同じような年数を農作業に費やしても、其処には大きな差違が生まれることがある。子狸が実感するのが畝立て作業、早い話、畑に畝を作るだけのことだが、結果的に大きな違いが出来てしまう。原因は熱量の差かなと想像している。つまり作業への集中度、作業の細やかさ、創意工夫の違い、根気強さ、等々が違いを生み出しているのではなかろうか。画像をご覧頂けたら一目瞭然かなと。
トップ画像は子狸が作成した畝の一例だ。大まか(世間では杜撰とも)で精密さの欠片も無い。一応畝の形状をしているだけ・・・・・・といった案配だろうか。反して後段2枚の画像は長老の畝立ての結果である。画像を眺めただけで違いがお解りかと。一目千本、ではないが何とも見事な形状でしょう。しかも彼はクワ1本でこの形状を作り上げるのだ。何ともはや。
彼の畝立てを眺めていて、優美さと共に感嘆するのが、見事な直線。しかも子狸と違い、彼は目印のライン用ロープを使用しない。全て目測なのだ。次に驚嘆するのが畝側面の滑らかさ、何と彼は足で踏み固めての作業なのだ。三番目の驚きが畝土壌の細やかさ、どうも作業中に団子状の土塊を細かくつぶしているようだ。総合的に眺めると、注意深く熱中してしかも根気強く作業を継続している模様。
彼は大御所に次ぐ高齢者、正直、作業の肉体的負担も少なく無いかと思う。にもかかわらずかくも見事な畝を作り上げる。あやかりたいと思いつつも追っつかないのが実情だ。山は大きく道は遠い、それにしても杜撰で大まかな気性を直していかないと。