ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2021年10月30日「郵便局内で、ファミリーマートが無人コンビニの営業開始した」ことと「若い労働者の低賃金と非正規雇用者数」との関係

2021-10-30 | 昼間のエッセー
211030_2021年10月30日「郵便局内で、ファミリーマートが無人コンビニの営業開始した」ことと「若い労働者の低賃金と非正規雇用者数」との関係

2021年10月30日 産経新聞

 埼玉県川越市にある郵便局の中で、ファミリーマートが経営する無人コンビニが、営業を開始した。
 無人コンビニとは、レジ担当の従業員を置かないこと。商品補充用の従業員は一名置く。

 不正防止には、監視カメラと、商品棚の重量変動感知器を使う。

 出店側の損益は、人件費の減少及びフロア賃借料の低下でプラスになるのだろう。

 しかし、日本国として見た場合、雇用機会の減少及びそれがもたらす低賃金の趨勢をさらに拡大させるだけではないのか。

 以上

2021年10月27日 1949年(昭和24)年に作られたの「予防接種個人票」。痘そう、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、ツベルクリン反応とBCGの接種を記録した

2021-10-27 | 日記
211027_1949年(昭和24)年に作られたの「予防接種個人票」。痘そう、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、ツベルクリン反応とBCGの接種を記録した

2021年10月27日 産経新聞 「朝晴れエッセー」より

投稿された方(1942年生まれ)の小学生・中学生時代の記録を読んだ。
私の小学生の時と同じだ。

この時代は、小学生・中学生は、予防接種を受けることが義務づけられていた。
接種の記録の手帳もわたされたようだ。(私は見たことがなかった)

1.痘そう、
2.ジフテリア、
3.腸チフス・パラチフス、
4.ツベルクリン反応(結核に感染しているかどうか判別するための注射)、
5.BCG接種(結核に感染していないと判明した場合、結核感染予防として接種する

結核に感染してた場合、治療として
パス(粉末の薬)、ヒドラジッド(粉末の薬)を服用し、
ストレプトマイシンの注射を行った。

私の弟は、生後8ヶ月で、「腸チフス」で死亡した。

以上

2021年10月26日 中国のゲームと娘炮

2021-10-26 | 昼間のエッセー
211026_中国のゲームと娘炮

2021年10月26日 産経新聞 p.7

中国政府は、オンラインゲームは若者に害毒を与える、としてこれをなくそうとしている。

娘炮

中国では、テレビに出てくる女性っぽい若い男性を「娘炮」(炒められて女になってしまった男)というらしい。
「炮」とは、中国の漢字で「炒める」という意味だ。
男が、悪い文化で「炒められてフニャフニャ」になってしまったという意味だろうか?
中国政府は「娘炮」文化も青少年の精神に悪影響を及ぼすから排除しようとしている。
以上

2021年10月9日 産経新聞 p.8 「働かないおじさん」をなくすには

2021-10-09 | 昼間のエッセー
211009_「働かないおじさん」をなくすには

 2021年10月9日 産経新聞 p.8 「働かないおじさん」をなくすには

 昔は、55歳が定年だった。
 みんな、56歳からは(仕事をしなくてもよくなり、年金ももらえるので)自由にやりたいことやろう、という、それを希望として働いた。

 そのうち、55歳の定年が60歳に延びた。
 寿命が延び、56歳から30年とか40年とか長生きする人がほとんどとなった。
 こんなに長生きされたのでは、年金を支払う側(会社・国)は、支払い不能状態となってしまう。

 そこで、会社側と国側は、定年を55歳から60歳に延ばし、年金の支払額を減らすことを算段した。
 しかし、人々はさらに長生きするようになった。
 長生きすれば、それだけトータルの生活費は大きくなる。

 「働かないおじさん」は、こんどは、生活費が足りなくなったので、昔のように「定年後は、やりたいことをやろう」などと甘ったれたことを言っていられる状態ではなくなった。
 国と会社に、定年後も「給料は四分の一、あるいは八分の一でもいいですから、何とか働かせてください」と言わざるを得ない状態になってしまった。

 さらに「おじさん」はいう。
 「70歳まで働かせて下さい」

 ということで、会社と国は、生きてゆけない人が増えるのも困るから、「四分の一、八分の一の給料を払って60歳から10年間は働いてもらうか」ということになった。

 さらに、その次に何が来るかといえば、「75歳まで働いてもらうか」、「80歳まで働いてもらうか」ということになるだろう。
 以上

 

2021年10月6日 西田幾多郎 『善の研究』 岩波書店 1950年

2021-10-06 | 昼間のエッセー
211006_西田幾多郎 『善の研究』 岩波書店 1950年

 西田幾多郎の『善の研究』という本がいなかにあった。
 昔の人には人気があったようだ。
 今の人には読めないだろう。

 p.86
 <引用>
 普通では時間上の連続に於て先だつ者が能働者と考へられて居るが、時間上に先だつ者が必ずしも能働者ではない、能働者は力をもったものでなければならぬ。而して力といふのは實在の統一作用をいふのである。例へば物體の運動は運動力より起るといふ、然るにこの力といふのはつまり或現象間の不變的關係をさすので、卽ち此現象を連結綜合する統一者をいふのである。而して嚴密なる意義に於ては唯精神のみ能働である。
 <引用終わり>
 
 能動者:支配する側にいる者。 能動者は力を持ったものでなければならぬ。
 「力」:支配される側より優れた能力。
 「支配する」側を「統一者」という。
 普遍的関係:未来永劫変わらない関係。

 上記は言い換えれば、次のようになるのではないか?

 我々は、時間の中に生きている。
 時間は絶えず流れている。
 先に生まれてきたものが支配者とは限らない。
 支配者は力を持たなければならない。
 その力を生み出すものは「精神」だけである。

 さらにわかりやすくいえば、

 人に優劣があるとすれば、その基準は年齢ではなく精神である。

 しかし、こんな「当たり前のこと」を原文のように分かりにくく言って、いったい何がいいたいのだろうか? 

 以上