ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

今度は膝です・・・①

2023年12月30日 22時32分04秒 | 私の病気・・・
2023年12月31日の午後14時。
突然 私の左膝が曲がらなくなりましたー

洗濯ものを取り込んでいて、掃き出し窓から室内に上がろうと、右膝を室内側に上げて力を入れた瞬間、
後ろにあった左膝が バキッ! と鳴った。

そこから「痛った~~~~~~~い!
となって動けなくなった私。
近くにいたコデブにも手伝ってもらって、床を這うように何とか部屋の中に上がったのだけれど、
「痛い痛い痛いいいい~~~~~~!
とにかく左膝が痛くて動けない。
取り合えず冷やしたりもしてみたけど一向に痛みも治まらないし膝も曲がらない。
コデブと、病院行くか?でも年末で開いてる病院無いんじゃ?それじゃあ救急車呼ぶ?などと話していると、
隣の部屋にいた主人は「救急車なんておおげさ。横着しとるでやあ~。」と言って笑っている。
なにも横着なんてしてないし!
だいたい以前からこの掃き出し窓が私にとっては少し高い位置にあって、そこを上り下りしての洗濯物干しが辛くて、
ずっと主人に「何とかしてくれ」と訴えていたのに、
体が大きい主人は、自分には問題ないので何もしてくれなかった。
で、今回のトラブル。
それを見て、しかも痛くて動けない私を見てゲラゲラ笑う主人に心底腹が立った!

私「うるさい!だいたい前からこの掃き出し窓の高さを何とかしてくれ。って言ってたじゃない!
  アンタが何も対策してくれなかったから こんな事になったんだ! アイタタタ・・」
主「俺には問題なかったしー」
私「洗濯物出し入れするのは私でしょ!アナタなんて全然してくれないじゃない!アイタタタ・・」
主「そんなコトないやろ。俺だって時々は洗濯物干すしー」
私「とにかく、私がどれだけ痛いのか、アンタに分からないでしょ!
  マジで痛くて膝は曲がらないんだよ!
  救急車呼ぼうか?って言ってるくらい痛むんだって事の想像も出来んのか!!このボケ!アイタタタ・・・」

主人、怒って車に乗って出かけてしまった。 ”私をそのまま放置して・・・”

まあコデブが居てくれたので、二人して相談して、診てくれる病院を探して電話した。
(あ~、午前中までならいつも行ってる整形外科もやってたのに、本当にタイミング悪いー
何とか電話が繋がった病院は、
病「今は心臓専門の医師しか居ませんが、それでも良ければ一応診ますけど・・・」
との返事ー
でも整形専門医がいい。とか言ってる場合じゃない!
ここで診てもらえなければ正月明けまで対処のしようがないんです。
私「それでもいいです!今から行きます!アイタタタ・・・」

続きは明日ー

怒涛の11月でした・・・って

2022年12月22日 00時37分24秒 | 思う事・・・
もう年末も近づいてきましたね。
実は私、先月の11月はとんでもない月でしたー

まあ始まりは10月の後半から始まっていたのでしょうねー
最初は、姑が認知症発覚した。と言う事を聞いたのが10月後半。
それからスグに、今度は舅が肺炎と腸閉塞で緊急入院。

11月に入り、 9日 私の叔父が亡くなる。  10日 舅が退院&叔父のお通夜に行く。
そして翌日 11日の金曜日
私の両親と一緒に叔父の告別式に参加する為、両親を迎えに車で実家に行く途中、
私、交通事故を起こしてしまいました・・・

私の車は横転して、私は救急車で運ばれました。
幸い怪我はそんなに酷くは無く入院は免れましたが、私の車は廃車になりました。
(当然、告別式は行けずー

それからちょうど1週間後の18日の金曜日
今度は主人が、現場の足場から落ちる!と言う事故にー

主人も怪我をしましたが、主人も入院は免れました。
ただ、落ちた場所がフェンスの上で、そこに横向きに落ちたらしく、わき腹を痛めていました。
そのため、寝る時も痛みで横になることが出来ず、数日は椅子に座ったまま寝ていました。

夫婦立て続けに大きな事故をした為、周りの皆からは、
「誰か厄年いたっけ?」 厄年はいない。と言うと、
「お払いに行きなさい!」 と言われました。
(なので主人と二人で神社でお払い受けてきました。

この後、今度は私の母が、ちょっとした病気で1週間入院。
12月に入ると、今度は舅の膀胱がんが発覚。
取り合えず1月になったら癌治療に行くはずだったのに、14日に腸閉塞再発でまた入院して手術ー

