ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2015年6月12日 『なぜ生きる』という題名の本

2015-06-12 | 日記

 精神科医と哲学者が書いた『なぜ生きる』という本。

 この本を読んだことはない。ただ、この本はすでに86万部売れているらしい。ということはこの本を読んでいる人が相当数いるということだ。

 この本を買う人は、「なぜ生きる」かを知りたいのだろうか?

 今の自分には不思議な気がするが、よく考えてみればそんな考えに取りつかれた時も過去あった。しかし、このテーマは、本を読んで教えてもらって納得できることなのだろうか?

 批判はしない。いつか自分もこの本を必要とする時が来るかもしれない。しかし日本人の思考はなぜこういう方向にいくのだろうか?

 ではまた

   

 


2015年6月8日 聖書のケセン語訳

2015-06-08 | 日記

山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語約』文春新書2011年

 

-思わず笑っちゃう「聖書」のケセン語(岩手のことば)訳-


「聖書」の、いわば礼服をまとったような文章も、
岩手のことばに訳せば、まさに日本の土着の宗教のように思える。

これを訳した山浦玄嗣(はるつぐ)さん(昭和15年生まれ)という方は
東北大学医学部を出られたお医者さんで、
なんと、聖書を翻訳するためギリシャ語を勉強され、
ギリシャ語からケセン語に訳されたという。
且つ、聖書に書かれた土地を見に、
何度もエルサレムなどに行ったというから、驚きだ。

日本人の中で、ギリシャ語を知り、岩手方言を知り、
且つ、キリストの活動した土地を調べに行った、この山浦さんに、
ケチを付けられる人はそういないのではないか。

どうしてこの翻訳を読むと、イエスの言っていることが、
日本土着の宗教のように感じられるのか?
ちょっと、翻訳を読んでもらえれば、すぐわかります。

では、紹介しましょう。

 

「悔い改めよ。天の国は近づいた」

翻訳:

「さあ、心(こゴろ)ォスッパリ切り換(ゲ)ァろ!
神さまのお取(ど)り仕切(しギ)りァ 今まさに此処(こゴ)にある!」

 

「わたしは、道であり、真理であり、命である」

翻訳:

「俺ァ、人ォ 本当の幸せに導(みぢび)ぐ。
俺ァ、人ァ 本当に幸せになる なり方(ガだ)ァ教(おせ)える。
俺ァ、人ォ 幸せに活(い)ぎ活(い)ぎ生がす」

 

「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、
善悪の知識の木からは、
決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう」

翻訳:

「この庭のどの木の実でも採って食え。
んだどもな、
善(よ)し悪(あ)しィ見分げる木の実ばりァ、
絶対(なッたら)食うなや。
食えば必ず死んでしまうぞ」

 

「こころの貧しい人は、幸いである、
天の国はその人たちのものである」

翻訳:

「頼りなぐ、望みなぐ、心細(こゴろぼそ)い人ァ幸せだ。
神さまの懐(ふとゴろ)に抱(だ)ガさんのァ その人達(ひたぢ)だ」


というような、「んだ、んだ」といいたくなる、翻訳がいっぱいです。

では、また


2015年6月8日 詩:独楽(こま)と少年

2015-06-08 | 日記

独楽(こま)と少年

小さい頃の、
あの毎日が楽しく、忙しく、遊び疲れて寝てしまう生活は、
独楽が回っているのといっしょだ。
ぐるぐる回っているから倒れない。
自分がぐるぐる回っていることになんか絶対気がつかない。

年を取るというのは、
それまで自分が回っていることに気がつかなかった独楽が、
自分は回っていると気が付くことなのだろう。

回っている独楽が、自分が回っていると気付くとどうなる?
目が回るのかな?
そして軸がふらふらとしだすのだろう。
回転が止まれば倒れる。

今日、ふと子供というのは自分が回っていることに
気がつかない独楽のようだと思った。
年寄りは、自分が回っていることを知っている独楽だ。