(在りし日の“へばなさん” 『雨のブルベ(BRM808 宇都宮300km)』より)
去る12月20日、わたしが自転車の師とあおぐ伝説のママチャリライダー“へばなさん”が帰らぬ人となりました。
【“へばなさん”との出会い】
54歳の時、たばこを止めて太りだしたわたしは「自転車ダイエット」に手を染めます。そして、少しずつ距離を延ばせるようになってきたわたしは、更なる高みを目指してWebをあさります。そのとき、偶然出会ったのがママチャリでブルベという自転車の競技に挑み続けている“へばなさん”のブログでした。
ブログを通じてのやりとりから、『BRM802 宇都宮600km』(宇都宮~宮城県名取市の折り返し)に参加する“へばなさん”が、2008年8月3日に福島県内を通過することを知ります。そこで、わが家から一番近い通過点にあたる20キロ離れた田村市船引町のセブンイレブン船引門鹿店で、ママチャリで600キロを走るというとんでもないことに挑戦する“へばなさん”を「待ち伏せ応援」したいと思ったのです。
夜中に車を走らせてセブンイレブンの駐車場で待つことしばし、深夜2時ごろにママチャリの“へばなさん”と首尾良くお会いすることが出来たのです(ことのいきさつは『BRM802 宇都宮600km』折り返し速報!! で紹介)。この出会いで“へばなさん”から大きな衝撃を受け、幼少のころから運動ぎらいで運動オンチ、しかも出不精のわたしがブルベに手を染めることになったのでした。
【初めて“へばなさん”と一緒に走った】
初めて知ったブルベという自転車の競技。参加者が順位を争うことは無く、決められたコースを設定された時間内に完走すればOKという、言わば自己完結型のチャレンジというところもいたく気に入ったのです。しかし、ブルベの競技団体(Audax Japan)が福島県には無くて宮城県か栃木県かの選択になりましたが、わたしは迷わず“へばなさん”の所属するAJ宇都宮に参加を決めました。
そして2009年4月18日、初めてのブルベ参加(BRM418宇都宮200km)で不備なことも沢山ありましたが、“へばなさん”が必要なことをあれこれと教えてくださったので安心して走ることが出来ました。このときのことは「伝説の“へばなさん”と走った!(初ブルベ参戦記その1~その3)」でも紹介していますが、“へばなさん”の自身のペースを決して崩さないマシンのように正確なペダリングにいたく感動したのを覚えています。
【その後も“へばなさん”と一緒に・・・】
雨のブルベ(BRM808 宇都宮300km)
とてもいい日の梅の香ブルベ(BRM314宇都宮200km)
応援に行く・・・(BRM507宇都宮400km)
“へばなさん”は走る・・・(BRM707宇都宮600km 試走)
そして、わたしは徐々に自身の体力の限界を感じつつ、ブルベからより身近なイベントへと移行した後も、“へばなさん”とのブログを通じての交流は続けさせていただいていました。
そして、今年わたしが脳梗塞を発症して入院中だったときも・・・
『しばらくご無沙汰していましたが、kojiさんがこんなことになっていたとは、夢にも思いませんでした。
でも、持ち前の元気で順調に回復されているとのことで、安心しました(^^)v
kojiさんの前向きな姿勢は、私にとっても良い刺激になります。お互い、病の克服を目指して頑張りましょうね(^^)/』
と、ご自身の病を押して励ましの言葉を下さっていました。それが先日、“なでら男さん”から“へばなさん”の悲しい出来事を知り、しばらく更新の滞っていた“へばなさん”のブログに『皆様ありがとうございました』という記事を見たときは信じられない思いでいっぱいでした。
これまでのわたしの人生において、最も影響のあった人10人を選定したとすれば、“へばなさん”あなたは間違いなく5本の指に入るでしょう。“へばなさん”との出会いは、出不精で運動嫌いのわたしを、車に自転車を積んで深夜に宇都宮まで出向かせるほどの変化をもたらしてくださったのですから・・・。“へばなさん”本当にありがとうございました。そして安らかに・・・。
これからも、走り続けることがへばなさんへの大きな手向けとなることでしょう。
それぞれの方々がお持ちになっている沢山の想い出と共に、今は“へばなさん”の旅立ちが安らかでありますよう祈っています。
