葬儀が終わって、やはり気が抜けたのだろうか。
思い返すことも、文字を綴ることも、今は覚束無い。
5月11日(水)の夜に亡くなったのだが、友引の関係で通夜が1日ずれ、13日(金)が本通夜、14日(土)が葬儀となった。
親族とはこういう機会にしか会わない。
昔はよく行き来があったが…。
二日を通して受付を任された。
途中までは従姉妹たちと応対していたが、そのうち私一人が管理するはめになった。
やっぱりね。と思ったが、まぁ、いいか。喪主の娘だし、やらなあかんだろう。
葬儀は身内だけでひっそりと行ったが、予想よりも多くの方が来て下さった。
父の在職中であれば、父の会社関係者の参列がとてつもないことになっただろう。
淡々と進む読経。
何の感情も介在しない ただの作業。
途中、誰かが泣き出すと、もらい泣きをするらしく、すすり泣きの連鎖が始まる。
焼香の時には号泣の大合唱だった。
涙はとめどなく流れる。
通夜と葬儀で、何年分、泣いただろうか。
棺に入れるモノは殆どない。
好きだった花や色を、子どもたちでさえ知らない。
優しかったかと言われると即答は出来ない。
だけれども、何がポッカリと大きな穴が空いたような、喪失感。
火葬され、小さな骨壺に入るだけ取り入れた。
脊椎がしっかりと形を留めていたのにはやや驚いた。
火葬場から戻り、初七日まで済ませた。
自宅に帰り、祭壇に並べ、不祝儀の計算。
お返しをどうするかもまた決めなければならない。
次は四十九日。
暫くはまだ慌ただしい。
夫(祖父)と同じ墓には入りたくないと言っていた。
骨は海に撒いて欲しいと言っていた。
どれも叶えてやることは出来なかったけれど、許してくれるだろうか。
いつか、海を見に行こうか。
懐かしい場所を巡り、少し昔を思い出そう。
思い出は、思い出せないほどあるのだから。