木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

中秋の名月

2023年09月30日 05時18分05秒 | 余話

昨晩29日は旧暦の8月15日だった。つまり中秋の名月だ。期待して、一昨日の28日からスタンバイしてたのだが、生憎と一昨日は闇夜に近くおまけににわか雨の襲撃まであった。一昨晩は諦め、昨晩の本番に期待を繋いだら、これが叉見事な晴れ渡り、雲一つ無い澄み切った青空だった。闇の世界とは言え青空が感じ取れるほど、天は味方してくれた模様だ。夕ご飯前の7時頃から待機、東の空がうっすらと明るくなってきた。金剛山の山の端にご登場の模様だ。最初の画像が登場時の姿、見事な装いでしょう。

住宅地の端の法面での撮影を終え、後は自宅の駐車場から撮影。住宅地の中なので、民家の姿が映り込むがご容赦を。凡そ1時間ほどお月様と対面したが、まれにみる満月であった。まんまるい、との表現が適切なようで。何処から見ても見事なマルの姿、半月や三日月も素晴らしいが、お月様は満月に限るようだ。眺めながらかぐや姫の物語などを思い出すが、人間とお月様との馴れそめは相当に古いらしい。蛍雪の功では無いが、月夜の明かりで勉学に励んだ若者も存在するとか何とか。

電気の発明と照明の開発とは有り難い現象だが、反面、刻苦勉励という言葉は死語となってしまったようで、寂しくもある。便利な生活は有用な側面ばかりとは限らないようだ。過酷な環境が人間を育てる・・・・・と言う一面も見逃してはならないのかも。お月様を眺めながら、つらつらとそんな思いも湧いてくる。仲間達の姿を見つめていて、同様な想いを抱くこともあるのだが、何を好き好んでハードな肉体作業を・・・・・と。エアコンの効いた部屋でのんびりテレビでも眺め、子や孫達との団欒に明け暮れれば良いだろうに。恐らくだが、内から湧き出る何かが、そんな生活を許さないのだろうな。

お月様を眺め、農園では黄金色に包まれ、日々汗を流せるのは有り難い生活なのかも。ハードではあってハードで無い生活、と言えば戸惑われるだろうか。まあ実際に体験されるのが何よりかと。今回、新規入会されたマダム衆もお月様を眺めておられるかな。

 

 

 

 

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稲藁の提供

2023年09月29日 05時04分57秒 | 耕作放棄地

師匠の田圃だが、何時の間にか稲刈りが終わっていた。10月の初旬かと思っていたのだが、熱波の故か早まった模様だ。近くの田圃数枚が綺麗な空き空間となっていた。黄金色の稲穂が全て刈り取られていたのだ。偶然にも、出動を控えた昨日、たった一日で作業が完了したみたいだ。師匠の田圃は恵まれており、コンバインの使用が可能、息子氏の運転で昨日走り回ったのだろう。コンバインは優れた機械で、刈り取り・稲穂の処理・脱穀・袋詰め、の作業を自動で行ってくれる。乗用車1台分の価格はするようだが、省力化の恩恵は計り知れない。稲作農家であれば、備えて置きたいマシーンだ。

綺麗になった田圃を眺めていると息子氏のご登場。語りかけてこられて、1枚の田圃は稲穂を残しているので稲藁として使ってもよろしいよ、との申し出。有り難い言葉であった。毎年のことだが、コンバインを操作して稲藁を処分せず残してくれてる模様。仲間達にメールして収納に来てもらおうと思う。稲藁は貴重な農業用資材、用途は多いのだ。

偶然、出動していた「大御所」にも伝達。彼は早々と稲藁の収納を始めた。スイカやカボチャの栽培に利用する予定だとか。植え付けは来年4月だから、雨天に耐えうる保管場所が必要だ。野小屋の隅に積み上げる予定だろうか。今回、新規入会した「某女史」も稲藁が必要だとの事、一緒に稲藁を集め出した。コンバインから飛び出した状態なので散乱しているのだ。夫婦船よろしく、仲の良い作業は何とも好ましい。

