食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『ヨーロッパ3か国の旅、ドゴール空港出発』

2013年04月22日 18時47分15秒 | 旅行

ここが最後の観光地でだらだら坂を麓まで下りバスに乗り込む。ホテルに到着後、

横のカフェでコーヒーを飲みながらリラックスしていると疲れが出たのか、ソファー

で居眠りがついた。最後の昼食ということで同席の人とワインのお代わりをしたの

が、きつかったのかも知れない。これからドゴール空港に向けて出発、空港の免

税店で土産の仕上げとして、エスカルゴと煙草を買うことがパリ最後のタスクだ。

先述したようにエスカルゴは缶詰をゲットでき、更に土産用の手提げ袋に空きがあ

るからと有名なMaximのチョコも衝動買いの結果、この袋は随分と重い手荷物にな

ってしまった。ドゴール空港の警備は大変厳しく怪しい荷物と判断された場合、コ

ールされることがあり、それに応じないと小型爆弾で爆破されることもあり、ガイドさ

んも何度か聞いたことがあると脅かされた。また、時には麻薬犬の出動もあるらし

い。私たちはロスで経験したが、いくら身に覚えはないと言っても、犬が間違って

ワンでも泣こうものなら大変な迷惑だ。泣くなと祈りつつ早く通り過ぎてと懇願した

ことを思い出した。買い物をしていると直ぐに時間が過ぎ、搭乗時間となりあとは

寝るなりビデオを観るなりお好きなように、の体制になる。

この日一日の行動に特筆すべきことはなく夜の出発時刻8時40分になっても同様、

飛行機に乗ってからはワインを2つ貰って私が頂く作戦にも変わりなし。

搭乗後すぐに機内食の配膳などなどで時間はあっという間に過ぎ、気が付けばも

う周囲の人たちの中には熟睡モードの人もいた。相変わらず夜更かしの不良爺は

録画しておいたTV番組をエンジョイしながら、時には綾小路きみまろの喋りにクス

クス笑いしたりして・・・・

こうして観た番組の中でNHKの特番『原発』で分かった真実。もし、国や東電が当

たり前の原発政策を進め外国並み体制を採っていたらメルトダウンは防ぐことがで

きたかも知れないことだ。

イソコン(緊急冷却装置)は電気がなくても原子炉を冷却できる装置で、今回のよう

な事故では最も重要な意味を持つ。福島原発は津波で全交流電源喪失してしま

っていたから、電気を必要とする制御装置は何の役にも立たない。

イソコンが稼働していれば原子炉は電気も要らない原始的な方法で冷却で

きていたのだ。作業員の確認では『白い蒸気がモヤモヤと出ている』との報告があ

った。それを聞いた制御室では『イソコンは稼働している』と思ってしまった。

実は日本ではイソコンの点検は実施されていないし過去40年近く稼働させて一度

も動作確認すらされていなかったことが判明した。原発大国のアメリカでは4年に1

度の点検が実施されているから運転員はイソコンの稼働時の状態、停止時の状態

を知っているのだ。東電職員が『モヤモヤした蒸気』と言っていたのは『イソコンが停

止してから1時間後』の状態だったのだ。アメリカ原発の運転員は『イソコンが稼働

中は轟音がして蒸気は吹き上げるほど出て建屋の上を覆い尽くすほどになる』と証

言している。

もし東電がイソコンの事を知っていたらメルトダウンという悲劇を回避できた可能が

ある。国、原発メーカー、東電、いずれもが稼働に当たって必要な措置を講じなか

ったつけで、今でも15万人もの人が故郷を追われ続けていることを思えば、お粗末

だけでは済まされない。原発大国フランスを後にしながら、それでも、何を言われて

も何をしでかしても、へこたれない、それが天下の東電だなーと思いつつ、放射線

に汚れた日本に帰る、変な廻り合わせ。

こんな番組を観ながらのフライトは全く退屈を感じさせないものだが、その内ウトウト

したのだと思う。。

寝たような寝なかったような機内で迎える朝は食べたくない機内食の準備で目が覚め

る。パリを夜に出発し上海へは午後4時頃に到着だから、体内時間は朝を迎えるが窓

のシェードを開ければ太陽が煌々と輝いていた。

はっきりと覚えていないが朝食で出されたのは中華料理で、餃子とシューマイがあっ

たから、やっと中国まで帰って来たと実感できた。3/23発のツアーだけは上海に夕方

着で2時間ほどして岡山に向けて飛ぶが、他の日程は朝方に到着し再び上海市内観

光だから、もしそうだったら非常に苦痛を感じながらの観光だったろうと推察される。

到着ゲートから出発ゲートに移動し、ここで最後のお土産として婿殿たちに煙草を買

う。ドゴール空港で買おうとしたら40/80と表示されておりどうも1パック40€、2パック80€

を示しているようだった。上海は日本円で2000円くらいであることを知っていたし、荷物

も嵩張っていたので、値段を確認したりするのも面倒だったから、敢えて聞きもしなかっ

た。だから本当に40/80は€だったのか分からない。

買い物を済ませ椅子に座って出発を待っていると、添乗員さんが『到着後は各自で荷

物を引き取り暫時解散とします。岡山で改めて挨拶をすることもないでしょうから、ここで

皆さんのご協力によりスムースな旅が・・・』と話され、いよいよ旅のフィナーレがやって来

たと誰もが思った。

 

                        ドゴール空港


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