休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

須賀川市立博物館へ・・・

2015年02月16日 | 美術館・博物館・水族館・展示館

(2015.2.14 須賀川市立博物館)

晴れ間は出ているのですが、とにかく寒い日です。しかも風が強くて自転車はとうに諦めました。



いま、わたしと“ワイフ君”を乗せた車は、県道29号線を熱海方面から三穂田方面へ向かって、安積山の裾を走っています。



車窓の右には安積山。わが家とはたった10数キロしか離れていないというのに、安積降ろしで吹きだまりができているような状態なんです。



夏出(なついで)地区を通り・・・



そして、冬の堂尻池。いつもここを通るときは自転車が多いのですが、きょうは“亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)”に逢うために自家用車で須賀川市に向かっているのです。



ここは、須賀川市の萬年山長松院。じつは、須賀川市立博物館へ行く前に、“芭蕉記念館”に寄っていこうと思っていたのです。そして、ここだと思う場所に行ってみたのですが、一向に見当たらないのです。しかも、その辺は何やら大規模な工事がなされているようで、工事車両とガードマンがそこらじゅうにいて、車を止めて探しにいくわけにもいかないのです。そしたら、近くに“かまや食堂(かまや食堂さんについてはこちらのブログが詳しいです)”という人気のラーメン屋さんがあったので、とりあえずそこでお昼にしたのです。“かまや食堂”は待ちが出来るほどの人気店ですが、メニューが限られているので回転は頗るよく、すぐに食べることが出来ました。節系のスープは自己主張がほどよくて、なじみの“好房ラーメン”より好きになっちゃいそうでした。



話は戻りますが、長松院の裏手にはこんな見たことのない立派な塔が立っていました。



“須賀川萬年観音宝塔”と書いてありました。


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そして、敷地の一角にはこんな案内板がありました。どうやらここは須賀川城の土塁と堀跡の一部らしいです。それに、ここには『相楽等躬の墓』があるとありますが、この“相楽等躬(さがらとうきゅう)”という人物は江戸で芭蕉とも交友のあった俳人で、芭蕉が『奥の細道』の道中、等躬宅に数日間滞在していったということらしいです。



こうして何気なくお寺を回ってみても、知り得なかった沢山の歴史とエピソードがあるのですね。



長松院から出たところに、『田善通り』という標識がありました。なるほど、亜欧堂田善は須賀川では通りの名前になるほどポピュラーな人物だったんですね。



つぎに、近くの“妙林寺”というお寺さんへおじゃましてみました。



境内には上の写真の『金色堂』という標柱が建っています。ここになぜ、“平泉中尊寺金色堂の標柱”のレプリカがあるのか。



説明は、ここに設置されていた“物語ボックス「書の大家 龍禅子(りゅうぜんし)」”にありました。“妙林寺の住職“龍禅子【名を張堂寂俊(ちょうどうじゃくしゅん)、号を龍禅子または大龍(だいりゅう)という】”は書の大家で、大正12年、東北地方巡錫(じゅんしゃく)のとき、平泉中尊寺から請われて、金色堂の標柱をその見事な筆致で揮毫(きごう)されたのだそうです。このときの標柱は木製でしたが、昭和43年の金色堂“昭和の大改修”が完成したとき、標柱を木製から石柱に替えられたそうです。“龍禅子”の文字はそのままに再現され、石柱の裏には『須賀川妙林寺六十八世張堂寂俊師揮毫』と刻まれているそうです。現在、金色堂にあった木製標柱は、ここ妙林寺に里帰りし、弁天堂に保管されているとのこと。ここにも、こんなエピソードがあったんですね。



さて、いよいよ須賀川市立博物館へやってまいりました。


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“亜欧堂田善”の作品があると書いてあります。



さあ、中に入ります。ところが、ここから先は撮影禁止ということで、まことに申し訳ないのですが、つたない説明をさせていただくしかないのです。この日は2月3日~3月8日の会期で“雛人形展(特別展示 将軍家の御所人形 篤姫の雛道具)”が開催されていました。

まずは、1階の図書室でドキュメンタリー映画『亜欧堂田善』(江戸時代後期に日本初の銅版画人体解剖図や幕府初の世界地図を作成した絵師・亜欧堂田善の生涯をドキュメンタリー形式で紹介する)を約30分で視聴しました。この映像は文部科学省で高校生対象の学校教育用映画になっているようです。

