ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2022年5月12日 エマニュエル・トッド(フランス人、人口統計学者)著『老人支配国家日本の危機』文藝春秋 より

2022-05-12 | 長い本を百分の一に圧縮
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エマニュエル・トッド(フランス人、人口統計学者)著『老人支配国家日本の危機』文藝春秋 より

 日本の家族(すなわち日本)は、彼の人口統計学よれば「直系家族」というものに分類されるという。
直系家族とは、「財産の相続」を長男が担い、次男以下の男達、娘達はその外に追い出される、という伝統。
(この解釈は法律的には正しくないが、日本人の精神・伝統のことを言っている)

 この「直系家族」の精神的特徴は、上(父)からの命令には従順に従う性格を産む。
これを「権威主義」(権威を大事にする)とも呼ぶ。

 同時に、家を出て行くことになった次男以下の男達、娘たちは(資産を相続出来なかったので)必然的に「自分で稼ぎなさい」といわれたことになる。これを逆に言えば、次男以下及び娘たちは、「お金は自分で稼ぎなさいよ、そのかわりどう生きようと(悪いことをしない限り)自分の自由ですからね」といわれていることになる。

 この、次男以下の男たちと娘たちの「何をしても自由ですよ」ということ、つまり、子供を持つのもいいし、持たなくてもよい、会社で働くのもいいし、趣味で生きるのもいい、という「選択の自由」が、結果として、自分たちの人生の重荷になる可能性のある「子育て」ということを選ばせない、ことにつながるという。
 以上
 

シェリル・ストレイド『わたしに会うまでの1600キロ』静山社 2015年(パシフィック・クレスト・トレイル踏破記録)

2020-01-11 | 長い本を百分の一に圧縮
200110_シェリル・ストレイド『わたしに会うまでの1600キロ』PCT

 シェリル・ストレイド『わたしに会うまでの1600キロ』静山社 2015年

 


 本書は、当時(トレイルを歩いた時)26歳だった女性が、自分の過去から抜け出そうとし、その“手段”として、米国西海岸(カリフォルニア州、オレゴン州及びワシントン州)を貫くパシフィック・クレスト・トレイルを踏破したことを振り返って、2010年に書いた物語だ。


 パシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail。以下、「PCT」)とは、メキシコ国境からカナダ国境まで米国西海岸の山岳地帯を貫き、その距離は4,250kmもある。


 彼女は、その行程の内、1,600kmを歩いた。
 本文は、九割が彼女自身の過去についての話であり、トレイルの話は一割くらいしかない。
 それでも、26歳の山登り素人の女性が書いた踏破記録であり、面白く読める。


 私も、2016年4月から9月までこのトレイルを歩いたので、この山の中の風景を思いだす。


 彼女が、このトレイルに挑戦した1995年は、大雪の年であり、3000~4000メートルの標高のあるシエラ・ネバダ山脈は通行不能であった。


 彼女は、出発前、乾燥食料などを12個の段ボールに詰め、友達に預けた。
 これは、トレールの現在位置を確認しながら、先のポイントに食料を送ってもらうためである。
 彼女は、登山の経験はなかった。
 出発時の装備は非常に重く、立ち上がるのが難しかったと書いている。

 彼女は、1995年6月初旬、メキシコ国境から909km北の地点にあるカリフォルニア州モハベ砂漠・テハチャピ峠という場所から出発した。
 【私の場合は、2016年4月23日、メキシコ国境を出発し、5月30日、テハチャピに着いた】
 