帰宅時に覗いて見たら、大御所の稲藁が積み上がっていた。乾燥させて天候に慣らし、保管場所の準備を行うようだ。こうして積み上げた稲藁だが、不届きにも一部を持ち去る輩の存在もあるようだ。乾燥させていると、何時しか数本が無くなっているとか。現場が農道で多くの人々が通行される由、中には不謹慎な者も存在するようだ。

明日には子狸も少量を頂戴しようかと思う。どちらかというと稲藁よりも籾殻中心だが、あればあったで重宝する資材なのだ。難点は保管場所、雨に濡れない場所が入用なんだがこれが難しい。野積みとならざるを得ないので、大量には頂戴しかねるのだ。

 

 

 

 

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コスモス畑

2023年09月28日 05時59分41秒 | 耕作放棄地

初秋の頃、彼方此方に見かけたコスモス畑だが、メッキリと少なくなってきた。村内でも畑一面がコスモスの群落といった姿は余り見掛けず、僅かな数量がポツリポツリと・・・・・・いった雰囲気だ。思えば寂しくなってくる。花を育てる余裕が無くなってきたのかも。コスモスはレンゲ草のように、田畑の肥料というわけにはいかない。実利的な効能は無いのだ。専ら観賞用、従って育てる手間暇を必要とする。ある意味、余裕が無いと出来ない技でもある。

それでもソコソコには咲き誇っているので撮影して集めてみた。ご承知のように一箇所のコスモス畑では無い。畑に部分的に咲いてる物を撮影したもの、何ヶ所かの合成物だ。コスモスは秋を代表するような名花・・・・と思っている。決して華麗で艶やかな花では無いが、例えると純朴な村娘さん・・・・・・といった趣であろうか。摘み取られ、花瓶等で飾られる事は少ないだろうが、野にあってこその存在なのかも。

当地は山間部の棚田地帯、大半が狭小で曲がりくねった田圃だ。畑は少なく、必然的にコスモスの存在も限られてくるが、ポツポツと見かけると何故か安堵感を覚える。体内に染み着いた原風景といった特別な存在なのかも。子狸が育った地域も、とある地方の寒村だった。何も存在しない、山と川と原野だけの風景だったが、不思議とコスモスだけが強く印象に残っている。幼少期に記憶に残った花はコスモスだけだった、と言っても過言では無い。今のように、多種多様な花々が存在しなかった故かも知れない。つまり生活場面に多くの花々は無かったのだ。

現在は品種の開発や改良が行われ、より綺麗な花々が次々と出現される。コスモスのように純朴で変わら姿の花々は存在認識が薄いのかも。注目される場面も少ないかと思うが、咲き誇って欲しい花でもある。やはり野にあってこそのコスモスの花、屋内を飾ることは少ないだろうが、初秋の到来と寒さへの巡りを知らせる「時告花」の存在でもある。季節の巡りは変わりなく訪れているようだ。そういえば明日は旧暦の8月15日、仲秋の名月だ。お月様を覗いてウサギさんの活躍を眺めないと。

 

 

 

 

 

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ゴーヤの解体撤去

2023年09月27日 05時40分33秒 | 耕作放棄地

夏野菜の代表的な存在であったゴーヤだが、どうやら命運尽きてきたようだ。咲いていた花も少なくなり、蝶や昆虫の来訪も見かけなくなった。7月の盛況期を過ぎること2ヶ月余り、流石に限界だろう。お勤めご苦労さん・・・・・・ということで解体撤去の運びに。周囲を見渡しても既にゴーヤの姿は無い。子狸だけがしつこく残していたようだ。別にゴーヤに拘った訳では無いが、チャンプルにテンプラそれにゴーヤ茶と用途が多く、重宝していたので撤去の思いには至らなかった。