次に2階の展示スペースで、ついに“亜欧堂田善”の銅版画を鑑賞することができました。ネットで“亜欧堂田善”を画像検索すると沢山の作品が出てきますが、ここには銅版画が20点ぐらいあったでしょうか。銅版画ですから驚くほど精緻で小さいのです。ただ、ここにはありませんが、映画に出てきた世界地図(新訂万国全図)はとても大きなものでした。




(須賀川市立博物館より頂戴したパンフレットより)

“亜欧堂田善”の才を見いだし、銅版画技術の習得を命じたのは白河藩主の松平定信とのことです。そして永田善吉に“亜欧堂(アジアやヨーロッパ)”という堂号を授けたのも定信だったといいます。“亜欧堂田善”は谷文晁や司馬江漢に学び、西洋画法を取り入れた銅版画の技術を完成させました。ここに展示されていた風景画や医学本『医範提綱内象銅版図(国会図書館デジタルコレクション版)』の一部を実際に見てみると、その見事なテクニックに圧倒されます。(ただし、内表紙の一番凝った画は“亜欧堂門人新井令恭”となっていますから、このページだけはお弟子さんが描いたのでしょうか)

ご興味を持たれた方は、機会がありましたらぜひご覧になってみてはいかがでしょう。ああ、それから、きょう見つけられなかった“芭蕉記念館”は、震災で壊れた市役所の新築工事のため、現在はNTT須賀川ビルの1階にあると、博物館の受付の方が申しておりました。



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6 コメント

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芭蕉記念館など (山羊)
2015-02-17 07:40:53
"koji"さん、田善を訪ねて須賀川へおこし下さって有り難うございました。
芭蕉記念館の現状は、ご確認頂いた様で、安心致しました。
以前は、須賀川市役所入り口北側に有ったのですが、市役所の駐車場が狭かった為に、遠くからお出でのバスが駐車出来ずに難儀した等、問題点も有った模様でした。
今後何処に移築されるのか、芭蕉に関する記念物も可成り有るので、市民も復活を期待しているところです。
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“山羊さん” (koji)
2015-02-17 19:06:22
須賀川市は就職して最初に半年間の訓練を受けたところなんです。それで、いまでも他のところとは違って、特別な思いがあるのです。市街地の宿から、夜な夜な市内を闊歩しては、飲み食いを繰り返していましたっけ。でも、そのときは須賀川の歴史や人物には、残念ながら目が行かなかったんですね。
次は芭蕉記念館も訪ねてみたいですし、今回のもう一つの目的でもあった、買えなかった『菓子処 いわや』の“かやとう(榧糖)”を手に入れなければなりません。天気がいいときにみちのく自転車道経由で自転車でもおじゃましてみたいと思っています。
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私も行ったことがない (ボギー)
2015-02-17 20:26:39
こんばんは、14日(土)は須賀川にいらしてたのですね?
じつは私、この博物館には行ったことがなかったりします(^_^;
この近くにウルトラマンのオブジェがありませんでしたか?
大きくてびっくりした記憶があります。

芭蕉記念館は市役所の駐車場の一角にあるのですが、
現在庁舎の新築工事中で、見ることが出来ないと思います。
新庁舎が落成したら、ぜひ自転車でお越し下さい。
市内には史跡もありますので、ゆっくり見ていただきたいですね。
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恐るべし (ケンヂ)
2015-02-17 22:57:10
須賀川。隣町だったのにほとんど行ったことがなかったので,いろいろ行きたいです。
また教えてください。福島県の名所←風とロックcaravan福島で行くのに公開放送だけになりがちなので,ちゃんと行きたいなぁ。
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“ボギーさん” (koji)
2015-02-18 01:24:22
今回はマイカーでおじゃましました。ウルトラマンには気がつきませんでした。須賀川はウルトラマンの生みの親のふるさとでもありますからね。
暖かい日に、自転車でゆっくりと、芭蕉ゆかりの須賀川の市街地巡りをしてみたいですね。
わたしは、歴史とかに全くうといので、“ボギーさん”のお薦めの場所などありましたら、ぜひお願いします。
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“ケンヂさん” (koji)
2015-02-18 01:33:13
自分が生まれ育った地域の、ほんのお隣のことなのに、いままでさしたる興味ももたず、もったいないことに知らなかったことが多すぎます。でも、いまさらこんな気持ちにさせるのは、きっと年齢からくるものなのでしょうね。
桜の咲く頃に、自転車でマッタリと須賀川の名所巡りもいいですね。
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