旅は続くよどこまでも。

とてつもなく不定期に、しかし何か思い浮かんだときにはどえらい勢いで書きなぐるブログ。

明日、いや、今日から。

2007年01月18日 03時41分06秒 | 関東の日常。
暫くお遊びで忙しくなります。。

13日に千葉の自宅に戻りました。
間髪入れずに派遣バイトの予約を入れたんだけど、月、火、水と仕事の斡旋は無く、お遊びの軍資金は心もとない限り(´・ω・`)
昨日の夕方派遣会社から電話があり、お仕事紹介できずにすみませんと。ところで18日は如何ですかと。
残念。今日18日は渋谷公会堂で『TEAM NACS TEN』だっつうの。

昨年12月札幌でのファンミーティングパーティーから1ヵ月半振り、NACSイベントであります! わーい!
私は昼の部に参戦。
友人2人は夜の部に参戦。
夜の部終了後、友人たちと合流してカラオケ♪
そしてそのまま静岡から来ている友人を連れて、新宿の実家泊まり。

明けて19日はいったん自宅へ戻ってですね、次の小旅行の準備に取り掛からねばなりませぬ。

20日の夜行バスで名古屋へ向かいます。
名古屋駅前に到着後、すぐさま近鉄急行に乗り換えて、三重県は津に足を延ばすと。
津の駅前には、koroの本宅回覧板で我が物顔に振舞っている腐れ公家“まっち”が迎えの車を回してきているはずだから、それに乗り込み、お伊勢参りに行きます。
koroは三重県初体験なんでね、ちょっと楽しみ♪(・∀・)
お伊勢さんを詣でて赤福を食らったらすぐに、名古屋へと戻らなければ。
なぜならば名古屋でも『TEAM NACS TEN』に参戦するんだおん♪
友人が行けなくなってしまったチケットを、譲ってもらったもので。
そしてイベント後は名古屋駅前から再び夜行バスで帰京。

うぅ~ん。強行軍だなあw
しかし遊ぶこととなれば気力体力はOK。
問題は金だ。

名古屋往復のバス席7200円也は既に購入済みだからよし。
だけどねえ、渋谷会場でグッズ、買いたいものがあるんだよねえ。
私が欲しいのはNACS本、3500円。
それに加えて、行きつけのローソン店員のW君に頼まれたリストバンド3000円。
これだけで6500円だよ。
でもってその後カラオケでしょ。3~4000円掛かるわな。
友人に立て替えてもらってるNACSの、これは5月に札幌で見る芝居のチケット代5800円。
少なくとも明日、これだけの出費が見込まれるというのに、私の財布には1万円しか入ってないんですよアナタちょっとどう思います?

いやぁ・・・今週前半、バイトが入らなかったのがつくづく痛い('A`)

12月の青森でのバイト代は、1月分の家賃と、こっちに帰ってくるバス代、そして名古屋往復のバス代に消えちゃったからなあ。
うぅぅ~・・・・W君からはすぐにリストバンド立替分を集金して、札幌の舞台チケット代はもうちょっと友人に待ってもらって・・・・それでも・・・・名古屋~伊勢の経費をどうやって捻出しよう。

家捜しか。
これだけ混沌としているkoroアパートの部屋だ。探せばどっかから2~3000円出てくるかもしれないもんね。
うん、そうだ、明日帰ってきたらそのへんひっくり返してみよう。

来週には舞浜のバイトもぼつぼつ入ると思うし、それだけじゃなくて、別の派遣会社からも斡旋の電話が掛かってきてたし、そっちも当たってみよう。

2月、青森に戻るかどうか考え中なんだが・・・・往復の手間を考えると、こっちでコンスタントにバイトしてたほうが得策かなあ。どうしようかなあ。
青森に行けば行ったでバイトも原稿の仕事もあるし。


