新潮45の特集号を巡って、狭い出版界は、右往左往しているようだが、世間は冷静である。何を大騒ぎしているのか。何しろ,たかが一雑誌の編集のありようである。炎上商法などとの中傷は、読者を馬鹿にしていないか。
一定の立ち位置を明示している雑誌の存在価値は重要である。批判する向きは自由にすればよい。批判される側は,受けて立てばよい。ただ、それだけのことだ。一雑誌の存在を過大視していないか。出版社の責任云々など烏滸がましい。編集のよしあしは、読者に任せなさい。次号から,全く売れなくなったら,その時点で営業の観点から考えればよい。 神経質な出版界、投稿者の反応は、表現の自由を阻害し,建前主義を助長し、読者の思想を束縛する。再度言おう、たかが一雑誌の編集方針である。その善し悪しは,読者の手で行う。淘汰の原理が機能して、本当に問題がある場合は、それなりの結果が出るであろう。それまでは、得体の知れない有識者やいわゆる専門家は,口を出さないでもらいたい。