 
 【テハチャピ】


 ジョシュアツリーがたくさんあると書いてある。
 
  
 【ジョシュアツリー】


 出発から9日目、ウオーカー・パスに着く。(国境から1,043kmの地点)【私、6月9日到着】

 
 【ウオーカー・パス】 


 出発から14日目、ケネディ・メドゥズに着く。(国境から1,123kmの地点)【私、6月12日到着】

 
 【ケネディ・メドゥズ】


 積雪のため、トレイル・パス(国境から1,192kmの地点)で一旦トレイルを降り、ヒッチハイクでシエラ・シテイに行く。【私、雪は少なく続行した】

  
 【トレイル・パス】


 シエラ・シテイに着く。(メキシコ国境から1,912kmの地点) 【私、7月22日到着】

 
 【シエラ・シテイ】


 ベルデン・タウンに着く。(メキシコ国境から2,054kmの地点)。【私、7月26日到着】

  
 【ベルデン・タウン】


 オールド・ステーションに着く。(メキシコ国境から2,194kmの地点)【私の、7月31日到着】

 
 【オールド・ステーション】 


 バーニー・フォールズに着く。(メキシコ国境から2,266kmの地点)【私、8月3日到着】

 
 【バーニー・フォールズ】


 キャッスル・クラッグに着く。(メキシコ国境から2,403kmの地点)【私、8月8日到着】

 
 【キャッスル・クラッグ】
 

 セイアッド・バリーに着く。(メキシコ国境から2,645kmの地点)【私、8月15日到着】

 
 【セイアッド・バリー】

 クレーター・レイクに着く。(メキシコ国境から2,914kmの地点)【私、8月23日到着】

 
 【クレーター・レイク】


 コロンビア川に着く。(メキシコ国境から3,430kmの地点)【私、8月27日到着】

 
 【コロンビア川】


 彼女の旅は、オレゴン州・ワシントン州境のコロンビア川到達をもって終わっている。


 私の場合、さらにワシントン州を歩き続け、2016年9月29日、カナダ国境まで歩いた。

 ・・・・

 私の、2016年、パシフィック・クレスト・トレイルの旅は下記の「ブログ」に掲載されています。

 「2016年PCTへの旅―4月」のブログ記事一覧-Sugar's Adventures (PCT trail name is "SUGAR" in 2016)



 以上


2019年11月20日 吉川尚宏 『ガラパゴス化する日本』 講談社 2010年

2019-11-20 | 長い本を百分の一に圧縮
191120_吉川尚宏 『ガラパゴス化する日本』 講談社 2010年

 この本は、2010年頃に日本の未来を予想した本である。
 それから9年が過ぎた。
 予想が当たったかどうか見てゆこう。

 1.医療サービス

 日本の病院は外国人の患者を誘致しようとしない。
 現在(2019年)でもそうである。

 2.日本の大学は、世界の中でランキングが低い。

 現在でもそうである。

 3.会計基準
 
 著者は、欧米の会計基準IFRSの普及度言っている。
 日本でどの程度のレベルまで採用されているのか分からない。

 しかし問題点が一つある。
 IFRSの基準が良いとは限らない。
 IFRS会計基準で物事を考えるソフトバンクを例にとれば、そう考える理由はわかるだろう。

 4.携帯端末・PHS

 著者の言う通り、なくなった。

 5.地上ディジタルテレビ

 まだある。

 6.デビッドカード

 私は、使ったことがない。

 7.非接触型ICカード(たとえば「スイカ」)

 現在でも使われている。
 日本人一人一人がまだ持っている。

 8.おサイフケータイ

 使ったことがない。
 もうだれも使っていないのではないか。

 9.カーナビ

 日本のカーナビは、世界標準からみるとガラパゴスという。

 10.ファクシミリ

 これがガラパゴスかどうかはわからないが、「メール」が出来た今、ファクシミリを使う人はいないだろう。

 11.アジアの金融センターになれなかった東京の金融市場

 今でもなれていない。

 12.海外に行く若者が増えない

 いまでもそうだと思う。(定年退職者を別として)

 13.柔道

 柔道は、日本の基準が世界基準となった。あたりまえだ。

 15.ガラパゴス化が進むと

 ガラパゴス製品(日本でしか使われない)は、日本の人口減少とともに生産は減る。

 16.高齢者が豊かな日本

 2019年現在、これは変わらず。

 17.ガラパゴス化とは無関係の会社・業界

 海運業界。コンテナという世界共通の入れ物を使っている。
 



 


 

2019年10月19日 増田寛也編著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』中央公論新社 2014年

2019-10-19 | 長い本を百分の一に圧縮
191019_増田寛也編著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』中央公論新社 2014年

<引用>

P.141
 
「やがて東京も収縮し、日本は破綻する」

2012年の東京の出生率は 1.09。

この出生率が三代続いたらどうなるか。

100人の人口が、曽孫(自分→子→孫→曽孫)の代には 12、3人となる。


「東京に若者を受け入れる能力はあるか」

ない。

若い者を低賃金で「使い捨て」にしている。


「トキという鳥」

(推測だが)日本にいたトキは、このままでは自分たちは絶滅してしまうのではないかと、動物の本能で考えたのではないだろうか。

 中国へ飛んで行った一群があったそうだ。

 日本のトキは絶滅したが、この中国に飛んでいって子孫を残すことに成功したトキが、いま中国から日本に逆輸入されている。

<引用終わり>

2019年6月2日 ソークラテースの思い出

2019-06-02 | 長い本を百分の一に圧縮

190602_ソークラテースの思い出


 クセノフォーン『ソークラテースの思い出』岩波書店 1953年


 クセノフォーンは、今から2400年ほど前のギリシア人だ。

 最近、この人の書いた『アナバシス』(小アジアで、1万人のギリシア人傭兵がペルシアから逃げる話)を読んだ。
 
 この人は、ソークラテースの友人で『ソークラテースの思い出』という本も残している。

 これを読んでみよう


・・・・

 p.21

 「ソクラテスは、国の認める神を信奉せず、かつ、別の神を導入した罪を犯した。また、青年を腐敗させている」という罪で死刑を宣告された。

 私(クセノフォーン)は、ソクラテスのことをよく知っている。

 私はソクラテスの友人で、彼とはよく話した仲だ。

 彼が、私に語ったことをここに記載し、ソクラテスは無実だということ証明したい。

・・・・

 p.34

 ソクラテスはこう言った。

 「もし牛飼いが、牛の数を減らせば、それは良くない牛飼いだ。

 もし、国の指導者が市民の数を減らし、質を低下させたら、それは指導者がよくないからだ」

 これを聞いた指導者はソクラテスを呼び出し、こう言った。

 「おまえは、若い者と話してはならない」

 ソクラテス「若いものとは、何歳までの人間か?」

 「30歳までのものをいう」

 「もし、買い物をするとき店員が30歳以下であったら、話してはいけないのか?」

 「ソクラテス、君は、分かり切っていることをたずねる癖がある。そんなことはかまわない」

 「では、若い者に道を尋ねられたら、返事をしてはいけないのかね」

 「そんなことはいい。しかし、だめなのは、牛飼いの話だ。牛飼いの話をしてはいけない」

 ということだったので、指導者が牛飼いの話に怒っているのが分かった。

 ・・・・

 p.47

 〔日本の戦国時代のように、古代ギリシアでは少年愛というものが普通に行われていた〕

 ソクラテスは、クリトーンの息子のクリトブーロスが、アルキビアデースの美しい息子に接吻したということを聞いて、クリトブーロスのいる前で、クセノフォーンにこうたずねた。

 「クセノフォーン、君はクリトブーロスが思慮深い人間と思っていたかね」

 「思っていました」

 「では、これからは、そう考えるのはやめたまえ。快楽に時間を費やし、有益なことに使うべき時間を失うということは、正気とは思えない」

 ・・・・

 p.161

 アテナイに、テオドテーという美しい女がいた。

 承知させることができれば誰とでもつきあう女だった。

 ソクラテスの弟子の一人が「言葉を絶した美人だ」というと、ソクラテスは「それでは実際に見学するしかない」といった。

 テオドテーは、絵描きのモデルになっていることろであった。

 ソクラテスは弟子たちに言った。

 「諸君、彼女が彼女の美しさを見せてくれたことに対し、我々が彼女に礼をいうべきであろうか? 
 それとも、見せることが、彼女の利益を増やすならば、彼女が我々に礼をいうべきであろうか?。彼女は、我々の称賛を獲得し、我々は煩悩の虜になり彼女の崇拝者となった」

 テオドテー「まあ、そうであれば、私のほうが、皆さんに見ていただいたお礼をしなくてはなりませんね」

 ソクラテス「テオドテー、お前は地所をもっているかね?」
 
 「もっていません」
 
 「それでは、家作(収入のあて)はあるのだろうね」
 
 「ありません」

 「それでは生活の資をどこから手にいれているのかね」

 「世間の方で私のお友達になって、よくしてくださろうという方があれば、それが私のくらしの道なのです」

 「それはすばらしい財産だ。
 ところで、おまえさんはお友達が蠅のように飛んでくるのをただ待っているだけなのかね。それとも、何か工夫をするのかね」

 「どうして、良い工夫が、見つけられますか?」

 「それは女郎蜘蛛なんかより、容易にできるよ」

 「それでは私に、何か罠(わな)をはるようにすすめるのですか」

 「そんな簡単な方法で獲物を捕らえられるとは考えてはいけない。

 兎狩りをるときでも犬が必要だ」

 「では私はどうしたらいいのでしょう」

 「犬のかわりになる人間を一人、手に入れればよろしい。
 その人が、美人の味のわかる人間どもを嗅ぎまわって探し出し、お前さんの網の中に追い込むだろう」

 「それなら、あなたが協力者となって、友だちを捕らえさせてくれないんですか?」
 
 「もちろんそうするよ。お前さんが、私を説き伏せられるならば、の話だが」

 「ではどうしたら、私は、あなたを説きふせられましょうか」

 「それは、自分で探して、自分で工夫することだ」

 「それなら、それを教えていただくために、ときどき家に来てください」

 「だがね、テオドテー、私には暇がないのだ。
 可愛い娘(弟子たちのこと)がたくさんいて、私を離さないのだ。
 こういうことは、たくさんの惚れ薬や糸車がなくてはできないことだよ」

 「その糸車を貸してください。最初にあなたを引き寄せますから」

 「実のところ、私はおまえさんに引き寄せられるつもりはなんだ。
 おまえさんが私のほうに来るのを望むよ」

 「行きますわ」

 「歓迎するとも。 
 但し、私の家に、お前さんより好きな娘(弟子のこと)がいなければ、の話だがな」

 ・・・・

 ソクラテスは、難しい話ばかりをしていたわけではなく、くだけた話もしていたのだ。