あ゛ぁぁ~、ジパングの仕事、依頼来ないかなあ。。



あっ! そうだ!
ジパングの1月号原稿料が、今月末に振り込まれるんだった!
今週中に入金があればなあ、助かるんだけど・・・・月末だったよな、ジパングさんは。。

来週はDVDの予約しなきゃだし、青森の2月分の家賃も・・・・


なんか、金の話ばっかで・・・・お恥ずかしい・・・・orz


何か、書きたい。書きたい、書きたい。

2007年01月10日 04時45分34秒 | 青森の日常。
普段は買わないような雑誌を買った。

そりゃもちろん、NACSの特集が載ってたからだけど。

特集記事をじっくり読み終わった後、他のページをぱらぱらとめくってみた。
そしたら、その雑誌、あらゆる書籍や出版物を紹介する内容のものだった。
そうなんだ、初めて知ったよ。恥ずかしながら。
普段、雑誌なんかほとんど買わないからね、NACS関係と猫本以外では。

いろんなジャンルの本、漫画、小説、エッセイ、書評・・・・
思わずのめり込んで読んでしまった。

こういうとき、私は堪らない焦燥感に駆られるんだ、いつも。
何かやらなきゃ、書かなきゃ。いったい私は何をしているんだろう、と。
NACSメンバーの活動軌跡やインタビューにも触発されたんだと思う。
頑張ってるもん、彼等は。

私はいったい何をしているんだろう。

日常に流されることを嫌って、非日常のこちら側に身を置いてもなお、それが続くと非日常さえありきたりの毎日に感じられてしまう。
これは私の若い頃からの悪癖のひとつだ。
要するに「逃げ」なのだ。分かってるんだ。分かっている自分が忌々しいんだ。

――漂えど、沈まず。

などと格好のいい言葉を常に傍らに掲げていても、漂っている場所が死んだ淵ならば、その言葉がなんの信念になろう。逃避以外の何ものでもない。
時間が無い、金が無い、気力が無い。
私はいつも自分から逃げることしか考えていない。
逃げて安心したところで、その場所がいつまでも自分自身に平穏と充実を与えてくれるはずも無い。忌々しい。自分が腹立たしい。

昔から私は口ばっかりの奴だ。
言ったって実行しやしない。
誰かが手伝ってくれるのを待ってばかりいる。
そう、待ってばかりだ。
自分から攻めの態勢を整えたことが、何回あっただろう。恐らく両手で足りるほどだ。
さらにそこから攻めを行ったことが何度あったか。それに至っては片手の指で数えられるほどだ。

毎日が幸せなら、振り返ってみれば幸せな人生。

そんなこともよく口にするが、詭弁に過ぎないことは自分がいちばん分かってる。
堅実に、平凡な日々を送れない人間の、逃げの口上だ。
刹那刹那を享楽的に過ごす私の終着点は、何処にあるのだろう。
何も残せない、何も残らない、砂を噛むような思いをいつかするんじゃないか。そんな恐怖が常に私の中にある。

いったい何をしているんだろう。私には書くことしかないのに。
今、自分がここに居る、と実感するのが耐えられない。
何もしない自分が居ることに。
そしてまた逃げるんだ。いつものように。
それが分かっているから、耐えられない。

書くことしかできない私が、他の手段で自分を納得させることなんてできない。
「細く長く書いていきたい。そうすればいい」
これも私がよく使う言い訳だ。
ではそれで自分の口に糊しているのか?
答えは否だ。
細く長く、などと生意気なことを言うんじゃない。
それはそうやって自立している者の言葉だ。

文章は、人に読んでもらえて初めて完結する。
誰の目にも触れない文章など、自慰行為の結果に過ぎない。

書きたいんだ、私は。
病院のベッドの上で、深い井戸の底を覗き込むような絶望感の中で、私が唯一できたことは書くことだけだった。それを思い出すんだ。
蚕が吐き出す一条の糸よりも細い、しかしきらきらと輝く光の筋を頼りに、私はあの絶望の暗がりから抜け出すことができたんだということを、思い出さなくてはならない。

私ができることは書くことだけなのだから。
書いて、文章を完結させなくてはならないのだから。

2007年々頭に思ふことども。

2007年01月03日 01時55分35秒 | 青森の日常。
新しい年は何事もなく明けました。
少なくとも私の身辺では。

3年振りの青森での年越し。
大晦日は珍しく、知人の家で過ごしました。
たいそうな御馳走を振舞ってもらったりして。
美味かったな~・・・・倉石牛のすき焼き゜・。*(´∀`*)。・゜+

