く可愛がって下さいね。お願い致します」
>彼は首を縦にふり「うん、こちらこそ」
1992年は既に平成です。
でも、このような古風な新婚初夜の作法をする由貴さん。
素敵ですね。
こういう風にされたら時雄さんもメロメロです。
1泊2日の女装妻を無事にやり終えた由貴さん。
たいへんだったと思いますが、とてもうれしかったのではないでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女装妻としてフルムーン旅行①

2024年08月30日 | ★女装体験記
1992年の『くいーん』編集部はエッジの効いた企画を立てましたね。
熟女装子さん&女装子愛好熟年男性のカップルお二人にそれぞれ旅行記を書かせるのですから。
前回は時雄さんの旅行記をご紹介しました。
今回は女装妻の由貴さんです。


愛のプレリュード  由貴”恵”
 『梅雨には紫陽花が良く似合います。そしてたぶん由貴様はこの花がお好きなのではないかと想像しております』
 少し気障なセリフと『自称オバタリアンで結構。普段着の貴女様で御交際下さい』正気なセリフ。アンバランスの魅力を持った一通の回送の手紙。クィーン誌を通して私の事一挙手一投足、事細かに綴られていて心の中が見透かされているようで怖い。でもとっても嬉しい女心!そんな彼と知りあってもうどのくらいたったのかしら……。
    ♡   ♡
 新宿にあるMY喫茶店。緑色のノースリーブの胸に小さなバラの飾りとフレアースカート姿、女性セブンを読みながらお待ちしておりました。
 背の高い恰幅の良い紳士が目前を通りすがりにチラッと見ていった気がしましたが、その男は店から出て行ってしまいました。
 「たしか12時だったわよねえ!」と一人でぶつぶつ。彼の顔も判らないし、彼もまた私の事クィーン誌の写真でしか知らないし、一方通行の出会いの場。その時再び先程の紳士が私の方に近づいてきます。「失礼ですが由貴さんですか」「はい」「初めましてTです」「あら先程私の前を通りましたわよね」「たしか茶色のスーツ姿と御返事に書いてあったものですから」あっ! たしかその事書いた記憶がありましたが、今日は暖かくついノースリーブ姿で来てしまいました。いつものドジ由貴らしいわ「どうもすいません。」

 こんな会話から始まった初デート。
 クィーン誌、風俗奇譚等、今昔の女装談議に尽きぬおしゃべり。初めての出会いにもかかわらず意気投合。話しは尽きません。時折上下するコーヒーを飲む手がこきざみに震えています。
 あらっ?この男純情なんだ!
 この男なら永くお付き合いできると直感しました。

 何回目のデートの時だったかしら「由貴さん旅行に行けるかも」「本当! 嬉しいわ」
 なかなか手もにぎってくれない彼に淋しい気もしていた矢先でしたからとっても心がときめきます。
 その日の散策はいつもより親密さを加えて、腕をしっかりとからませて彼のその横顔をみながら幸せ一杯の溜息が声もなくでます。少し高めのヒールをはいても釣合いがとれるし、どのようなカップルとして行き交う人達には見えるのかしら!
  『くいーん』1992年2月号


>なかなか手もにぎってくれない彼に淋しい気もしていた矢先でしたからとっても心がときめきます。
時雄さんも純情だったのですね。
そこに由貴さんが惚れたのかもしれませんが、押すところは押さないといけません.....。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去最強クラスの「台風10号」に気を付けてください

2024年08月29日 | 女装子愛好日記
大型台風が九州に上陸します。
この後、日本列島を横断する予報が出ています。
台風進路だけではなく、この影響で各地で大雨被害が予想されます。

みなさま、お気をつけてお過ごしください。

過去最強クラスの「台風10号」上陸前に既に各地で被害が!その影響は全国各地でも!|TBS NEWS DIG
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女装妻とのフルムーン旅行②

2024年08月28日 | ★女装体験記
こうして初々しい時雄さんと由貴さんのカップルが出来上がりました。
時雄さんはぞっこんなのが文面からわかります。

 取り敢えず日光江戸村を目指すことにして出発。
 浅草からの特急ロマンスカーが素敵だった。フルムーンカップルにとっては絶好のシチュエーション。座席で初めて手を絡ませた。小さな手の先の綺麗にマニキュアされた細い指達、その可愛さに私は思わず大きな手で握りしめてしまった。私の手の中にすっぽりと包み込まれる程に彼女の手は小さい。温もりが伝わって今宵を予感させる。
 
