わたくし、本日誕生日であります。
なんですかねえ、いつ頃からでしょう、自分の誕生日が目出度くもなんともなくなったのは。
せっかく七夕なんてぇロマンチックな日に産んでもらったのに、さっきまで原稿を書いていた私は今日が7月7日だということをすっかり失念しておりました。
いやね、7月7日が誕生日だというのは忘れちゃいませんが、その7月7日がいつ来るのかということをひとっつも気にしてなかったんですね。
最近、誕生日だとか正月だとか節目の日が、単なる人生の目盛りのひとつに過ぎなくなってるんです。却ってその目盛りで身につまされることが多いんですねえ。
「門松は冥土の旅への一里塚」
なんてえことを申しますが、まったくその通り。私のように、お先真っ暗先細り人生を送っていると、七夕の笹飾りも正月の門松も禍々しく思えることがある。目出度くもあり、目出度くもなし、ってなもんです。
昨今、生活も健康も追い詰められてるから猶更ですわ。
実家の両親には「私等が生きているうちに離婚してくれ」なんて言われちゃってますもんねえ。「あんな男と別れられないオマエがバカだ」と。いやあ、耳が痛い。しかしながらさて、仕切りなおそう、という勇気も気力も私には無い。独りは寂しいだろうなあ・・・ってことのほうが怖かったりする。
心身も薬でやっとこさっとこ持ってるようなもんですし。
楽な方に、楽な方にと流れてきた中途半端な人間のたどり着く処なんて、こんなものなんですねえ。
鬱にじわじわと蝕まれていた頃は、毎年元日に遺書を書いておりました。
いつどうなっても、私という人間が何を考えて生きていたのか、周囲の人々に分かって欲しかったんですね。
それが近頃じゃ、そんな前向きなことは一切しませんw
他人がどう思おうと知ったこっちゃないんです。投げやりに生きてます。死ぬときに痛かったり苦しかったりするのは嫌だなあ、くらいのもんで。
しかしながら、こんな奴に限って、耐えがたい苦しみと果てしない絶望の中で身悶えながら死んでゆくんでしょうなあ。
ああ、そうだ。
今年の七夕は「ポックリ死なせて」と短冊に書いて、軒先にでも吊るしてみましょうかね。
なんですかねえ、いつ頃からでしょう、自分の誕生日が目出度くもなんともなくなったのは。
せっかく七夕なんてぇロマンチックな日に産んでもらったのに、さっきまで原稿を書いていた私は今日が7月7日だということをすっかり失念しておりました。
いやね、7月7日が誕生日だというのは忘れちゃいませんが、その7月7日がいつ来るのかということをひとっつも気にしてなかったんですね。
最近、誕生日だとか正月だとか節目の日が、単なる人生の目盛りのひとつに過ぎなくなってるんです。却ってその目盛りで身につまされることが多いんですねえ。
「門松は冥土の旅への一里塚」
なんてえことを申しますが、まったくその通り。私のように、お先真っ暗先細り人生を送っていると、七夕の笹飾りも正月の門松も禍々しく思えることがある。目出度くもあり、目出度くもなし、ってなもんです。
昨今、生活も健康も追い詰められてるから猶更ですわ。
実家の両親には「私等が生きているうちに離婚してくれ」なんて言われちゃってますもんねえ。「あんな男と別れられないオマエがバカだ」と。いやあ、耳が痛い。しかしながらさて、仕切りなおそう、という勇気も気力も私には無い。独りは寂しいだろうなあ・・・ってことのほうが怖かったりする。
心身も薬でやっとこさっとこ持ってるようなもんですし。
楽な方に、楽な方にと流れてきた中途半端な人間のたどり着く処なんて、こんなものなんですねえ。
鬱にじわじわと蝕まれていた頃は、毎年元日に遺書を書いておりました。
いつどうなっても、私という人間が何を考えて生きていたのか、周囲の人々に分かって欲しかったんですね。
それが近頃じゃ、そんな前向きなことは一切しませんw
他人がどう思おうと知ったこっちゃないんです。投げやりに生きてます。死ぬときに痛かったり苦しかったりするのは嫌だなあ、くらいのもんで。
しかしながら、こんな奴に限って、耐えがたい苦しみと果てしない絶望の中で身悶えながら死んでゆくんでしょうなあ。
ああ、そうだ。
今年の七夕は「ポックリ死なせて」と短冊に書いて、軒先にでも吊るしてみましょうかね。