年が改まってから知人宅をお暇し、編集Sと初詣のハシゴ。
行く先々でお神酒を頂戴していい気分。
部屋に戻ってそのまま2人で夜明けまでゴロゴロして過ごしました。

1日昼前によっこらせぃと腰を上げ、市内の温泉へ。
岩盤浴も併設している温泉なので、汗をたっぷりと流し、顔なんかもうツルッツルですよ、あなた。
しかしあれだ、新陳代謝の悪い編集Sは岩盤浴しても汗が全く出ない。
ありゃおかしいって。
お互い体質改善が必要ですなぁ。

風呂から上がって休憩室でまたもゴロゴロしていると、東京の実家の母からメールが届きました。なんと画像付き。御重に入った豪華なおせち料理の。
ありゃりゃ、スゲーな、画像添付なんてできるようになったんだ74歳のばーさんが。
と思っていたら、何通目かで突然、兄の顔のドアップが現れましたね。
兄が来てたんですね、元日早々。兄が母の携帯でメールを送ってきてたんですな。

えぇ、koroの旧サイトから覗きにきてくださっている方は御存知でしょうが、3年前の初春、兄は連れ合いを46歳という若さで亡くしましてね。
以来、まあなんというかその、大変だったんですわ。兄夫婦にはその当時でハタチ前の息子と娘がいますからね。
男手ひとりになりましたもんですから、実家の母なんかもしょっちゅう家事やら何やら駆り出されて、お互い日常の疲労でピリピリしていたこともありました。

ですが、神様というものがいるとすればそれはやはり公平で、昨年の後半頃より、兄の周辺に明るい兆しが見えはじめまして。
今年3月に大学を卒業する息子、つまりkoroにとっての甥が地方公務員試験に合格、就職も内定、さらにはこのまま行けば結婚するであろう彼女を爺婆に紹介したりですね、その後、兄にも彼女ができたことが発覚w、その女性と爺婆が一緒に食事に行くなど、婆いわく
「やっと我が家にも春が来た」
と。

ここ数年、koroの実家周辺では不幸続きだったもんですから、私もそれらの話を聞いて、ああ、よかったなあ、と思っておりました。
そして元日。
兄のドアップ画像の次に届いたのは、満面笑みを浮かべる女性の横顔。
彼女も実家に遊びに来ていたようです。

その夜、母から明るい声で電話がありました。
彼女さんは帰ったけれど、兄は今夜泊まっていくとか。
電話は父に代わり、兄に代わり、最後にまた母に代わり、かわるがわる弾んだ声を聞かせてくれました。


本当に、よかったなあ。


しみじみそう思いました。

前の嫁さんが亡くなってから、私はそれまで青森で迎えていた年末年始を、千葉の自宅で過ごすようにしていました。
実家の両親の気持ちが暗く荒んでいたように見えたものですから。
せめて正月にダンナ共々遊びにいって、ささやかながら賑やかしの足しになれば、と思っておったんです。
しかし昨年、兄や甥の朗報を耳にし、今年は父母も寂しくはあるまいと、久し振りに青森で年越しを致しました。
そうしたら予想通り、父母は楽しい正月を過ごせたようでした。

70年以上、父に至っては80年も頑張って生きてきて、その人生の終盤が寂しいばかりではあまりにも気の毒。
常々、両親と兄は折が悪かったものですから、koroもkoroなりに気掛かりだったのです。
でももう大丈夫。多分大丈夫。
老夫婦にとって、やはり跡取りの息子が身近にいるのは嬉しいと思いますよ。
母などは孫息子の結婚が近いことを期待し、
「もうちょっと頑張れば曾孫を抱けるかもしれないわね♪」
などとのたまっております。


そう考えると、私などはダンナの両親に申し訳ない。
彼らも内孫の顔を見たかったことでありましょう。

それともうひとつ。
亡くなった嫁さんの実家には、年老いた父親と、嫁さんの兄がいます。
自分の娘、妹の夫であった私の兄が再婚するかもしれないということを耳にしたら、侘びしさがいっそう増すのではないでしょうか。

でもま、世の中、仕方のないことはありますから。
私は私のできることをして生きてゆくしかないですね。


今年が良い年になりますようにと願いつつ、koro、新年の御挨拶でした(・∀・)