ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2022年3月22日 需給ギャップ。「日本経済の需要と潜在的な供給力の差を示す需給ギャップは足元で20兆円程度あるとされる」

2022-03-22 | 昼間のエッセー
220322_需給ギャップ。「日本経済の需要と潜在的な供給力の差を示す需給ギャップは足元で20兆円程度あるとされる」

 2022年3月22日 産経新聞 P.1  

 需給ギャップ。「日本経済の需要と潜在的な供給力の差を示す需給ギャップは足元で20兆円程度あるとされる」

 わかりやすく言えば、生産する人(または生産されたもの)と、消費する人(または消費されたもの)の差が、生産する方が多く(生産する方が過剰で)、その過剰の額が20兆円ある、ということのようだ。

 だったら生産しなければよいのではないかというのは、経済学の上では正解ではないようだ。

 消費額が少ないのは人々に金がないからだ。
 
 これらの(金のない)人々に、合法的な方法で金を渡し(この金は返してもらわなくてもよいらしい)、ものを買わせろ。

 そうすれば、生産物された量は全部買ってもらえる、ということらしい。

 以上

2022年3月15日 森進一の「襟裳岬」にこういう文句がある

2022-03-15 | 日記
220315_森進一の「襟裳岬」にこういう文句がある

「・・
いじけることだけが
生きることだと
かいならしすぎたので
身構えながら 話すなんて
あーおくびょうなんだよね
・・」

この歌詞の意味はずっと分からなかった。

しかし、最近、コロナ禍になって、
みんな自分の不幸を人のせいにするようになると、
この文句の意味がわかるようになった。

私の解釈は:

・・・・

(会社で上司からひとこと言われたり、友人から説教みたいなことを言われた時はあたまにくる。そんなときは)

いじけることだけが
生きることだと(思っていた)

(自分の中のわがままなこころを)

かいならしすぎたので

(いつも、誰かと話すときは文句をいわれるのではないかと)

身構えながら話すなんて、

あ-、おくびょうなんだよね

・・・

と、こういう意味ではないだろうか。


以上