木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

森からの贈り物

2022年09月30日 04時57分34秒 | 森の果樹園

チームリーダーからメールが入っていた。「森の作業に入山して、栗を拾ったので農園の小屋に置いてます。お持ち帰り下さい」との内容だった。すっかり忘れていたのだが、作業中にわざわざ「大御所」が栗を届けてくれた。森の作業チーム全員分が置いてあったらしい。子狸が森の作業に参加できなくなってかれこれ1年となるが、仲間たちは依然同志として認めてくれてる模様、有り難いことだ。時は秋たけなわ、森でも栗の収穫期となってるようだ。恐らくイノシシと取り合い合戦を行ってるかと思うが、勝負のほどは如何に?。森の果樹園には各種の果樹木を植え込んでいる。今頃だと栗、その後は柿、そしてキウイとなるのかな。作業のご褒美が待っているのだ。リーダーも臨時に作業に赴いたようだ。

頂戴したビニール袋を覗いたら立派な栗が入っていた。ネットから拾っても栗を開かねばならない。メンバーの分を確保しようと思えば、かなり手間暇が掛かってるかと思うが、ご苦労なことだ。作業半分、栗拾い半分・・・・といったところだろうか。作業も栗拾いも楽しいものだが、この時期、要注意なのがスズメバチの活動。森の果樹園には時々「キイロスズメバチ」が巣を作る事があるのだ。過去にも何度かあって、その折には幸いにして無事に駆除できたのだが。用具小屋の中に巣作りするので、暗くて気がつかないことがある。うかつに用具を動かすと、巣への攻撃と解し襲撃される可能性がある。晩秋ともなると働き蜂は死に絶えるので安心なのだが。

さて肝心の頂戴した栗だが、我が家では栗ご飯とする事に決定、早速皮むきを始めることに。秘密兵器を探したのだが、何処にしまったのか見つからなかった。「くりくり君」とか言う、簡単に皮むきが出来る用具である。仕方が無いので包丁で実施、鬼皮と渋皮とをむくと栗はかなり小さくなってしまう。手間暇も煩雑、栗を使った菓子や料理が高くつくはずだ。しかも鮮度落ちが激しいとくるから、収穫から活用までは時間勝負だろう。チームリーダーも急いで拾ってくれたのでは無かろうか。年に数回だが、栗ご飯は季節を感じる和食だろう。有り難く賞味しながら、森の恵みに感謝する。縄文の昔からご先祖達は栗を常食としてきたようだ。幹は固くて建築資材に活用されたとか。縄文遺跡付近からは、栗を栽培した痕跡がみつかるそうだ。いわば「森の果樹園」が数千年前に既に存在していたのだろう。

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サツマイモの試掘

2022年09月28日 05時17分39秒 | 耕作放棄地

「天高く馬肥ゆる秋」となりましたね。こうなってくると懐かしいのが「焼き芋」、落ち葉かきの後焚き火を行ってサツマイモを放り込み・・・・となれば、正に秋たけなわ。風物詩でもあります。流石に最近は環境問題何とやらで焚き火の自由が失われてしまい、寂しい思いを為さる方も少なく無いのでは。主役はサツマイモなんですが、通常10月が収穫期となります。仲間もほぼ全員が栽培中で、収穫のタイミングを待ってるところでしょう。9月も下旬となってきたので、そろそろサツマイモも出来上がっているのでは、そんな気がして「試掘」を行ってみることに。釣り師と同じで、ワクワク・ドキドキしながらスコップを持ち出します。

①子狸のサツマイモ畑、確か80本ほど植えたような。

畝の外側からスコップを差し込みます。注意するのがサツマイモを傷つけないこと、ややもすると一刀両断ともなりかねません。外側から少しずつ掘り込んでいきます。赤い姿が垣間見えると興奮もマックス、大物が潜んでいるのでは・・・・との期待感が膨らんできます。植え込んだのは品種が「ベニアズマ」、周囲では「ベニハルカ」が人気ですが苗が入手出来ませんでした。試し掘りなので数株を掘っただけですが、見事なイモが出来上がってました。イモの状態からみると、正式に収穫しても大丈夫のようです。頃合いを見計らって掘り出しても良さそうですね。