流石に解体撤去とも成れば寂しいものである。まだまだ青々としていて、成長期とも見える姿、感慨深いものだ。解体に当たって最後の収穫を試みる、厚みのある葉の茂みの中に隠れている気配が濃厚だ。留意して探してみたら、画像のような収穫物が。タイミングが遅れてお化け状態の物も存在する。大きめなのはゴーヤ茶行きだ。小さめなのはマダム衆に分配しようかと思う、最後の戦利品だ。

竹で作った支柱等は再利用するので、注意深く解体する。経年劣化で痛んでおり、ハードな作業を行うと砕ける可能性があるのだ。結んでいたビニールテープ等も全て回収した。残置されると、刈払機の利用に支障をきたしてくるのだ。資源の再利用ともなってくる。残ったゴーヤの茎や葉は乾燥させて焼却処分となる次第だ。彼方此方で白煙が上がるのは仲間達の作業風景、何処の場面も同様みたいだ。

それにしても、今年はゴーヤを十分過ぎる程に活用した。夏場はゴーヤ尽くしといった案配で、しばしの沖縄人と言った雰囲気かな。沖縄や奄美の方々はゴーヤの活用でか長寿者が多いそうな。南国特有のゆったりした生活にもよるのかも知れないが、あやかりたいものである。

農業に従事して大きく変わったのが「ストレスフリー」な生活と言うこと、肉体的にはハードだが精神を病むことは無い。毎日太陽光線を浴びての生活が、精神面と肉体面の健康を保ってくれてるようだ。諸種の事情でストレス気味の方、農作業生活も選択肢の一つですよ、まかり間違っても「最悪の選択」を為さらずに農作業にもご注目あれ。真っ青な青空と綺麗な空気が貴方を待ち構えているのかも。

 

 

 

 

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その後、梨の実は

2023年09月26日 05時30分53秒 | 耕作放棄地

先般、梨の実についてレポートしたが、その後の状況は・・・・と気になっておられるだろう。実は、地主の婆様には無断拝借とはなるが、1個を頂戴してきた。果たして梨なのか食べられる代物なのか、気になってきたのだ。刑法第235条、他人の財物を窃取した者は・・・・・とかの対象となるかも知れないが、お許しを。梨は全部で十数個なっている。樹高が3~4メートル程度の若木だから、満載と表現しても良いのでは無かろうか。外観上は立派な梨の実に見えてくる。

持ち帰った1個が下記の画像、推測で10センチ程度と表現したが、実測してみたら10センチも無かった。目測の不十分さ、視力も低下しているようだ。メジャ-で測ってみると直径6センチ、熟成状態では無い。サイズから言えば成長期途上と言った案配かな。植え込まれた梨の木は品種がどうなのかは不明だが、一般論では今時分が収穫期、目前の梨も最大限のサイズだろう。つまり最初の実りでもあり、樹木としては此処までの成長が限界かなと思える。水も肥料も投入しない「ほったらかし栽培」なので、無理も無いだろう。

半分に割ってみた。内容はどう見ても梨の実だ。梨に間違いない模様。小粒で不十分とは思えるが、少しだけ囓ってみた。水気があって梨の実の雰囲気満載、但し、瑞々しい梨の実の特徴は無い。味は酸っぱいような苦いような・・・・・・・とてもじゃないが食べれるような食味では無い。サイズからいっても成長期なので無理も無いのだが。以後の賞味は当然ながら諦めた、残念だが処分の対象だ。

かくして、無断拝借した梨の実だが、無残な検証結果に終わってしまった。但し、可能性は十分存在するので、今後の育成次第だろう。果樹木は手入れや施肥が必要なのは言うまでも無い。存在場所が農園の法面なので参画は容易だ。日々観察できるのもありがたいところ、長期戦で育てていきますか。とりあえず、今回最初の実りを祝して「お礼肥」として化成肥料を散布しておいた。

 

 

 

 

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