今月半ばに、ヒョロナガは大阪に行っておりました。
大阪に行った理由は借金を返すため。
実は今から4年前、ヒョロナガが大学に入学が決まった時、入学金を大阪の叔父に借りたんです。
その額百万円以上・・・
当時、我が家にもそれくらいの預金はありました。出そうと思えば出せた金額でした。
ただ、その年は、丁度コデブも高校受験の年でもあり、
当時コデブの成績はそーとー悪く、何処の高校に行けるか分からない状態でした。
希望は公立高校でしたが、最悪、ウチの市内でもかな~り学費の高い私立高校に行く可能性がありました。
ヒョロナガの大学合格が決まったのが秋。
ここでヒョロナガの入学金を支払ってしまうと、
もしコデブが私立の高校に行く事になった時、お金が足りなくなる可能性がありました。
そこで、ヒョロナガの入学金を大阪の叔父にお借りしたのです。
利息はナシ。返済は出世払いで良い。との事でした。
やがて、コデブの公立高校の入学が決まり、我が家もホッと一安心。
そして私はヒョロナガに言いました。
私 「コデブも何とか公立に入れたから、それほどお金はかからなかった。
預金はあるから、叔父さんに借りたお金、返しとくね。」
するとヒョロナガは、首を振ったのです。
ヒョ 「いや、俺の大学の入学金として借りたんやから、俺が自分で返すわ。」
私 「いいよ。本来親が払わなくちゃならないのを借りたんだもの。私が返すから。」
ヒョ 「いい。まだオシメも高校あるし、コデブだってまだこれから金かかるやろうで、自分で返す。」
私 「でもアンタ、大学卒業してから奨学金だって返済してかなきゃならないんだし、私だって仕送りそんなにできないよ。」
ヒョ 「頑張ってバイトするわ。」
私 「分かった。そこまで言うなら頑張りなさい。ただあんまり無理はしないようにね。
体壊したり勉強が疎かになって留年したりしたら、元も子もないんだからね。」
ヒョ 「うん。」
私 「それから、もしどうしても無理な時は私に言いなさい。
いつでも返済できるように、お金はちゃんと用意しておくから。」
ヒョ 「はい。」
こんな会話をしたのが4年前の事ー
それから4年。
ヒョロナガは、本当によく頑張ったと思います。
奨学金のお金と私の仕送りは、すべて大学の学費と学生会館の寮費に消えました。
毎月私のお給料は、私の目の前を通り過ぎて行きましたが、それでもヒョロナガに小遣い1つやれません。
ヒョロナガの東京での生活費は、ヒョロナガのバイト代のみで賄ってもらうしかありませんでした。
ヒョロナガは、大学1年の時は、高校時代と同じようなビデオレンタルショップでバイトをしていました。
時給が良いので、夜勤を主に勤めていました。
しかし、その年の秋、ヒョロナガがクローン病である事が分かります。
一時的に体調を崩したヒョロナガは、バイトに出れる日数も少なくなり、辞めざるを得なくなりました。
でも、バイトを辞めると、東京での生活が出来なくなります。
少しの間病院に通って薬で体調が落ち着いた頃、ヒョロナガは次のバイトを始めます。
今度は、某牛丼屋の深夜バイト。
私がヒョロナガの病気を知ったのはこの頃です。
この時ヒョロナガに、「叔父への借金を私が返済する。」と言ったのですが、ヒョロナガはそれを断りました。
ヒョ 「大丈夫やて。体調も落ち着いてきたし、自分で何とかするから。」
私はこの時、ヒョロナガを大学に行かせたことを後悔しました。
私がどうしても遠くの大学に行かせたくて、主人の反対を押し切って行かせた大学です。
もし地元にいたら、こんなに大変な思いをヒョロナガにさせる事もなかったでしょうし、
病気で体調を崩したヒョロナガの傍に居てやることも出来たのに・・・
それから3年ー
ヒョロナガの病気は 一応安定しており、ヒョロナガは頑張って大学とバイトに励んでいました。
深夜のバイトは明け方まであります。バイトが終わって、そのまま大学に行く日も沢山ありました。
時には、バイト中に体調が悪くなっても、それをこらえて頑張っていました。
食事付きの寮だったのに、どうしても食事の時間と都合が合わず、寮に帰っても食事も取ることなく眠ってしまうー
なんて事は、もはや当たり前でした。
そして4年になり、就職も決まったヒョロナガは、ある日私に言いました。
ヒョ 「母さん、もうすぐ卒業やで、叔父さんにお金を返しに行くわ。」
よくもまあ、4年で百万円以上の額が準備できたものです。
いくら深夜バイトの時給が良いからといっても、
ヒョロナガは、そのお金で自分自身生活しながら、叔父へ返済するお金を貯金していたんですから。
ヒョロナガは大阪の叔母に連絡をして、叔父の口座を教えてもらい、そこにお金を振込みました。