 甘やいだ気分のまま日光駅に到着。本降りの雨の出迎えである。予約宿のない俄仕立ての夫婦は、旅行案内書に載っているホテル全部に電話を入れたが、空部屋は一つもない。三連休の中日だから世界の観光地たるものこれで当然なのだろう。
 仕方なく宿は宇都宮にとった。お陰で相合傘のチャンスが生まれ、彼女の用意した女物の傘の中に入って私は彼女の腰に手を廻し闇にまぎれて強く抱きかかえながらJRの駅まで歩くことが出来た。

 宿は和風旅館であった。2階建の小さな駅前旅館である。ビジネスマン用だろう。
 宿帳には勿論夫婦名を記入して部屋に案内された。
 和室の夫婦床が既に用意されていた。彼女はこれがひどく気に入ったらしい。門限近かったが近くのスーパーで飲物やつまみ等買い込み、飲み且つ喰べながら更け行く夜のオシャベリを楽しんだ。
 彼女は話し好き、私は聞き好きである。小さくて可愛い手や、指先を使ってジェスチャーたっぷりに話す由貴さんの話しを聞くのが私は好きだ。おちょぼの口元が可愛くてそこを見詰めながらチャーミングな彼女の話しを聞くのが私は好きだ。
 やがて入浴を共にし、雨の夜は激しく、そして静かに時を刻んで行った。

 食事の連絡を受けて私は寝間着のまま階下の食堂へ降りた。彼女は遅れて来たが、身繕いも出来上り、昨日とは衣裳を替え又昨日にも優る綺麗なお化粧顔で、給仕の女将に挨拶しながら入って来た。
 女将は私の妻に何の疑念を抱く様子もなく私との世間話しの相手になっていた。部屋に戻ると寝具は綺麗に整理されていた。彼女が遅れて食堂に来た理由が判った。昨日脱ぎ放しの筈の私の服は衣紋掛を使ってきちんと片付けられていたし、今又着替えのために脱いだばかりの私の寝間着も直ぐにたたんで自分のと一緒に部屋の隅に片付けた。妻の気遣いだ。嬉しい。とても嬉しかった。部屋を後にする時も彼女は一足後れた。遺漏のないようにと点検したのだろう。
 そしてこの後、新幹線を利用して帰京し、映画を観て一泊二日の旅は無事に終ったのである。

 彼女の人柄を慕う悩み多い同好者は増えるばかりのようだ。男性の社会的基盤を持つ彼女の限られた時間で、その全てに対応し切ることは不可能に思われる。そんな多忙の中、色褪せたTV愛好家に貴重な時間を割いてくれる好意には、只々感謝感激あるのみ。恥を偲んで拙文を認めた次第である。御笑読あれ。
    『くいーん』1992年2月号

>宿帳には勿論夫婦名を記入して部屋に案内された。
お忍び旅行で宿に泊まるとき、宿帳に連れの女性を妻と書くときの嬉しさととまどい。
私もよくわかります。
これから訪れる「愛の確かめ合い」に心が高まるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女装妻とのフルムーン旅行①

2024年08月27日 | ★女装体験記
先日、国会図書館で『くいーん』のバックナンバーを机に積み上げて読み込んでいたところ、熟年のカップル(時雄さんと由貴さん)の旅行記を見つけました。年齢は熟年でも高校生の恋愛のような初々しさが感じられる素敵な旅行記です。
くいーん編集部も工夫をして、最初に時雄さん、そして次のページに由貴の文章を載せています。
女装妻とのフルムーンが男女(女装子)の両面から描かれるという興味深いものになっています。
今日から4回にわたりご紹介します。

〇フルムーンカップル記
 神奈川 時雄(仮名)

 デートの約束もOK、との返事がいきなりくるなんて思ってもいなかった。もしかして担がれているんではないか。半信半疑で指定の喫茶店まで出向いた。と、いるではないか。Q誌で見馴れ、実に2年以上もの間、ひそかに憧れ続けて来た彼女が、白いテーブルの前に、端然と座っているではないか。ドキドキッ。
 ”由貴さんですか”震えて上ずった調子は声にはなっていなかった。本来なら男と男の対面、何の事はない筈なのに、この激しいときめきは一体何なのか。
 ”はい”の返事があったのだろうが、彼女がその時何と答え、私がその後付を続けてしゃべったのか記憶には全くない。とにかくこの日の来る事をいかに焦れ待っていたかを、私は支離滅裂ながら誠心誠意、懸命に訴えていたに違いない。
 彼女との事実上の交際は、このようにして始まったのである。

 “御苑にでも行きましょうか”彼女の冷静な言葉に促されて、正気をとり戻した私は腰を上げた。支払いを済ませた彼女の後に従う私。デートの費用を女性に負担させるなんて、男として最低ではないか。垢抜けない旧世代の哀しさで、やることが、土台野暮とは自認しているものの、何とも情けない次第である。反省!
 
