(2015.2.11 小野町ふるさと文化の館)
ネットで小野町の情報を見ていたら、なんと美術館があるらしいのです。
『田村地方唯一の美術館。毎年企画される特別展は地域に根差した作品を展示し、好評をいただいています・・・』とあります。それに、郷土資料館や丘灯至夫記念館などもあるようなので、“ワイフ君”とドライブがてらに行ってみることにしたんです。
オシャレな建物、ここが“小野町ふるさと文化の館”。図書館や美術館があるようです。
建物のある敷地の一角には、小川の流れるこんな庭園も配してあります。
“ふるさと文化の館”、それではさっそく中におじゃましてみましょう。
日当たりのいい広々としたホールが出迎えてくれました。
まずは、美術館とおぼしき2階へ上がってみました。
「・・・」
展示してあるのは、全て子供達の描いた絵でした。そういえば、上り口に『もうすぐ一年生、 卒園児絵画展』って出ていましたっけ・・・。
1階にもどって
「ここには、小野町さんが所蔵している絵画とかは展示していないんですか?」
と、受付のお嬢さんに尋ねました。
答えは、冒頭に書いた小野町の案内の通りで、『毎年企画される特別展は地域に根差した作品を展示』してるのだそうです。だから今回は『卒園児絵画展』なのだそうです。なるほど、そういうことだったんですね。
そこで、次に建物1階の“郷土資料館”を見学しました。様々な土器や石器類からコーナーを見て回りました。どこの資料館を訪ねてもこのような土器類の展示があるところを見ると、縄文時代には、今とほとんど変わらないぐらい広範囲に人々が住んでいたんですね。
面白かったのは、わたしと“ワイフ君”にはとてもなつかしい昔の家の中を再現したコーナーでした。
「うわー、そういえばこんなだったよな」
「そうそう、いろりがあって、むしろが敷いてあって・・・」
二人とも、しばし幼いこのろのわが家へタイムスリップしたのでした。
次に“丘灯至夫記念館”に行こうと外に出ました。あたりを見回したのですが、どうもそれらしい建物が見つからなくて、ふるさと文化の館の受付に戻って尋ねました。
そしたら、受付のとなりにある図書室から階段を上がった2階が、そのコーナーになっていました。“丘灯至夫さん”に関しては、数年前に自転車で小野町に来たときに、生家だという案内のある家を見たことがありました。でも、まだそのときは、“丘灯至夫さん”がどのような方なのか存じていなかったんです。
“丘灯至夫さん”は、かの有名な『高校三年生』を作詞された方なんですね。そう、わたしたち昭和世代にはとても懐かしい、舟木和夫が歌って大ヒットしたあの曲です。
“丘灯至夫さん”が作詞された曲の、シングル盤のジャケットが展示されたコーナーがありました。
いやはや、すごい数の作品です。歌謡曲や童謡、テレビアニメの主題曲、そして校歌などまで幅広く作詞された方なんですね。『高原列車は行く(昭37)』や『東京のバスガール(昭40)』、『山のロザリア(昭44)』や『智恵子抄(昭47)』などは聞いたことがあります。加えて『ハクション大魔王のうた(昭52)』や『みなしごハッチ(昭53)』もそうだとは驚きでした。
“ワイフ君”は、“丘灯至夫さん”最期の曲となった乗り物シリーズ『霊柩車はゆくよ(2008年)』(作曲:小林亜星、歌:エノケソ)が聞きたいというので、記念館にあったCDで聞かせていただいて帰途に着きました。
そして先日、“ワイフ君”が『“デンゼン”をネットで調べて』というのです。なんでも、“小野町ふるさと文化の館”で見たというのです。ところが、わたしはその“デンゼン”が全く分からないのです。そしたら、それは戴いてきたパンフレットの中にちゃんとありました。
(大きな画像)
“亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)”、それが正体でした。この絵馬は、“小野町ふるさと文化の館”の郷土資料館に展示されていた実物を二人で見てきたんです。“ワイフ君”は、その絵の作者がちゃんと頭に残っていたんですね。
『岩瀬郡小倉村(現在の須賀川市小倉)の講中が亜欧堂田善に描いてもらったこの絵馬を、小野町の東堂山満福寺に奉納したと・・・』そして、亜欧堂田善は『須賀川出身で西洋技法の銅版画を完成させた・・・』とあるではないですか!すごい人物が須賀川にいたんですね。
ネットで“亜欧堂田善”を調べると、じつに沢山の絵画と人物解説が出てきます。興味はだんだん膨らんで・・・
「“ワイフ君”、次は須賀川だっ!」
ネットで小野町の情報を見ていたら、なんと美術館があるらしいのです。
『田村地方唯一の美術館。毎年企画される特別展は地域に根差した作品を展示し、好評をいただいています・・・』とあります。それに、郷土資料館や丘灯至夫記念館などもあるようなので、“ワイフ君”とドライブがてらに行ってみることにしたんです。
オシャレな建物、ここが“小野町ふるさと文化の館”。図書館や美術館があるようです。
