(2016.11.24 五色沼自然探勝路の「青沼」:耶麻郡北塩原村)
11月24日、きょうはわが家にもほんの少しだけ初雪がありました。
12時35分、“ワイフ君”とわたしを乗せた車は国道49号線を猪苗代方面へと走っています。裸の枝に少しだけ雪を乗せた木々が綺麗です。
最初にやってきたのは、つい先日(11/19)オープンした「道の駅猪苗代(いなわしろ)」。冷やかし半分ですが、チョイと覗きに立ち寄って見ました。せっかくだから、お腹を満たそうとレストランに行ってみたのですが、テーブルはガラガラなのに30分待ちとか・・・オープンしたばかりで順調に流れていないのかもしれません。そこで、わたしたちはフードコートで山塩ラーメンを食べました。
道の駅から川桁(かわげた)方面の山々を見れば、薄衣を纏ったような山肌がとても綺麗でした。
午後1時30分、到着したのは裏磐梯の五色沼(ごしきぬま)の駐車場。紅葉の時期を過ぎた五色沼の駐車場はご覧の通りのガッラガラ。
ハートマークの鯉がいる毘沙門沼も、岸辺に並べられたボートが少々所在なげです。幾度となくここを訪れているわが家ですが、ここ毘沙門沼から桧原湖方面へ抜ける“五色沼自然探勝路”を一度も歩いたことが無いのです。
そこで、きょうは少々寒いのですが、ここを“ワイフ君”と歩いてみることにしたのです。
毘沙門沼の岸辺を歩いて歩いて・・・でも、まだ毘沙門沼なんです。毘沙門沼の大きさに少し驚きました。ルートにはこのような案内板が設置されていて、次の沼へのルートと距離が分かるようになっています。
(毘沙門沼:大きな画像)
エメラルドグリーンの毘沙門沼。
葉っぱの落ちた今だからこそ、ルートのどこからでもこうして色鮮やかな沼が見渡せます。これはちょうど良い時期に来たと思いました。
まだまだ続く毘沙門沼。沼の場所でも微妙に色が異なります。
沼へ注ぎ込む水は綺麗に澄んでいるのですが・・・
それが沼では絵の具でも溶かしたように見事に色を変えるのです。
沼から沼へのルートはとてもよく管理されていて歩きやすいです。
次に見えてきたのは“赤沼”。
緑色の沼なのですが赤沼と命名されているんですね。光の加減で赤っぽく見えることでもあるのでしょうか。不明です。
赤沼とよく似ていますが、こちらは少し青みがかった“みどろ沼”。微妙な色の違いが、わたしの写真から分かるでしょうか。
この清流が沼を巡っているみたいです。
至る所に大小様々な岩がゴロゴロしているのです。磐梯山の噴火に伴う土石流でここまで流されてきたものでしょう。
林の中には大きなシダが繁茂しています。夏にはきっと鬱蒼としていてジュラシックパークのようでしょうね。
次に見えてきたのは“弁天沼”。
弁天沼は五色沼湖沼群の中では大きな方です。
この弁天沼は、コーラルシーのようなとても綺麗な色をしています。
大きくて綺麗、弁天沼はこのルートの中ではピカイチかもしれません。
この大量の大きな岩も磐梯山から流れてきたもの。そのままでテーブルやベンチになりそうなほど、鮮やかにカットされて平面が出来ていたりするのです。すごい!