 メトロプロムナードで行き交う人々の中を、彼女は臆せずに堂々と歩く。グリーンのV襟ノースリーブのセーターに花柄模様のフレアースカート姿の彼女、不審の目を向ける者は1人もいない。周囲に調和して違和感は全くない。
 私達はフルムーンカップルである。女性を演じる彼女の表惰に幸福感が溢れる。共感の悦びは、男性役の私にも当然沸沸と湧く。歩きながら、時折、腕が触れ合う。ビリビリッと電気が走る。官能の刺激。古い世代の私には到底無理だが、もし、若い世代なら、こんな時どんな行動に出るのだろうかと思う。
 エスコート役に不慣れの哀しさ。彼女より後れて後姿を見る位置に立つことがある。V襟で露出した背中の部分が和装美人の抜き襟の色気を漂わせて嬉しい。カップルの記念写真を撮り、暫く歩いてから帰途につく。電車の中、向かいの席の老若男女は全然私達に注目しない。彼女は満足なのか。不満なのか。私は大満足、実に痛快である。もっとも私の所為ではないのだが。

 四度目のデートで幸運にも一泊旅行が実現した。女神が私達に微笑んでくれたのだ。計画性はゼロだったが、収穫は多かった。行き先未定の旅行にはアバンチュールが期待出来る。彼女のようなハイレベルの女読者には未知の不安が魅力となって気分も高揚するだろう。
 『くいーん』1992年 2月号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人女装子・恭子さまのビキニ

2024年08月26日 | ★youtube
おはようございます。
青い空の朝です。
少し秋の感じがしますね。
ただ、この蒸し暑さ。
台風の影響でしょうか。

今年は海にもプールにも行きませんでした。
水着を見る機会がない寂しい夏でした。

そこで美人女装子の恭子さまのビキニを見て気を紛らわしております。
スウィートルームでのビキニ、これからホテルのナイトプールを楽しまれるのでしょうか...。

Crossdresser Kyoko, Striped bikini (Emerald Blue)_video
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の女装子・JINAさんが海水浴に行っています

2024年08月25日 | ★youtube
おはようございます。
今日も蒸し暑いですね。
私は今夏はバタバタして海にもプールにも行きませんでした。
8月も今週で終わり。
海に行けなかった寂しさをJINAさんの水着で紛らわします。

At the beach wearing a swimsuit, jina crossdresser
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音のない世界のナナと遠慮せず、話し合ってみましょう

2024年08月24日 | ★女装体験記
おはようございます。
台風の影響か蒸し暑い朝です。
来週は台風が直撃でしょうか。
会社も大騒ぎになります。

ろうあ者のナナさんの手記を読まれていかがだったでしょうか。
「音のない世界のナナと遠慮せず、話し合ってみましょう」
私はこのメッセージがとても印象に残りました。
言葉というコミュニケーション手段がないと健聴者はとまどいます。
しかしそれを乗り越えてどのように話し合うか、それを考え行動してみることが本当に大切です。

話は変わりますが、1990年代「ピーチ倶楽部」の集会はシティホテルのスウィートで行われていました。
現在ほどスマホもSNSも普及していなかったので、集会の部屋番号はNTTの伝言ダイヤルに主宰者が口頭で吹き込んでいました。
「本日のピーチ倶楽部の集会は1234号室です」のようにです。
これを聞いて,女装子さんも女装子愛好男子もフロント前を平気で素通りしてその部屋に参集します。

ある日、倶楽部の掲示板に「私はろうあ者なので伝言ダイヤルが聞けません。でも集会に参加したいのですが、どうしたらいいですか」という書き込みがありましたが、即座に何人の方からサポートの申し出がありました。
「こういうところがピーチ倶楽部のメンバーのいいとこだなぁ」と感動した記憶があります。
集会当日、ろうあ者の彼(20代前半の爽やかないい男でした)は嬉しそうに女装子さんとコミュニケーションを取っていました。(寝室での酒池肉林まで参加したかどうかは不明です)

女装を楽しむ、女装子さんと楽しむということはどのような人にも平等でありたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ろうあ者のナナさんの手記~1992年の『くいーん』から③

