昨日は女装ビデオの整理をしようと思ったのですが、
整理したのは女装関係の本でございました。
私の「秘密の本棚」にはいろいろと女装関係の本が隠してあります。
見つかると大変です。
こうした本はこんなときでもないと整理できません。
さて、整理の途中に手を止めてしまって読みだしたのが『『戦後日本女装・同性愛研究』(矢島正見編著 中央大学出版部刊)です。
このなかに名古屋の美島弥生さんのインタビューがありますが、彼女がお付き合いした女装さんがとんでもないお偉いさんだった話がありました。
「富貴クラブ」の会員では,春日妙子56)という女装者が,よくここの観光ホ
テルに泊まりに来ました。もうお亡くなりになったから時効ですけど,東京の
経団連のおえらいさんで,何ヵ国語もしゃべるエリートでした。名古屋に出張
に来ると,本当なら名古屋に泊まらなきゃいけないのに,わざわざここの観光
ホテルを取って,「今日泊まっているから来てくれんかね」と,私を呼び出す
んです。しかたないから荷物をもっていって,ホテルの部屋で女装をしまし
た。向こうはすでに女装して待っているんです。ものすごい好きな人でした。
妙子はレズビアンの気がありましたけど,私はそういうのはまったく受けつ
けないから,性的、な関係はありませんでした。私は純粋なオネエですから,両
刀というのは難しい。それから,男でも女装する男はだめです。「どんで
ん」57)の人はだめです。
妙子は,奥さんに秘密にしていたんです。だから,外に出ないと女装できま
せんでした。衣装も家には置いておけませんから,おそらくロッカーでも借り
ていたんでしょう。都会の人ほど,家族に内緒でやっていたように思います。
私に言わせれば,都会の人は見栄っ張りなんです。体裁をかまえすぎるんじゃ
ないかと思います。そんないい格好したってしょうがないと思うのですが,と
にかく女房に秘密でやれることなんて,この世の中にひとつもないです。そん
なのはいつかは破綻します。だから,私は友達ができたら必ず「奥さん公認で
すか」と聞くんです。だって,家族に内緒にしていたら,手紙一本だって気を
遺うでしょう。
私がつき合っていた人は,家族がわかっていた方がほとんどでした。奥さん
に内緒という人はわずかでした。だから,家族ぐるみでおつき合いをしまし
た。
出所『戦後日本女装・同性愛研究』(矢島正見編著 中央大学出版部刊)所収
「美島弥生のライフヒストリー」から
>経団連のおえらいさんで,何ヵ国語もしゃべるエリートでした。
経団連のおえらいさんということは、上場会社の社長さん以上ということでしょう。
この方、女装を楽しむのにだいぶ苦労されたのではないでしょうか。
でもその困難を乗り越えて「女」になる。
そこが楽しいんですよね。
脚注も入れておきますね。
56)春日妙子 演劇研究会の会員(女装者)。富貴クラブでは湯島ゆり子と名乗る。
『演劇評論』に「妻の留守」(19~20号),「一日チンドン屋」(23 ・ 24号),『風俗奇
譚』に「あたしの女装生活ありのままの告白」(1961年2月号)などの手記を執
筆。また『風俗奇譚」1962年9月~1963年12月号に「女装講座」(4回連載)を,1963
年1月~2月号に「女装するときの和服を着るコツ」(2回連載)を執筆した。こ
の内,「女装講座第4回」と「和服を着るコツ」の写真モデルは美島弥生である。