ここは“るり沼”。わたしの予想に反して、湖面は瑠璃色には見えていませんでしたが、ここからは雪の磐梯山がよく見えました。
ここは“青沼”。
ほんとに青いんです。この青は弁天沼に勝るかも知れません。
(青沼:大きな画像)
湖沼の様々な色合いは、水に溶け出している鉱物やPHの違いによる光の屈折の他に、沼の深さや形状、底に沈殿した泥などの色によっても違うんじゃ無いかなと“ワイフ君”は申しておりました。
さらに足を進めると、最後の“柳沼”が林の向こうに見えてきました。
沼の向こう側には桧原湖周辺の建物が見えています。柳沼はごくごく普通の沼でした。
これは桧原湖からの入り口。なるほど、こう寒ければ熊も、そして大っ嫌いなヘビも冬眠したでしょうからね。それを考えると、わたしがここを歩けるのはこの時期しかないんですね。ハハハ
ここまで3キロ弱。同じルートで引き返ことにしました。
帰り道、途中にあった「公園開祖 現夢塚入り口 是ヨリ三百メートル」という案内板に従って、磐梯山の噴火の後、岩だらけの不毛の裏磐梯に自費で植林し、現在の素晴らしい景観を築いたと賞賛される“裏磐梯緑化の父『遠藤現夢(えんどう げんむ 1864年 1月10日 -1934年 12月6日)』”のお墓にお参りしていくことにしました。
現夢塚までの道を歩きながら、どうして綺麗な五色沼の見える場所に建ててやらなかったんだろうと思っていました。
しかし、家に戻ってから調べて分かったのですが、この大きな岩の下にある墓碑は、現夢が生前に建てたものだということです。そこに妻と一緒に葬られ、辞世の句として「なかきよに(長き世に) みしかきいのち(短き命) 五十年 ふんかおもへば(噴火思えば) 夢の世の中」と刻まれている(ウィキュペディアより)のだそうです。残念なことに、予習をしていかなかったわたしたちは今回墓碑の裏側を見ずに来てしまいました。
(現夢墓入り口にある五色沼自然探勝路のルート図:大きな画像)
往復約6キロの散歩を終えて、スタートの毘沙門沼に戻ったときは午後4時を回っていました。
11月24日、きょうはわが家にもほんの少しだけ初雪がありました。
12時35分、“ワイフ君”とわたしを乗せた車は国道49号線を猪苗代方面へと走っています。裸の枝に少しだけ雪を乗せた木々が綺麗です。
最初にやってきたのは、つい先日(11/19)オープンした「道の駅猪苗代(いなわしろ)」。冷やかし半分ですが、チョイと覗きに立ち寄って見ました。せっかくだから、お腹を満たそうとレストランに行ってみたのですが、テーブルはガラガラなのに30分待ちとか・・・オープンしたばかりで順調に流れていないのかもしれません。そこで、わたしたちはフードコートで山塩ラーメンを食べました。
道の駅から川桁(かわげた)方面の山々を見れば、薄衣を纏ったような山肌がとても綺麗でした。
午後1時30分、到着したのは裏磐梯の五色沼(ごしきぬま)の駐車場。紅葉の時期を過ぎた五色沼の駐車場はご覧の通りのガッラガラ。
ハートマークの鯉がいる毘沙門沼も、岸辺に並べられたボートが少々所在なげです。幾度となくここを訪れているわが家ですが、ここ毘沙門沼から桧原湖方面へ抜ける“五色沼自然探勝路”を一度も歩いたことが無いのです。
そこで、きょうは少々寒いのですが、ここを“ワイフ君”と歩いてみることにしたのです。
毘沙門沼の岸辺を歩いて歩いて・・・でも、まだ毘沙門沼なんです。毘沙門沼の大きさに少し驚きました。ルートにはこのような案内板が設置されていて、次の沼へのルートと距離が分かるようになっています。
(毘沙門沼:大きな画像)
エメラルドグリーンの毘沙門沼。
葉っぱの落ちた今だからこそ、ルートのどこからでもこうして色鮮やかな沼が見渡せます。これはちょうど良い時期に来たと思いました。
まだまだ続く毘沙門沼。沼の場所でも微妙に色が異なります。
沼へ注ぎ込む水は綺麗に澄んでいるのですが・・・
それが沼では絵の具でも溶かしたように見事に色を変えるのです。
沼から沼へのルートはとてもよく管理されていて歩きやすいです。
次に見えてきたのは“赤沼”。
緑色の沼なのですが赤沼と命名されているんですね。光の加減で赤っぽく見えることでもあるのでしょうか。不明です。
赤沼とよく似ていますが、こちらは少し青みがかった“みどろ沼”。微妙な色の違いが、わたしの写真から分かるでしょうか。
この清流が沼を巡っているみたいです。
至る所に大小様々な岩がゴロゴロしているのです。磐梯山の噴火に伴う土石流でここまで流されてきたものでしょう。
林の中には大きなシダが繁茂しています。夏にはきっと鬱蒼としていてジュラシックパークのようでしょうね。
次に見えてきたのは“弁天沼”。
弁天沼は五色沼湖沼群の中では大きな方です。
この弁天沼は、コーラルシーのようなとても綺麗な色をしています。
大きくて綺麗、弁天沼はこのルートの中ではピカイチかもしれません。
この大量の大きな岩も磐梯山から流れてきたもの。そのままでテーブルやベンチになりそうなほど、鮮やかにカットされて平面が出来ていたりするのです。すごい!
