旅は続くよどこまでも。

とてつもなく不定期に、しかし何か思い浮かんだときにはどえらい勢いで書きなぐるブログ。

乞巧奠に思ふことども。

2005年07月07日 01時53分39秒 | 青森の日常。
わたくし、本日誕生日であります。

なんですかねえ、いつ頃からでしょう、自分の誕生日が目出度くもなんともなくなったのは。
せっかく七夕なんてぇロマンチックな日に産んでもらったのに、さっきまで原稿を書いていた私は今日が7月7日だということをすっかり失念しておりました。
いやね、7月7日が誕生日だというのは忘れちゃいませんが、その7月7日がいつ来るのかということをひとっつも気にしてなかったんですね。

最近、誕生日だとか正月だとか節目の日が、単なる人生の目盛りのひとつに過ぎなくなってるんです。却ってその目盛りで身につまされることが多いんですねえ。


「門松は冥土の旅への一里塚」


なんてえことを申しますが、まったくその通り。私のように、お先真っ暗先細り人生を送っていると、七夕の笹飾りも正月の門松も禍々しく思えることがある。目出度くもあり、目出度くもなし、ってなもんです。

昨今、生活も健康も追い詰められてるから猶更ですわ。
実家の両親には「私等が生きているうちに離婚してくれ」なんて言われちゃってますもんねえ。「あんな男と別れられないオマエがバカだ」と。いやあ、耳が痛い。しかしながらさて、仕切りなおそう、という勇気も気力も私には無い。独りは寂しいだろうなあ・・・ってことのほうが怖かったりする。
心身も薬でやっとこさっとこ持ってるようなもんですし。
楽な方に、楽な方にと流れてきた中途半端な人間のたどり着く処なんて、こんなものなんですねえ。

鬱にじわじわと蝕まれていた頃は、毎年元日に遺書を書いておりました。
いつどうなっても、私という人間が何を考えて生きていたのか、周囲の人々に分かって欲しかったんですね。
それが近頃じゃ、そんな前向きなことは一切しませんw
他人がどう思おうと知ったこっちゃないんです。投げやりに生きてます。死ぬときに痛かったり苦しかったりするのは嫌だなあ、くらいのもんで。
しかしながら、こんな奴に限って、耐えがたい苦しみと果てしない絶望の中で身悶えながら死んでゆくんでしょうなあ。

ああ、そうだ。
今年の七夕は「ポックリ死なせて」と短冊に書いて、軒先にでも吊るしてみましょうかね。

1年分の・・・。

2005年07月03日 14時01分15秒 | 青森の日常。
約2ヶ月ぶりの更新でございます。
ヤル気? んなもなぁ、ハナから御座いませんので安心してください。

前回の出来事以来、退院後最大の鬱状態に陥っておりましたが、ここんとこだいぶ復活しましたよ。一時はどうなることかと思いました。
今は青森に居ります。6月の25日に来青しました。
で、今週の土曜日、帰京します。
短いですね。仕方ないんですよ。7月は東京のお盆ですから、寺女のバイトが御座いますのでね。

山盛りのサクランボを手元に置き、ばっくばっく食べながらコレを書いております。今の時期こっちにいるとね、好物のサクランボが安く買えるので、つい食事代わりに食べてしまうのですよ。東京ではこんなことできませんって。高いもん。サクランボなんて。青森で1年分、まとめ食いするわけ。

青森にいるときは何でも1年分です。
温泉も1年分入っちゃおう。
山の空気も1年分吸っちゃおう。
春には山菜1年分食べちゃおう。
夏にはネブタ1年分見て。
秋は紅葉1年分堪能。
冬は雪かき1年分・・・てか、そんなもんじゃ済まないけどw
要するにこの国は四季の移ろいと自然の恵みに満ちているということです。

もちろん東京だってイイトコですよ。
排気ガス1年分吸えますから(・∀・)

ところで鬱ってる間もですね、NACSの『COMPOSER』東京公演観にいったり、10月の『どうでしょう祭』のチケットゲット! したり、『COMPOSER』札幌凱旋公演のチケット外れたり、NACS掲載雑誌立ち読みしたり、テレビのOAチェックしたり、恙無くどうバカ及びNACSヲタク振りを発揮しておりますた。これだけはどうにも譲れねえ。

そんな私の頭の中では最近、In The Soup の『川』がエンドレスで流れています。
あれだけ前向きな歌詞が浮かんでくるってことは、まあまあ調子はいいんじゃない?