②試掘現場

サツマイモは、「栗より美味い13里半」とかの表現が為されます。9里+4里=13里、13里半>13里、と距離の大小と掛け合わせた言葉遊びも盛んなようです。何かしら、庶民生活における知的センスみたいなものも感じられそうですね。それだけサツマイモが身近な存在だったのでしょう。青木昆陽氏の功績に感謝したいものです。「享保の飢饉」が発生した江戸時代中期、既にサツマイモの栽培が行われていた薩摩では犠牲者も少なかったとか。救荒作物といわれる所以でしょうか。

③試掘結果、立派なイモがはいってました。

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ダイコンの発芽

2022年09月27日 04時49分30秒 | 耕作放棄地

冬野菜の一環としてダイコンの種蒔きを行っていたのだが、何故か1週間以上過ぎても発芽が見られ無かった。通常だと3日もあれば発芽する野菜である。気になって仲間のダイコン畑を覗いてみた。すると画像のように、小さな芽が綺麗に並んでいるではないか。確か彼は子狸よりも数日後に種蒔きした模様だ。これは完全にミスったな、と思わざるを得ない。種蒔き状況は例年通り、程よい間隔で畝間・株間を取り、各箇所に2粒ずつ種蒔きした。薄く土を被せ水撒きして種蒔きを終わったように思う。作業手順は例年どおりだが、何故に?、と思わざるを得ないのだ。

①1回目の種蒔き、ほとんど発芽が見られ無かった。

頭を抱えても仕方が無いので、新たに種子を購入し再度の種蒔きを行うことにした。二度目の種蒔きだ。幸いにして時間的にはまだ間に合うようだ。場所は同じ畑、子狸はコーヒーの空き缶を使って程よい間隔で目印に軽く穴を開けるようにしている。其処に数粒ずつ種蒔きし薄く土被せしていく手法だ。二度目の種蒔きをして数日、小さな芽が覗きだした。完全にとは思えないが、部分的には発芽が始まったようだ。何が原因だったのか、今もって謎だが、手抜かりがあったのは事実だろう。見事な発芽をみた仲間に聞いてみれば、各箇所4粒ずつ蒔いたそうな。手順は同様だとか。

②仲間のダイコン畑、子狸より遅く種蒔きしたのだが・・・・・

子狸は2粒、仲間は4粒、この違いが原因か?。そんなことも無いだろう。例え1粒の種蒔きでも、某かの発芽は見られるはずだ。もうしばらく待たないと全部の発芽が出来たかどうかは不明だが、発芽そのものは始めたようだ。百姓仕事は自然が相手、同じ手法を使っても折々の環境条件で結果が変わってくる。師匠が語る言葉、「百姓は毎年が一年生よ」、の重みがのしかかってくる。

③二度目の種蒔き後、微かな発芽は見られるようだ。

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残り物に福

2022年09月26日 05時28分09秒 | 耕作放棄地

「残り物だけど、入用だったら持ち帰ってや・・・」長老からの有り難い申し出だった。実は彼の「ゴーヤ」の棚を眺めていた時のこと、彼には物欲しそうに見えたのだろうか。ゴーヤは子狸も栽培していたが、とっくに収穫を終わっていたので、何時までも青々しているなあ、と感嘆の面持ちで眺めていただけなのだが。それはまあ、申し出は有り難いので遠慮無く頂戴することにした。彼のゴーヤ畑は今が最盛期のような状態、まだ花も沢山咲き誇っている。青いゴーヤが実ってるに違いないと見込み、丁寧に棚をチェックしていく。大きめなゴーヤが何個も残っていた。