ここは“るり沼”。わたしの予想に反して、湖面は瑠璃色には見えていませんでしたが、ここからは雪の磐梯山がよく見えました。
ここは“青沼”。
ほんとに青いんです。この青は弁天沼に勝るかも知れません。
(青沼:大きな画像)
湖沼の様々な色合いは、水に溶け出している鉱物やPHの違いによる光の屈折の他に、沼の深さや形状、底に沈殿した泥などの色によっても違うんじゃ無いかなと“ワイフ君”は申しておりました。
さらに足を進めると、最後の“柳沼”が林の向こうに見えてきました。
沼の向こう側には桧原湖周辺の建物が見えています。柳沼はごくごく普通の沼でした。
これは桧原湖からの入り口。なるほど、こう寒ければ熊も、そして大っ嫌いなヘビも冬眠したでしょうからね。それを考えると、わたしがここを歩けるのはこの時期しかないんですね。ハハハ
ここまで3キロ弱。同じルートで引き返ことにしました。
帰り道、途中にあった「公園開祖 現夢塚入り口 是ヨリ三百メートル」という案内板に従って、磐梯山の噴火の後、岩だらけの不毛の裏磐梯に自費で植林し、現在の素晴らしい景観を築いたと賞賛される“裏磐梯緑化の父『遠藤現夢(えんどう げんむ 1864年 1月10日 -1934年 12月6日)』”のお墓にお参りしていくことにしました。
現夢塚までの道を歩きながら、どうして綺麗な五色沼の見える場所に建ててやらなかったんだろうと思っていました。
しかし、家に戻ってから調べて分かったのですが、この大きな岩の下にある墓碑は、現夢が生前に建てたものだということです。そこに妻と一緒に葬られ、辞世の句として「なかきよに(長き世に) みしかきいのち(短き命) 五十年 ふんかおもへば(噴火思えば) 夢の世の中」と刻まれている(ウィキュペディアより)のだそうです。残念なことに、予習をしていかなかったわたしたちは今回墓碑の裏側を見ずに来てしまいました。
(現夢墓入り口にある五色沼自然探勝路のルート図:大きな画像)
往復約6キロの散歩を終えて、スタートの毘沙門沼に戻ったときは午後4時を回っていました。
沼の写真に見入りました~
私もゆっくり見て回りたいな~
来年の課題にしますね!(^^)!
そこで、“ワイフ君”と二人“歩け歩け運動”をしてきたという訳です。今回こうして初めて五色沼自然探勝路を歩いてみると、いままで随分もったいないことをしたものだと後悔しました。
来年、再び裏磐梯に来られた際には、自転車を降りて、ぜひこのルートを散策なさってみてください。結構ワクワクするコースですよ。
今日は懐かしい五色沼の写真にしばし見惚れ,ROMばかりではなくたまにはお礼のコメントをしなければと。
米沢にいたときに自転車で行った場所と思うと懐かしいばかりでなくなんとも言えない思いになります。
美しい写真を見せていただいて,ありがとうございます。
2011年11月のことだったんですね。白布峠の往復なんて俺には真似出来ないなあと、いたく感心したのを覚えています。
わたしは、今月を自転車休養月間にしてしまい、ドライブとレンタルDVDの世界に逃避しています。自転車をサボルという罪の意識が無いわけではありませんが、自転車を意識しないで遊びほうけているのはとても楽ちんで、また違った楽しさがあります。
でも、やっぱり運動をしないと体が鈍ります。今回の五色沼散策はそんな体への予防策でもありました。
遠藤現夢。ぶらタモリで初めてその名を知りました。
今度,よく勉強してから行って楽しんでみようと思います。
弁天沼に青沼は本当に綺麗でした。五色沼は神秘的なんていう表現がよく使われますが、実際に目にすると、もうホントにそれがベタなようだけども一番ピッタリな表現だと思ってしまいます。
あの色を“なでら男さん”のカメラでぜひ写してほしいものです。
(参考)http://www.bs-asahi.co.jp/nihon-fukei/prg_040.html
そんなこともあって、地元のことなのにあまりにも知らなすぎるのは情けないと思ったんです。でも、結果的にはまだまだ勉強不足でしたけれどね。予習は大事だって分かっていることなんですけれどね。
“ケンヂさん”せひ楽しんで来て下さい。
沼や湖って、暑い時期ではなくこのような寒々しい時期にみると、神秘的と言うか何かこう引き込まれるような怖さを感じます。夜間もそうですね。
私は、そういうところが好きなんです。
「遠藤さん」、偉い人が居たんですね~(^^)v
“へばなさん”はブルベの神様ですから暗くて寂しい道なは慣れていらっしゃるのかもしれませんが、わたしは夜は怖くてとても歩けません。暗くなるとオバケが出ますからね。
遠藤現夢さんは偉い人だったんですね。安倍総理じゃ無くて、こういう人をホントに偉い人っていうんですね。