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2019年6月2日 セシル・チェスタトン『アメリカ史の真実』

2019-06-02 | 長い本を百分の一に圧縮

190531_セシル・チェスタトン『アメリカ史の真実』祥伝社 2011年




興味のあるところを抜粋




p.22


 昔、歴史上の重大事は、すべてチュートン人(ドイツ系民族)が成し遂げた、ということをいいたかった時代があった。


 それによれば、アメリカ大陸は、(ラテン系の)コロンブスではなくスカンジナビアのチュートン人が発見した、というものである。


 しかしそれは。ノルウェーからきた野蛮人が、アメリカ大陸の野蛮人に会ったというだけのことであり、重要性はない。




p.24


 17世紀、イギリスの植民地であったアメリカ大陸東海岸にあったのは、古代ギリシア・ローマの(キリスト教から見ると)異教の思想であった。


 古代ギリシア・ローマは奴隷がいた。




p.26


 ヨーロッパ人が渡来した新大陸では、本国ではキリスト教の布教によりほとんど忘れらていた奴隷制が、たちまちのうちに復活した。




p.46


 アメリカの南部では、綿花とタバコの栽培が行われた。


 西インド諸島では砂糖キビの栽培がおこなわれた。


 いずれも、労働力として黒人奴隷が求められた。


 アメリカ大陸の先住民族インディアンは、従順ではなく抵抗するので、つかまえてきて強制労働させることはできなかった。


 イギリスのホーキンズという者は、偉大な船乗りで、アフリカ西海岸から黒人を誘拐し、アメリカで売ればひと儲けでるかもしれないと最初に思いついた貿易商人だった。


 アメリカ北部には、大量の奴隷を必要とするプランテーション(広大な土地で作物を作る農場)が無かったので、奴隷は必要としなかった。




p.52


 1764年、イギリス本国は、アメリカ植民地に対し、印紙法(出版物に課税)をかけようとした。


 当時、イギリス国王はアメリカ植民地に、国王が発行した勅許状を持つ国王代理人を派遣し、そのような方法でアメリカをイギリスの領土だとしていた。


 1766年、イギリスは、アメリカ植民地の輸出品に関税をかけ、これをイギリスの収入にしようとした。




p.63


 アメリカ植民地の人間はこれに怒り、こう言い出した。


 これはその当時の最先端の思想と言われたフランスのルソーの思想にかぶれたものである。


 つまり、人間は生まれながらに自由であり、なんでも思う通りのことが出来る。


 これの権利は、神から与えたられた生まれつき得ている、権利である。




p.74


 アメリカ植民地とイギリス本国は戦いを始めた。


 戦いは、勝ったり負けたりしたが、最終的に、植民地側が勝った。


 1776年、植民地側は「独立宣言」を発表した。


 フランスとイギリスは、隣同士であり常に戦争を繰り返していた。


 フランスは、イギリスを弱体化するため、アメリカ植民地の方を応援した。




p.82


 1781年、イギリスは降伏した。




p.92


 アメリカは、奴隷のいない(奴隷をつかうような農場のない)北部と、奴隷のいる(奴隷を使わなければ作物を作ることができない)南部に分かれた。 
 
 最初にできたアメリカ憲法には、北部と南部の対立を避けるため(つまり憲法を成立させるため)、奴隷制の禁止については書き込まれなかった。


 <ルイジアナ>


 ルイジアナは、1762年、フランスからスペインに渡った。


 フランスのナポレオンはスペインに勝ったので、再度、フランス側に渡った。


 イギリスと戦争を始めようとして金が必要となったナポレオンは、1803年、ルイジアナをアメリカに売った。




 p.217


 1845年、アメリカはテキサスを併合


 1846年~1848年、メキシコと戦争


 アメリカがメキシコに勝ち、アリゾナ、ニューメキシコ、カリフォルニアがアメリカのものとなる。


 1861年~1865年、南北戦争




p.276


 北部は奴隷制廃止のため戦争をしたのではない。


 南部諸州を、アメリカ合衆国から分離させないため、戦争をした。




p.378


 アジア系移民の問題発生。


 アメリカの太平洋岸(カリフォルニア、オレゴン)に黄色人種の移民が増え始めた。




p392


 この本は、1918年、第一次世界大戦の終了まで書かれている。