11月は、私が事故を起こしてからが物凄く忙しかったです。
私も主人も病院に行かないといけないのに、私の車は無い。そして主人は怪我の痛みが酷くて車の運転が出来ないー
仕方ないので、私が主人の仕事の車を、恐る恐る、ほんと~にノロノロと運転して主人を病院へ送り迎え。
それ以外にも、私は交通事故、主人は仕事中の怪我なので、
それぞれ保険屋さんとの遣り取りやら、労災の手続きやら、やらないといけない事が山のように
私、殆ど歩きで行動してました。

舅と姑の問題はまだ続いていますが、
事故後ひと月が過ぎ、私と主人の怪我はようやく落ち着きました。
まだ少し痛むようですが、主人も仕事復帰しました。

実は上に書いたこと以外にも、細かい問題がいろいろ発生してて、本当に忙しくて、怒涛の11月でした。
8月の心臓手術の後、体力付けなくちゃ! と頑張って運動したりしてたのに全然落ちなかった体重が、
この11月だけで 3キロも落ちましたよ~。

さて、年末向けて これからまた忙しくなりますね。
皆様、よいお年をお迎えください。

PS:今年は初詣の時もお払いしてもらおうかなあ?

心臓カテーテルアブレーション受けてきました・・・って

2022年08月29日 00時00分52秒 | 私の病気・・・
え~、8月22日に 心臓の病気専門の病院に行って、『発作性上室性院脈症』の治療(カテーテルアブレーション)を受けてきました。

実は私、今回の心臓治療をする事になり、お仕事も辞めました。
今のお仕事を始める時に決めていたんです。
もしこの心臓のカテーテルをする事になったら、この仕事を辞めよう!ってー
嬉しいことに職場では、私が辞めることを皆惜しんでくれました。
「いつでも戻ってきて良いからね!」と言うお言葉もいただいた私は、
カテーテルを受ける前日の、21日までお仕事してました~。

カテーテルアブレーションは、意識があるままの部分麻酔で、右首筋付け根と右足付け根の鼠径部からカテーテルを導入。
そして薬を投入して、人工的に発作を起こし、治療個所を見つけて治療する。と言うのを繰り返します。
医師の話だと、最初は分かりずらかったそうですが、
提出していたデータで(私はあらかじめ、今までの過去約10年分の心電図を提出してました。)
治療が必要な位置が分かったのと、
薬による人工的発作に私の体は素直にスグ反応が有った為、97%の確率で根治出来ている。とのコトでした。

術後は、ベットの上で体に幾つもコードを付けられて、足を固定され、身動き禁止。
夕食まで食事も取れず、その夕食も体が動かせない為、誰かに食べさせてもらわないといけませんでした。
心臓に痛みなどはありませんでしたが、体を動かせないせいで腰など痛みました。

翌朝には、体に付いていたコード類も全て外され、体を起こすことも出来て、朝食も普通に食べることが出来ました。
午前中には主人が迎えに来てくれて退院しました。

それからは自宅療養ー
ベットで一日動けなかったせいでアチコチ筋肉痛アリ。
あと、脈拍はそんなに乱れてないのに、物凄く体がダルイ?シンドイ?ような状態の時もありましたが、
現在、術後1週間ほどですが、漸ようやく体調の乱れが落ち着いてきたようです。

そろそろ限界が来たみたいです・・・って

2022年07月03日 02時48分50秒 | 私の病気・・・
私、遂に、心臓の病気の治療を受ける為に 病院に行くことにしました。

初めて発作が起きたのが、いまから10年前。
まだ私が高齢者のグループホームに務めてた夜勤の時でした。
急に胸がドキドキ激しく動いて喉元が締め付けられ息苦しいー立ってはいられず座り込みました。
多分その時はそんなに長い時間続かなかったと思います。
その時は、”どうしたんだろう?夜勤だし疲れてるのかな?” なんて思ってました。

その後、半年に一回ほどしか起きなかった発作でしたので、
病名が分かったのが その2年後。今から8年前ー
その時の記事➡『救急車に乗りました・・①  救急車に乗りました・・②
この時に、心臓カテーテル を勧められたけど、私 拒否したんですよね~ 

この10年。少しずつ発作が起こる間隔が短くなっていきました。
半年に1回が、4か月に1回になり、3か月に1回になり、月1回になり2回になり・・
でも、発作が起きる時はいつも、わりとノンビリしている時が多かったです。
気が張っているのか、仕事中に発作が起きることは全くありませんでした。
発作が起きている時間もマチマチで、短い時もあれば、何時間も続く時もありました。
短い時は、発作が治まるまでジッとしているか、
近くの個人病院に行って心電図だけとって貰っていました。
1時間以上続く時は、大きな総合病院に行って、発作を治める点滴を受けました。
そして4年前に、
娘の治療の付き添いで行った大学病院で大きな発作が起きて点滴を受けました。
不思議なことに、これ以降、長時間の発作が起こることはなくなりました。

ただ今度は、発作が起きている時間が短くなっていきました。
1時間以上続く発作は無くなり、30分ほどになり、20分ほどになり、10分ほどになりー
つまり、発作が起こる回数は増えていき、代わりに発作が起きてる時間は短くなっていきました。

”もしかしたら、このまま治っていくんじゃ?