建物のある敷地の一角には、小川の流れるこんな庭園も配してあります。
“ふるさと文化の館”、それではさっそく中におじゃましてみましょう。
日当たりのいい広々としたホールが出迎えてくれました。
まずは、美術館とおぼしき2階へ上がってみました。
「・・・」
展示してあるのは、全て子供達の描いた絵でした。そういえば、上り口に『もうすぐ一年生、 卒園児絵画展』って出ていましたっけ・・・。
1階にもどって
「ここには、小野町さんが所蔵している絵画とかは展示していないんですか?」
と、受付のお嬢さんに尋ねました。
答えは、冒頭に書いた小野町の案内の通りで、『毎年企画される特別展は地域に根差した作品を展示』してるのだそうです。だから今回は『卒園児絵画展』なのだそうです。なるほど、そういうことだったんですね。
そこで、次に建物1階の“郷土資料館”を見学しました。様々な土器や石器類からコーナーを見て回りました。どこの資料館を訪ねてもこのような土器類の展示があるところを見ると、縄文時代には、今とほとんど変わらないぐらい広範囲に人々が住んでいたんですね。
面白かったのは、わたしと“ワイフ君”にはとてもなつかしい昔の家の中を再現したコーナーでした。
「うわー、そういえばこんなだったよな」
「そうそう、いろりがあって、むしろが敷いてあって・・・」
二人とも、しばし幼いこのろのわが家へタイムスリップしたのでした。
次に“丘灯至夫記念館”に行こうと外に出ました。あたりを見回したのですが、どうもそれらしい建物が見つからなくて、ふるさと文化の館の受付に戻って尋ねました。
そしたら、受付のとなりにある図書室から階段を上がった2階が、そのコーナーになっていました。“丘灯至夫さん”に関しては、数年前に自転車で小野町に来たときに、生家だという案内のある家を見たことがありました。でも、まだそのときは、“丘灯至夫さん”がどのような方なのか存じていなかったんです。
“丘灯至夫さん”は、かの有名な『高校三年生』を作詞された方なんですね。そう、わたしたち昭和世代にはとても懐かしい、舟木和夫が歌って大ヒットしたあの曲です。
“丘灯至夫さん”が作詞された曲の、シングル盤のジャケットが展示されたコーナーがありました。
いやはや、すごい数の作品です。歌謡曲や童謡、テレビアニメの主題曲、そして校歌などまで幅広く作詞された方なんですね。『高原列車は行く(昭37)』や『東京のバスガール(昭40)』、『山のロザリア(昭44)』や『智恵子抄(昭47)』などは聞いたことがあります。加えて『ハクション大魔王のうた(昭52)』や『みなしごハッチ(昭53)』もそうだとは驚きでした。
“ワイフ君”は、“丘灯至夫さん”最期の曲となった乗り物シリーズ『霊柩車はゆくよ(2008年)』(作曲:小林亜星、歌:エノケソ)が聞きたいというので、記念館にあったCDで聞かせていただいて帰途に着きました。
そして先日、“ワイフ君”が『“デンゼン”をネットで調べて』というのです。なんでも、“小野町ふるさと文化の館”で見たというのです。ところが、わたしはその“デンゼン”が全く分からないのです。そしたら、それは戴いてきたパンフレットの中にちゃんとありました。
(大きな画像)
“亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)”、それが正体でした。この絵馬は、“小野町ふるさと文化の館”の郷土資料館に展示されていた実物を二人で見てきたんです。“ワイフ君”は、その絵の作者がちゃんと頭に残っていたんですね。
『岩瀬郡小倉村(現在の須賀川市小倉)の講中が亜欧堂田善に描いてもらったこの絵馬を、小野町の東堂山満福寺に奉納したと・・・』そして、亜欧堂田善は『須賀川出身で西洋技法の銅版画を完成させた・・・』とあるではないですか!すごい人物が須賀川にいたんですね。
ネットで“亜欧堂田善”を調べると、じつに沢山の絵画と人物解説が出てきます。興味はだんだん膨らんで・・・
「“ワイフ君”、次は須賀川だっ!」
その名称に全く記憶が無かったんですが、場所を見たらわかりました。
それができたころ、その駐車場を利用してユーターンを指せてもらっていましたが、「何だこの建物は?」程度でした。
そう言う施設だったんですね。いつも無人状態なので、公民館かなと思っていました。
“玉井人ひろたさん”のところにあるこんな施設も、いつか尋ねてみようと思っています。
お陰様で素晴らしい小野町の施設を、心ゆくまで堪能させて戴きました。以前より、小野町は町というには、とても立派で大きなところだと思っていました。高台の“町民体育館”も、そして今回の“ふるさと文化の館”も、“リカちゃんキャッスル”も。それに“夏井の千本桜や”“東堂山満福寺の昭和羅漢”などなどの景勝地や文化財も・・・。
今度は船引町の“夢二ルーム”に行ってみようかと思っていました。付近に見るべき景勝地や施設など教えていただけたらうれしく思います。