実は仲間の指導を受け、「ゴーヤ茶」作りを始めたのだ。ゴーヤを切り開き、中のワタを取り除いて細かく裁断、乾燥させてフライパンで炒り煮出して飲用するタイプだ。乾燥させるので体積はすごく小さくなり、ゴーヤが少々あってもゴーヤ茶になると何分の1かに減少してしまう。緑茶と同じだ。ゴーヤ茶は便秘に効用があるみたいで、仲間も同様事情から愛飲しているそうな。子狸もいっとき便秘で苦しんだ時があり、悩みは共感できる。便秘は水分の摂取不足が原因のようで、年齢を重ねると喉の渇きを知覚する事が弱くなり、必然的に摂取量が減少するようだ。意識して飲用しないと便秘におちいりがちである。

頂戴して持ち帰ったゴーヤは早速処理を始めた。新鮮な内に加工した方が望ましいだろう。裁断してカゴに広げたら、先般「百姓候補生」氏から頂戴したのと同様な分量だった。数日で乾燥が終了するだろう、後はフライパンで炒って菓子容器のカンに保管するだけだ。農園へと携行するテルモスには冷えたアクエリが入っているが、衣替えならぬ飲料替えもまもなく、暖めたゴーヤ茶に変わることだろう。

長老にとっては残り物だったかも知れないが、有用に活用していますのでご安心を。完全無農薬で栽培したゴーヤ、残ったといって打ち捨てるのはもったいない話だ。ゴーヤ茶に加工しておけば、何ヶ月でも保管が可能。いわば保存食品とも言えるかも。かってご先祖達は冷蔵庫や保管庫等が無い時代、様々に工夫しながら食料をフルに活用しておられた。「もったいない精神」は今も昔も変わらぬ普遍的な原理、大事に継承していきたいものだ。

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ヒガンバナ満開

2022年09月25日 05時28分08秒 | 棚田

お彼岸を迎え、符節を合わせたかのように「ヒガンバナ」が咲き誇ってきた。稲穂が実り、棚田が真っ黄色に染まっている中、赤いラインを引いたかのようだ。不思議なもので、まるで体内時計を持ってるかのように時節を知ってるようだ。村中は大半が棚田地帯、小さな田圃が段差を重ねて連なっている。大半が収穫期に入ったとみえ、頭を垂れた稲穂ばかりなのだ。例の流行り病の影響なのか、観光の人々は少なく、人影はまばらだ。時折見かけるのは農作業を行う高齢者の姿ぐらい、賑やかさは皆無だ。ヒガンバナが余りにも咲き誇っているので、車を止め、農園へと直行するのを止めてしばらく歩き回ってみた。田園漫歩だ。

農道から畦道、畦道から再び農道へと・・・・・ゆったりとした時間を楽しみながら散策する。仲間達の農園にも訪れてみるが、冬野菜の植え付け準備が進行中のようで、耕耘された畝が其処彼処に広がっていた。歩く道すがら、足下にはヒガンバナが咲き誇って、踏みつけ無いように歩くのが困難なほど。畦道に沿って植え込まれたようで、道筋にほぼ並行なのだ。聞けばモグラやネズミが田圃に入り込むのを防止する為だとか。個人的な印象だが、毒々しいほどの真っ赤な姿を見せているのは有毒のせいかと。戦時中、食糧難でヒガンバナの球根を掘り出し、毒素を除去して食料とした事例もあったようだが、やはり中毒症状が出てしまったようだ。

上述のような事例が発生しないことを願うが、自給自足が困難なお国柄、「貨物船」が平穏に物資の流通を行えるような時勢を期待したいもの。棚田の狭い田畑でも、稲作や野菜作りを行って幾ばくかの食料生産に寄与したいものだ。農地は一端荒らしてしまうと、元に戻すには多大な労力と時間を要する。継続する事が、農を農としてあらしめ、食料生産も可能としてくれるのだ。

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