私の務める介護施設は、認知症対応型です。
だから、当たり前ですが、入居してくる方々は、認知症の方ばかりです。
80歳以上ばかりですね。
認知症ですので、記憶が曖昧な方が殆どなのですが、それでも、時々深く考えさせられる事があります。
ある方は、シベリア抑留帰還者でした。
ある方は、中国残留孤児でした。
ある方は、元陸軍軍曹でした。
その方々達は、自分から昔の事を話されるコトはありません。
まあ、記憶そのものが既に曖昧になっているという事もあるのでしょうが・・・
それでも、昔シベリアにいた方は、今でもロシア語で数を数えることができます。
昔中国にいた方は、中国語で数を数えることができます。
陸軍にいた方は、「よく生き残ってこれたものだ・・・」と、一言、小さく呟かれました。
認知症になって、自分の家族の顔すら分からないようになっても、それでも消えない心の傷・・・
きっと私達には分からない、いろんな思いを心の中に抱えてみえるのだろうなー
そう思うと、たまらない気持ちになります。(><)
ちなみに、私の実家のお隣のお爺さんは、
昔、海軍にいて、戦艦に乗ってみえた方でした。
私がその事を知ったのは、確か私が20を過ぎた頃だったかな?
自慢気に私に当時の軍服?セーラー軍服?みたいな物を着た写真を見せてくれました。
子供の頃からよく知っている隣のおじさんが、実はそんな過去を持っていると知って、驚きはしたけど、
まあ、その頃の私は、戦争になんて全く興味なかったから、「へえ~、凄いねえ~。」で終わってしまったのだけど・・・
私の子供、ヒョロナガとコデブは、戦国時代の話しにも詳しいけれど、
戦争中の頃の話しにも結構詳しかったりします。
特にコデブは、ゲームやネットの影響もあって、銃やら剣やら大砲やら戦艦やら、なんかやたらと詳しいです。
まあ男の子だから、そういう物に興味を持つものなんですかねえ~?
女ばかりの中で育った私には理解出来ない分野なのですが・・・(^^;)
数年前、たまたまコデブと戦争の話をしていた時、ふと私が思い出して、
「そういえば、実家の隣のおじさんは、むかし海軍にいて、戦艦にも乗ってたらしいよ。」
と言ったところ、コデブが俄然興味をもって、「ぜひお会いしたい!」と言い出した。
まあ、私の実家の隣のおじさんだし、私は実家に行って、隣のおじさんに、子供が話を聞きたい。と言っていると伝えました。
おじさん、OKを出してくれて、スグにコデブと会うことになりました。
コデブとおじさん、二人で一時間以上は話していたんじゃないかなあ~?
全然興味のない私は、実家で母親とおしゃべりしていたのでよく分かりませんが・・・
とにかく、おじさんちから帰ってきたコデブは、沢山の書物を持っていました。
随分話が合ったらしく、コデブを気に入ったおじさんが、「コレを君にやろう!」と、
なにやら戦争関連の書物をくれたそうです。
コデブはとても興奮していました。
コ 「あのお爺さん、凄いんやぞ! ”吹雪”と”大和”に乗ってとったんやと!」
私 「へえ~、でも大和の乗組員って、大和と一緒に全員亡くなったんじゃないの?」
コ 「いや、ちゃんと生き残った人もいる!」
それから、何やらコデブが詳しく話してくれたけれど、興味のない私は殆ど覚えていません。
今でも、我が家の押入れのコデブの持ち物の中に、この時頂いた書物があります。
そう言えば、最近は私もちっとも実家に顔を出してないから、現在おじさんがどうされてるか知らないなあ~。
でも、亡くなられたって言う話は耳にしてないから、多分まだ、ご存命なのは確かだと思う。
今度、実家に帰った時にでも、ちょっとお隣に顔をだしてみようかなあ~。
だから、当たり前ですが、入居してくる方々は、認知症の方ばかりです。
80歳以上ばかりですね。
認知症ですので、記憶が曖昧な方が殆どなのですが、それでも、時々深く考えさせられる事があります。
ある方は、シベリア抑留帰還者でした。
ある方は、中国残留孤児でした。
ある方は、元陸軍軍曹でした。
その方々達は、自分から昔の事を話されるコトはありません。
まあ、記憶そのものが既に曖昧になっているという事もあるのでしょうが・・・
それでも、昔シベリアにいた方は、今でもロシア語で数を数えることができます。
昔中国にいた方は、中国語で数を数えることができます。
陸軍にいた方は、「よく生き残ってこれたものだ・・・」と、一言、小さく呟かれました。
認知症になって、自分の家族の顔すら分からないようになっても、それでも消えない心の傷・・・
きっと私達には分からない、いろんな思いを心の中に抱えてみえるのだろうなー
そう思うと、たまらない気持ちになります。(><)
ちなみに、私の実家のお隣のお爺さんは、
昔、海軍にいて、戦艦に乗ってみえた方でした。
私がその事を知ったのは、確か私が20を過ぎた頃だったかな?
自慢気に私に当時の軍服?セーラー軍服?みたいな物を着た写真を見せてくれました。
子供の頃からよく知っている隣のおじさんが、実はそんな過去を持っていると知って、驚きはしたけど、
まあ、その頃の私は、戦争になんて全く興味なかったから、「へえ~、凄いねえ~。」で終わってしまったのだけど・・・
私の子供、ヒョロナガとコデブは、戦国時代の話しにも詳しいけれど、
戦争中の頃の話しにも結構詳しかったりします。
特にコデブは、ゲームやネットの影響もあって、銃やら剣やら大砲やら戦艦やら、なんかやたらと詳しいです。
まあ男の子だから、そういう物に興味を持つものなんですかねえ~?
女ばかりの中で育った私には理解出来ない分野なのですが・・・(^^;)
数年前、たまたまコデブと戦争の話をしていた時、ふと私が思い出して、
「そういえば、実家の隣のおじさんは、むかし海軍にいて、戦艦にも乗ってたらしいよ。」
と言ったところ、コデブが俄然興味をもって、「ぜひお会いしたい!」と言い出した。
まあ、私の実家の隣のおじさんだし、私は実家に行って、隣のおじさんに、子供が話を聞きたい。と言っていると伝えました。
おじさん、OKを出してくれて、スグにコデブと会うことになりました。
コデブとおじさん、二人で一時間以上は話していたんじゃないかなあ~?
全然興味のない私は、実家で母親とおしゃべりしていたのでよく分かりませんが・・・
とにかく、おじさんちから帰ってきたコデブは、沢山の書物を持っていました。
随分話が合ったらしく、コデブを気に入ったおじさんが、「コレを君にやろう!」と、
なにやら戦争関連の書物をくれたそうです。
コデブはとても興奮していました。
コ 「あのお爺さん、凄いんやぞ! ”吹雪”と”大和”に乗ってとったんやと!」
私 「へえ~、でも大和の乗組員って、大和と一緒に全員亡くなったんじゃないの?」
コ 「いや、ちゃんと生き残った人もいる!」
それから、何やらコデブが詳しく話してくれたけれど、興味のない私は殆ど覚えていません。
今でも、我が家の押入れのコデブの持ち物の中に、この時頂いた書物があります。
そう言えば、最近は私もちっとも実家に顔を出してないから、現在おじさんがどうされてるか知らないなあ~。
でも、亡くなられたって言う話は耳にしてないから、多分まだ、ご存命なのは確かだと思う。
今度、実家に帰った時にでも、ちょっとお隣に顔をだしてみようかなあ~。