ヒョ「叔父さんにお礼も兼ねて、ホンのチョットやけど、金額多めに振り込んどいた。」
律儀なヒョロナガです。
利息も期限もないハズの借金だったのに、
ヒョロナガは、『大学卒業までにお金を貯めて叔父に返済する!』と言う目標を自分で立て、
その目標のために頑張ってきたのでした。
そして直接叔父にお礼を言うためにヒョロナガは大阪へ行ったのです。
私も電話で叔父にお礼と話しをしました。
叔父は驚いていました。「返済は卒業してからの出世払いかと思っていた。」と
「しかも貸した金額より多く返済されている。」とー
私は叔父に言いました。
私 「それはヒョロナガのお礼の気持ちです。どうぞ受け取ってやって下さい。
そしてどうぞ、ヒョロナガを ”よく頑張った”と褒めてやって下さい。それだけで十分です。」
大阪に行ったヒョロナガは、叔父たちに歓迎され、
テーマパークに連れて行ってもらったり、豪華な食事をいただいたりと、もてなしを受けたそうです。
大阪に行く前に、ヒョロナガは母校の高校にも顔を出していました。
ヒョロナガの大学入試の際にお世話になった高校の先生にお会いし、
「それだけアルバイトをこなしながら留年もせず、よく卒業まで辿りついた。」と驚かれたそうです。
きっとヒョロナガより大変な学生生活を送っている学生は、日本中に沢山いると思います。
それでも私は、ヒョロナガはよく頑張ったと思います。
自分で立てた一つの目標に向かって努力し、それを達成出来た!
その喜びは、きっと今後のヒョロナガの人生に自信を持たせてくれると思います。
かつて、私がヒョロナガを自転車旅行に行かせた時願っていたコト。
”目標を達成する喜びを知ってほしい”
ヒョロナガはちゃんとそれを身につけていました。
もうすぐ卒業です。
社会人になるヒョロナガは、今度は ”奨学金”と言う借金を返済していかなければなりません。
これから、まだまだ長~い道のりです。
私としては、周りの環境が変わることで、ヒョロナガの病気が悪くならないか心配しています。
でも、きっとヒョロナガの事だから、ひょうひょうとしながら、それなりにこなしていくのではないか?とも思います。
このブログをご覧の皆様、
今後共、ヒョロナガを暖かく見守ってくださいますよう、応援をよろしくお願いいたします。
大阪に行った理由は借金を返すため。
実は今から4年前、ヒョロナガが大学に入学が決まった時、入学金を大阪の叔父に借りたんです。
その額百万円以上・・・
当時、我が家にもそれくらいの預金はありました。出そうと思えば出せた金額でした。
ただ、その年は、丁度コデブも高校受験の年でもあり、
当時コデブの成績はそーとー悪く、何処の高校に行けるか分からない状態でした。
希望は公立高校でしたが、最悪、ウチの市内でもかな~り学費の高い私立高校に行く可能性がありました。
ヒョロナガの大学合格が決まったのが秋。
ここでヒョロナガの入学金を支払ってしまうと、
もしコデブが私立の高校に行く事になった時、お金が足りなくなる可能性がありました。
そこで、ヒョロナガの入学金を大阪の叔父にお借りしたのです。
利息はナシ。返済は出世払いで良い。との事でした。
やがて、コデブの公立高校の入学が決まり、我が家もホッと一安心。
そして私はヒョロナガに言いました。
私 「コデブも何とか公立に入れたから、それほどお金はかからなかった。
預金はあるから、叔父さんに借りたお金、返しとくね。」
するとヒョロナガは、首を振ったのです。
ヒョ 「いや、俺の大学の入学金として借りたんやから、俺が自分で返すわ。」
私 「いいよ。本来親が払わなくちゃならないのを借りたんだもの。私が返すから。」
ヒョ 「いい。まだオシメも高校あるし、コデブだってまだこれから金かかるやろうで、自分で返す。」
私 「でもアンタ、大学卒業してから奨学金だって返済してかなきゃならないんだし、私だって仕送りそんなにできないよ。」
ヒョ 「頑張ってバイトするわ。」
私 「分かった。そこまで言うなら頑張りなさい。ただあんまり無理はしないようにね。
体壊したり勉強が疎かになって留年したりしたら、元も子もないんだからね。」
ヒョ 「うん。」
私 「それから、もしどうしても無理な時は私に言いなさい。
いつでも返済できるように、お金はちゃんと用意しておくから。」
ヒョ 「はい。」
こんな会話をしたのが4年前の事ー
それから4年。
ヒョロナガは、本当によく頑張ったと思います。
奨学金のお金と私の仕送りは、すべて大学の学費と学生会館の寮費に消えました。