2024年08月23日 | ★女装体験記
そしてナナさんは東京神田のエリザベスを訪問します。


 話はへそ曲がりしてしまったけれども、EL(エリザベス)館で貴男も美しくなれる、というのが雑誌に載っていました。
 私はそれを読んでいても、具体的にはわかりませんでした。EL館は東京にあるということは知らなかった訳です。
 私は一応EL神田店へ行ってみました。その店員とは話が通じなくて困ってしまいましたが、とにかく、5Fの女装広場に上がってみました。なるほど、何人かの男性が女に変身して楽しいイベントがあることを初めて知りました。私のような女装趣味の人が大勢いてとにかく、驚きました。

 シンデレラのような白いワンピースを着て鏡派の西洋的女性を女装しました。
 西洋的女性のナナは普段の女装しているより、美しく、可愛くなっていて自分でもびっくりしていました。当時、『ナナ』という女装名がありませんでした。
 女装名があるということは知らなかったし、女装名を決める準備もありませんでした。

 家へ帰ってあのEL館は良かったので又、行きたいし、女装名を決めようと思いました。
 ところが、なぜかわからないけど、一年後にEL亀戸店に変わりました。初めて新しく買ったツーピースのスーツやハイヒールなどを自分で持ってEL店へ走りました。淡いオレンジ色のスーツを着て、外出派のOL的美人を女装しました。ようやく、女装名『ナナ』と名付けました。

 この辺で筆を置きますが、私は16年間、色々体験してきましたし、本当に楽しく、幸せな人生でした。
 アマチュア女装者として、素晴らしい女装ライフをおくれるように目指します。
 2ケ月に1回は、EL亀戸店にいますので、音のない世界のナナと遠慮せず、話し合ってみましょう。
 ナナは明るい女性です。ナナが聞く場合は、相手の口を見ながら聞くのです。だから、ゆっくりとはっきりした口形で言って下さいネ。   長野 三輪 ナナ
   出所『くいーん』1992年12月号


この投稿から32年という時間が経っています。ろうあ者のナナさんはどのような人生そしてどのような女装ライフを過ごされてきたのでしょうか。
現在も素敵な女装者そして生活者であられることを願うばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ろうあ者のナナさんの手記~1992年の『くいーん』から②

2024年08月22日 | ★女装体験記
小学生のナナさんはろう学校に通学するために1時間30分もかけていたのですね。
東京都豊島区大塚に都立ろう学校がありますので、私もそこに通学する聴覚障害の生徒さんを時々見かけます。

手記の続きです。
 高校生になった頃は、大人の体になってきたけど、ランジエリーをつけ、婦人服をを着、化粧までしたことがあります。
 当時は洋服を買う勇気がなく、しばらくはおふくろのものを使ったのです。洋服を買う方法を色々考え、工夫しました。
 お店の婦人服セールで商品を見ている時に、女店員が「いらっしゃいませ。何でございますか?」と尋ねたら、私は「買いません。ただ見ていていいですか?」
と言って、その店員はあっちへ行ってしまいました。欲しい服はあるけど、迷っていて買わずに帰ってしまったことがあります。一着だけ買ってみようと覚悟しました。が、買おうか買うまいかと迷いながら、止めてしまったことが何回もあります。買う決心がついた時は、エリマキトカゲのようなブラウスを一着、買いました。その時はドキドキが激しかったので、抑え切れずに買ったのです。

 それは初めての体験でした。スカートの件は自分で作ったことがあります。学生ズボンとジーンズを用い、スカートを作りました。変な作品でしたけど、いい体験でした。バストが大きくなる為には、新聞紙半面か一面を丸めてブラジャーの下に入れておきました。

 私の母校ろう学校を卒業し、立派な杜会人になり、会社に勤めてお金をもらいました。それは、女装する為に使うことは全く、考えておりませんでした。卒業した同時に協会の支部会員に入り、そのお金を使って活動しました。おかげで、女装する機会が今までより少なくなってしまいました。協会活動の人生と女装人生とも両方として歩んでおります。

 何の為に協会に入会しなければならないというと、耳の聞こえない人間は普通の人間より辛い人生が2、3倍あります。
 例えば、交道法88条や民法11条などの法律で障害者に関わる差別であり、不満な点がたくさんあります。社会差別をなくすようにする為に運動を進めるという訳です。今でも、残念ながらマンネリ状態であります。でも、耳の聞こえない人達も頑張って活動運動をしているようです。支部の中には聞こえない地域の人と集まって専門部活動しています。例えば、青年部、体育部、文化部、交通対策部などのイベントとして参加し、活動しています。他には、手話サークルも手話のろうあ者先生が健聴者(サークル会員)に教えてやっています。手話を教えるだけでなく、イベント企画にもあります。耳の聞こえる人と手話で交わりながら交流をやっています。本当に女装よりも支部活動の方が最も楽しいです。(続く)

ナナさんのお写真です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする