昨日は、購読している新聞の休刊日であった。前日の知事選挙の結果をどう報じているのか気になったが、概略はネットニュースで分かっていた。テレビが競争で速報を出すことに疑問を呈し、批判的でもあるので、特に新聞が遅れても不都合はないのだが、休刊日という仕組みにいくつかの問題があるように思う。私の誤解があるかもしれないが、敢えて書き記しておこう。
休刊日の根拠は、新聞配達に従事する人たちの慰労、休養のためのようであり、それに加えて、制作担当者の休養のためのようであるが、おそらくは後者が第一義であろう。
私たちは、新聞という「紙」を購入しているのではなく、その紙を媒体とする情報を買っているのである。
同じ情報産業であるテレビ、ラジオに放送を休む日がないのに、なぜ新聞だけが休みの日をせっていしているのだろうか。配達員を慰労するためなら、単に従業員の労働日程を調整する、従業員を増やすという措置を採ればよい。人手不足は、他の職種でも同じであり、コンビニ等は、休みなく営業している。コンビニはブラック化しているというが、ブラックでない企業もあるはずで、そこに知恵を絞った企業のみが評価され、生き残るのだろう。
人材不足が、労働条件の低劣さのためであるのなら、きちんと根拠を示して、購読料の値上げを提案し、読者を説得すべきである。
ところで、休刊日という、商品の提供をストップする日が、年間10数日もあるが、その分の新聞の代金は割引になっているんだろうか。普通そんな些末なことは気にしないで購読しているが、どうなのであろうか。駅の売店等では、1部いくらで売っている。商品に価格がついているのは当然であるが、商品を提供しないのなら、その分、代金を請求しないのも当然である。朝、読、毎は、全く同一の購読料というのも胡散臭いが、それはともかく、購読料と1部当たりに、統一の料金が存在するのは確かである。
このところ、ネットで新聞のニュースを読むことも可能になっている。しかし、その提供の仕方が潔くない。一部だけを紹介し、その後の記事は、読者登録をしないと読めなくなっているのである。見出しだけを紹介する方が気持ちがいい。こういう新聞社の姿勢は、ある意味では合理的なのであろうが、心情的には支持し難い.思わせぶりで思い切りが悪いのである。
消費税について、新聞は対象外にというような主張があった。時に、社会の窓、社会の木鐸を装う新聞であってみれば、すべてにおいて分かりやすく、道義的であってほしい。