な~んて、私は心の中で密かに期待していました。
ただそれと同時に、昔ある医師に「心臓の病気は自然治癒はしないよ。
と言われた言葉が頭をかすめていました。

そして一昨年、初めて仕事中に発作が起きました。
5分ほどで治まったので、誰にも気づかれることはありませんでしたがー
漠然とした不安の中で、”これは、ヤバイなあ~” と感じていました。
私は、子供と一緒に出掛ける外出支援の最中に発作が起きる事を一番恐れていました。
しかし、幸か不幸か、世界でコロナが蔓延し始め、
私の仕事で、子供と一緒にお出かけする支援が出来なくなりました。
施設での支援だけなら、もし仕事中に発作が起きても、対応が可能でしたー

こうして世間がコロナで大変な中、
私は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて、自分の体を窺いながら、お仕事を続けていました。
でも、昨年辺りから、発作が起きる期間が更に短くなってきました。
月に3~4回。ほぼ週に1回くらいの割合で発作が起きる。
回数が増えると、仕事中に発作が起きる事もたびたび出始めました。
ただ、発作が起きてる時間はどんどん短くなってなってきていて、5分も経たずに治まっていました。
私の発作は、目に見えて苦しむような事はないです。
発作が起きると、とりあえず座ってジッとしています。発作が治まるまでー
だから周りにいるスタッフは、私に発作が起きていることは誰も気づいていませんでした。
昨年後半の頃には、
私の発作は、週に2~5回くらいに増えましたが、1分ほどで治まる状態になっていました。

そして今年に入り、私は発作時に 今までにない症状が出始めました。
発作が起きてもすぐに治まる。
でも発作が起きると、クラリと立ち眩みがして思わず座り込む。そして同時に来る頭痛と吐き気ー

 ”流石にコレは、もう限界だな・・・

私、ようやく諦めました。
とりあえず「目指せ60歳!」を目標にしていたんですが、
10年経って、
遂に限界来たみたいですー

今度、心臓治療専門の病院に行ってこようと思います。

つまらない大人・・・って

2022年05月11日 12時20分16秒 | 思う事・・・
先日、アニメ『こちら亀有公園前派出所』を見る機会がありました。
それこそ年代的にジャンプに連載始まった頃から知ってるし、面白いから大好きだったんだけどー
今回そのアニメを、ゲラゲラ笑いながら見ている主人やコデブを見ながら、
”あれ?私、なんだかあんまり面白く感じない?・・・

アニメを見ていると私の口から出てくる言葉が、
「本当にこの両さんって、クズだよなあ~」とか「現実にこんな警察官いたら苦情モンだわ。」とか、
「こんなのいたらとっくに首になってるわ。」とか「お金に汚くて強欲で、我儘で周りに迷惑ばっかりかけてー」とか、

あれ?私、いつからこんなに現実的になっちゃったんだろう?
アニメはアニメで、現実じゃないから面白いのに、
両さんはムチャクチャだから面白いのにー
そのムチャクチャなんだけど、周りの人間から愛されてるトコロが良いのにー

『ドラえもん』を見ていても、のび太のダメさ加減とかが鼻につく。
ドラえもんから渡された道具を、自分がうまく使えないからって、そこら辺に捨てるなよ!
人から貰った物を、ましてや未来の道具をそこら辺に捨てたら、どんなコトが起こるかも考えられないバカ!
とか思ってしまうー

素直にマンガやアニメを楽しめていた私は何処へ行った?

ああ~、私、いつのまにか つまらない大人になったなあ~
ちょっとショック 
同い年なのに、今でもゲラゲラ笑える主人が、ちょっと羨ましくなりました。

主「俺は少年の心を持っているんだ!

いや、頼むからアナタは、もう少し大人になってくださいー

TVの内臓HDが、アナタの録画した『ワンピース』『NARUTO』『ガンダム』『仮面ライダー』etc・・・で一杯なんですけど!
50過ぎた大人が、何話も保存してんじゃねーよ!
他の番組が録画出来ないだろうが!とっとと消せ!