“のりさん”ありがとうございます。
kojiはこれからも“へばなさん”と一緒に走り続けます。
“へばなさん”のブログを読み返してみると、冬期間から花粉症で室内に籠もっているころ、体調が優れないのは太陽光を浴びていないからだとお考えになりたかったようなところもあり、これがなお切ないです。
わたしも10年前に3才上の兄を亡くしていますし、自身はこうして2年続きでトラブっていますから、生身の人間は何があっても不思議じゃないと覚悟は決めていますが、こうして関わりのある方々を次々に失うのはとても辛いものがあります。ただただ残念です・・・。
ブログをきっかけに交流が始まったんですよね。
お二人とも、心の中で、何かが響き合ったということでしょう。
亡くなってみて、いっそう輝きを増すのが真の友人。息づき、ぬくもりを知っているから、余計に惜しまれるんですね。
ブログの本文中にも書きましたが、人生が変わってしまうほどの衝撃を受けることってそうそう無いことだと思うんです。それが“へばなさん”との出会いでした。
ママチャリで600キロ走るなんて、わたしの常識の中には全く存在していませんでしたからね。
結果をいえば、わたしは“へばなさん”のように何百キロもママチャリで走れるようになりはしませんでした。それでも“へばなさん”と走ったブルベ等を通して、運動嫌いで出不精だったわたしが自転車で走ることの楽しさや爽快感、疲労を伴った充実感などを体感することが出来たことはとても素晴らしいことだったなと思っているのです。
“へばなさん”は誰にでも親切でやさしく、決して自分を飾らない人でしたからね。そんなところも自転車仲間をはじめとして多くの人たちを惹きつけ親しまれてきたんだと思います。
そんな“へばなさん”がわたしにとっては自慢の種なんです。
kojiさんのブログからへばなさんの存在を知りブルベに挑戦したり、試走の応援に行ったり、へばなさんの地元まで遠征して一緒に走ったりと思い出がいっぱいです。
へばなさんはきっと天国で楽しく自転車に乗っていることだと思います。
自分はブルベからは遠ざかっていますがマイペースで自転車を楽しんで乗る所存です。
本当に今回の件は残念でなりません。
突然失礼いたします。
koji様が兄を待っていてくださった時のことは当時兄から聞いた記憶があります。兄にとっても驚くと同時にとても嬉しかった出来事のようでした。私はまったく自転車に関しては門外漢ですのでママチャリで長距離を走るなんて想像すら出来ませんが自転車を通して皆様と培った友情は兄の人生の原動力だったと思います。私は現在兄の事後処理に追われていますがこうして自転車仲間のブログを時々訪問させて頂くと私の知らない兄に会えるようで本当に癒やされます。写真もプリントさせてくださることお許しください。
koji様の体調が一日も早く元に戻りますようお祈りしています。ありがとうございました。
“へばなさん”は人々を惹きつける不思議な力を持っていましたよね。それを人柄っていうのかも知れませんが、自転車一つをとってみても魅力たっぷりでしたね。
思い返すと、“ロンリーHさん”といっしょに“へばなさん”の試走に同行して以降、わたしは直接お会いしていないのです。
昨年来、胃がんの手術をした草加市の病院へ定期検査に通っていましたので、大平山というところに行ってみようかななんて思っていたんです。
“ロンリーHさん”コロナに気をつけながらお仕事頑張って下さいね。
本当に残念です。
わたしも、いまから10年前になりますが3歳違いの兄を白血病で失いました。兄がちょうど60歳になろうというときでした。何を恨んでいいか分からず、とても口惜しい思いをしました。
“へばなさん”は人生を熱く突っ走って燃え尽きたんだと思います。きっとそうだと思います。
ですが、“へばなさん”はみなさんの心の中で、ネットの中でこうしてちゃんと走り続けています。硬く浮き出たヒラメ筋から繰り出される規則正しいペダリングで・・・。
“文夫さん”自身とてもお辛いなかで、わたくしの身体のほうまでご心配をいただき本当にありがとうございます。
ブログの中でお役に立つことがあれば、必要なだけご自由にご利用下さい。わたしもとてもうれしく思います。