ある女装子さんの書き込みに目を止めました。
女装子さんが初めての男性とベッドで肌を合わせる。
初めてだから、相手も女装子の自分のことがわからない。
いろいろと愛撫してくれる。
気持ちいいところもあるし、痛いだけのところがある。
口で表してしまうと、せっかくの閨房が白けてしまうかもしれない。
そこで彼女は、彼をリードする。
きもちの良いところは喜悦の声を上げる。
そうでないところは、優しく彼の手を違うところに導く。
本ブログご愛読の皆様も思い当たるところがあるのではないでしょうか。
これをよんでふと思い出しのたが、ずっと前に読んだ『猪木寛至自伝』。
そうアントニオ猪木の自伝です。
そのなかで、猪木は「プロレスはセックスに非常によく似ている」と書いています。
遠藤幸吉の知人で吉田という古いプロモーターがいた。日系二世で力遠山時代から各地にネットワークを持っている人だった。
彼からカナダにインド系の面白いレスラーがいると言って来た。それで資料を入手して、呼んだのがタイガー・ジェット・シンである。
ジェット・シンはもともとオーソドックスなレスリングをする正統派の選手だった。だが、彼が持っていた狂気を私が引き出していくと、彼は凶暴な悪役に変貌を遂げた。
ジェット・シンが狂うほどに、観客は熱狂した。私とジェット・シンの試合は話題を呼び、怖いもの見たさで観客が詰めかけるようになった。私も彼もどんどんエスカレートして行った。私も彼の腕を析ったこともあるし、彼も私を血ダルマにした。ついには試合会場でも何でもない新宿の伊勢丹前で、買い物をしていた私たち夫婦をシンが襲い、警察沙汰になったこともあった。
誤解を怖れずに言えば、プロレスはセックスに非常によく似ている。体を通して互いに刺激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。相手もまた様々な技術で応酬してくる。いい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と解放感を得ることが出来る。プロレスの場合、それを支える観客の視線も必要条件になる。
私にとってジェット・シンはいいセックスが出来る相手のようなものだった。闘うほどにテンションが上がり、快感が増して行くような感じで……私も燃えたのである。セックスはどうかわからないが、格闘技では身体に残った感覚は消えない。闘って「こいつは凄い」と感じたことは絶対なのである。
出所『猪木寛至自伝』
体を通して互いに刺激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。
相手もまた様々な技術で応酬してくる。
いい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と解放感を得ることが出来る。
猪木さんは素晴らしいことを言いますね。
これは冒頭の女装子さんの書き込みとも通じるものがあるのではないでしょうか。
セックスはコミュニケーションでもあります。
相手の身体、心、想いを相互に思いやることで、高みにのぼり、二人で一緒に天国のドアを開けることができるのです。