毎月私のお給料は、私の目の前を通り過ぎて行きましたが、それでもヒョロナガに小遣い1つやれません。
ヒョロナガの東京での生活費は、ヒョロナガのバイト代のみで賄ってもらうしかありませんでした。
ヒョロナガは、大学1年の時は、高校時代と同じようなビデオレンタルショップでバイトをしていました。
時給が良いので、夜勤を主に勤めていました。
しかし、その年の秋、ヒョロナガがクローン病である事が分かります。
一時的に体調を崩したヒョロナガは、バイトに出れる日数も少なくなり、辞めざるを得なくなりました。
でも、バイトを辞めると、東京での生活が出来なくなります。
少しの間病院に通って薬で体調が落ち着いた頃、ヒョロナガは次のバイトを始めます。
今度は、某牛丼屋の深夜バイト。
私がヒョロナガの病気を知ったのはこの頃です。
この時ヒョロナガに、「叔父への借金を私が返済する。」と言ったのですが、ヒョロナガはそれを断りました。
ヒョ 「大丈夫やて。体調も落ち着いてきたし、自分で何とかするから。」
私はこの時、ヒョロナガを大学に行かせたことを後悔しました。
私がどうしても遠くの大学に行かせたくて、主人の反対を押し切って行かせた大学です。
もし地元にいたら、こんなに大変な思いをヒョロナガにさせる事もなかったでしょうし、
病気で体調を崩したヒョロナガの傍に居てやることも出来たのに・・・
それから3年ー
ヒョロナガの病気は 一応安定しており、ヒョロナガは頑張って大学とバイトに励んでいました。
深夜のバイトは明け方まであります。バイトが終わって、そのまま大学に行く日も沢山ありました。
時には、バイト中に体調が悪くなっても、それをこらえて頑張っていました。
食事付きの寮だったのに、どうしても食事の時間と都合が合わず、寮に帰っても食事も取ることなく眠ってしまうー
なんて事は、もはや当たり前でした。
そして4年になり、就職も決まったヒョロナガは、ある日私に言いました。
ヒョ 「母さん、もうすぐ卒業やで、叔父さんにお金を返しに行くわ。」
よくもまあ、4年で百万円以上の額が準備できたものです。
いくら深夜バイトの時給が良いからといっても、
ヒョロナガは、そのお金で自分自身生活しながら、叔父へ返済するお金を貯金していたんですから。
ヒョロナガは大阪の叔母に連絡をして、叔父の口座を教えてもらい、そこにお金を振込みました。
ヒョ「叔父さんにお礼も兼ねて、ホンのチョットやけど、金額多めに振り込んどいた。」
律儀なヒョロナガです。
利息も期限もないハズの借金だったのに、
ヒョロナガは、『大学卒業までにお金を貯めて叔父に返済する!』と言う目標を自分で立て、
その目標のために頑張ってきたのでした。
そして直接叔父にお礼を言うためにヒョロナガは大阪へ行ったのです。
私も電話で叔父にお礼と話しをしました。
叔父は驚いていました。「返済は卒業してからの出世払いかと思っていた。」と
「しかも貸した金額より多く返済されている。」とー
私は叔父に言いました。
私 「それはヒョロナガのお礼の気持ちです。どうぞ受け取ってやって下さい。
そしてどうぞ、ヒョロナガを ”よく頑張った”と褒めてやって下さい。それだけで十分です。」
大阪に行ったヒョロナガは、叔父たちに歓迎され、
テーマパークに連れて行ってもらったり、豪華な食事をいただいたりと、もてなしを受けたそうです。
大阪に行く前に、ヒョロナガは母校の高校にも顔を出していました。
ヒョロナガの大学入試の際にお世話になった高校の先生にお会いし、
「それだけアルバイトをこなしながら留年もせず、よく卒業まで辿りついた。」と驚かれたそうです。
きっとヒョロナガより大変な学生生活を送っている学生は、日本中に沢山いると思います。
それでも私は、ヒョロナガはよく頑張ったと思います。
自分で立てた一つの目標に向かって努力し、それを達成出来た!
その喜びは、きっと今後のヒョロナガの人生に自信を持たせてくれると思います。
かつて、私がヒョロナガを自転車旅行に行かせた時願っていたコト。
”目標を達成する喜びを知ってほしい”
ヒョロナガはちゃんとそれを身につけていました。
もうすぐ卒業です。
社会人になるヒョロナガは、今度は ”奨学金”と言う借金を返済していかなければなりません。
これから、まだまだ長~い道のりです。
私としては、周りの環境が変わることで、ヒョロナガの病気が悪くならないか心配しています。
でも、きっとヒョロナガの事だから、ひょうひょうとしながら、それなりにこなしていくのではないか?とも思います。
このブログをご覧の皆様、
今後共、ヒョロナガを暖かく見守ってくださいますよう、応援をよろしくお願いいたします。