ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2013年12月6日 リマ

2014-06-21 | 日記

 リマの日本人宿である。日本人宿には、クスコ及びブエノスアイレスでもお世話になった。一泊45ペソ(約1500円)、値段は個室であり、相部屋であればもっと安い。住居のつくりは、道路に面して幅1mほどの鉄製の戸があり、その中に小さい中庭を囲むように両サイドに居住用の建物がある。この建物のつくりは他の南米の国でも一緒である。雨はほとんど降らないため、屋根はトタンなどで簡単に葺いてある。

 日本人宿は、当然だが日本人には居心地がよい。オーナーは日本人であり、客も日本人である。日本語で用事が済む。客は若いバックパッカーがほとんど。ツアー客はいない。日本語が通じるため、バックパッカーはここで各地の情報を交換する。

 この宿のオーナー(日系二世)の方に、これからの進路にあるナスカークスコ間を自転車で行けるかどうか聞いた。この間は、海抜0mから進み4390mの峠を最高として4000m台の峠を何ヶ所か超える。アンデス山脈越えで距離にして665km。オーナーは、即座に無理だという。トラックを雇うかバスに自転車を載せろ、という。いうことはわかったが、ことばのできない一人旅で、初めての国でどこでどうすればよいか分からず。

 リマで初めての昼食。宿より20mのところにある食堂に一人で入る。テーブルが4つくらいで、客は私一人。年老いたおじいさんとおばあさんがやっている店。紙に書いたメニューはない。入口に4行ぐらい何かランチの名前と思われるものが書いてあるのだが、理解できない。和西辞書で「米」を引くと「アロース」と出ているので、大きな声で「アロース」と叫ぶ。アロースは通じたようだが、そのあと、いろいろ質問してくる。まったくわからないので、適当に相槌をうった。10分後出てきた料理は、上の料理でパスタの入ったスープと鶏肉とジャガイモを添えたライス。おいしい。この後、食堂に入ったときはいつも「アロース」と大声で叫んでいた。

 

 

 

 

(上)リマの街並み。

 

(上)宿の近く。ゴミ置き場は地上の上にある。おそらく犬対策だろう。大きい教会も見える。マンションの塀には有刺鉄線と電線が設置されている。

 (上)クリスマスが近いので装飾用の人形などが売られている。果物の種類も多い。

 (上)壁は落書きでいっぱいだ。南米ではどこに行っても落書きでいっぱいであった。

 

 

 

 

 

 

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4ヶ月にわたる南米自転車旅行 投稿を再開しました

2014-06-21 | 日記

 これから南米の自転車旅行を紹介します。2013年12月6日に空路リマに到着、その後ひたすら南をめざしリマ到着後110日目に、すなわち2014年3月25日に、大陸最南端の町アルゼンチン Ushuaia にたどり着きました。Ushuaia よりアルゼンチン ブエノスアイレスに飛行機で移動し、2014年4月5日、ブエノスアイレス空港より帰国しました。これは、60歳を超えたじいじいのたった一人の南米自転車旅行物語です。

 

 2013年12月6日、午前1時、リマ空港に到着しました。(写真上の日付・時間は、カメラ内の時計を時差修正していないため、日本時間となっています) 

 さっそくトラブルが発生しました。飛行機に託送した自転車を組み立てる工具の入った箱が届きませんでした。計画では、リマ空港で自転車を組み立て、自転車に乗って市内に向かうつもりでしたが、これができなくなりました。リマ空港で6時間時間をつぶし、朝7時タクシーで宿に向かいました。宿は日本人が経営する日本人しか泊まらない宿です。

 空港より宿までは約15kmほどです。タクシーに乗ってショックを受けました。運転の仕方です。車線をひっきりなしに変えます。まるでゲーム機の中の情景ようです。クラクションを3分ごとに鳴らします。前を走っている車の後ろにわずかでも空間があればそこに突っ込んでゆきます。私は自転車で旅行するので、道路上に自転車が走っていないかどうか気になり、自転車を探しましたが一台も見当たりませんでした。気が付いたのですが、自動車が道路の端まで占拠しているため自転車が動けるスペースがないのです。こんなことでこれからの自転車旅行はできるのだろうかと暗澹たる気持ちになりました。

 

 

 

 

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