皆様こんばんわ。
私はいま、カズノコをぽりぽりと食べながらパソコンの前に座っております。
聞こえるのは猫たちのイビキばかり。
静かな大晦日で御座います。
最近の私を取り巻く環境および動向は、本宅日記等でお伝えしておりますので、ここでは多くは語りません。
この大晦日をどう過ごしたかも、本宅日記をご覧くださればお分かりになると思います。
しかしながら、毎時毎分パソコンに張り付いているわけではありませんので、私の心の動きや状態を、余すところなくお伝えするのは無理というもの。
また、パソコンを開いていても、思いが指先からキーへ伝わらない場合もございます。
つまり「落ちている」ときですね。
一昨日あたりからはまさにその状態でした。
まーだるいことだるいこと。
寝ても寝ても眠い。
いや、もしかすると眠っているつもりでも眠れていないんじゃないだろうか。
そして食べ物が美味しくない。
お腹は空くんですが、何を食べても美味しくない。
好物の果物や甘いものさえ美味しく感じられない。
でも腹は減る。だから仕方なく食べる。
眠ることと食べることが何よりも好きな私にとって、この状態はなんと申しましょうか、非常に不毛であります。
しかしながら今日、スーパーで、ふと手に取った“桃山”。
部屋に戻って食しまして、久し振りに「美味しいかも・・・・」と思いました。
そしてカズノコ。
ぽりぽりとした食感のみが「美味しい」。
でもねえ、痩せません。
まあ、何のかんの言ってもきっと必要量は食べてますからね、痩せないでしょう。
なんか悔しい。
家族が病気になったり、自身がうつ状態になったりすれば、大抵の人は痩せるんじゃないですか? よく分かんないけど。
現在の私はWで来てますがね、痩せません。
悔しい。やつれてみたい。心底そう思います。
それにしてもです。
年末に入院、そして手術へと向かうこの流れ。
いやがうえにも4年前、兄の嫁さんが亡くなったときのことを思い出します。
彼女は12月に異変が発見され、クリスマスにお腹を開けたときには既に手遅れで、翌年の3月10日に亡くなりました。スキルス性胃がんというやつでね、あっという間でした。
彼女の人生の最期の2週間、私は病院のベッドの横に着の身着のままで泊まり込み、「うがいしたい」と言われれば吸い飲みを差し出し、「腰が痛い」と言われれば寝返りを打たせてやり、「氷枕を取り替えて」と言われれば取り替えてやり、「足がだるい」と言われれば布団をめくってさすってやり、「死にたい」と言われれば「明日先生に相談してみようね」と言い聞かす、まるで宮沢賢治の詩のような日々を送ったもので御座います。
そして私は刻一刻と死んでゆく嫁さんから、言葉では表せない、たくさんのことを教えてもらいました。
彼女の呼吸が間遠になり、何かを吸い込むような最後の一息を迎えたとき、私の胸にあった思いは悲しみでも、恨みでも、寂しさでもなく、ただ感謝でした。
ああ、人間ってこうやって死んでいくんだなあ・・・・
と思いましたもので御座います。
振り返って、自分の身を考えるに。
私は自分の最期のときを、慌てず騒がず取り乱さず、迎える準備ができているだろうか、否、できていない、と。
思うわけですね。
うつ病が酷かったときは、毎年元日に遺書を書いておりましたが、いつしかそんな前向きなこともしなくなり、ただ日々をのんべんだらりと送っています。
こんなことでいいのかkoro!
いいわけないけどどうしようもないじゃないかkoro!
そうして今年は終わり、また新しい年が始まるのであります。
2008年はダンナの心臓手術で幕を開ける予定です。
嫁さんは死にましたが、ダンナには何とか頑張ってもらいたいところ。
そして来年こそは私の内なる何かが形になることを願っています。
それでは皆様、2008年もお世話になります。
私はいま、カズノコをぽりぽりと食べながらパソコンの前に座っております。
聞こえるのは猫たちのイビキばかり。
静かな大晦日で御座います。
最近の私を取り巻く環境および動向は、本宅日記等でお伝えしておりますので、ここでは多くは語りません。
この大晦日をどう過ごしたかも、本宅日記をご覧くださればお分かりになると思います。
しかしながら、毎時毎分パソコンに張り付いているわけではありませんので、私の心の動きや状態を、余すところなくお伝えするのは無理というもの。
また、パソコンを開いていても、思いが指先からキーへ伝わらない場合もございます。
つまり「落ちている」ときですね。
一昨日あたりからはまさにその状態でした。
まーだるいことだるいこと。
寝ても寝ても眠い。
いや、もしかすると眠っているつもりでも眠れていないんじゃないだろうか。
そして食べ物が美味しくない。
お腹は空くんですが、何を食べても美味しくない。
好物の果物や甘いものさえ美味しく感じられない。
でも腹は減る。だから仕方なく食べる。
眠ることと食べることが何よりも好きな私にとって、この状態はなんと申しましょうか、非常に不毛であります。
しかしながら今日、スーパーで、ふと手に取った“桃山”。
部屋に戻って食しまして、久し振りに「美味しいかも・・・・」と思いました。
そしてカズノコ。
ぽりぽりとした食感のみが「美味しい」。
でもねえ、痩せません。
まあ、何のかんの言ってもきっと必要量は食べてますからね、痩せないでしょう。
なんか悔しい。
家族が病気になったり、自身がうつ状態になったりすれば、大抵の人は痩せるんじゃないですか? よく分かんないけど。
現在の私はWで来てますがね、痩せません。
悔しい。やつれてみたい。心底そう思います。
それにしてもです。
年末に入院、そして手術へと向かうこの流れ。
いやがうえにも4年前、兄の嫁さんが亡くなったときのことを思い出します。
彼女は12月に異変が発見され、クリスマスにお腹を開けたときには既に手遅れで、翌年の3月10日に亡くなりました。スキルス性胃がんというやつでね、あっという間でした。
彼女の人生の最期の2週間、私は病院のベッドの横に着の身着のままで泊まり込み、「うがいしたい」と言われれば吸い飲みを差し出し、「腰が痛い」と言われれば寝返りを打たせてやり、「氷枕を取り替えて」と言われれば取り替えてやり、「足がだるい」と言われれば布団をめくってさすってやり、「死にたい」と言われれば「明日先生に相談してみようね」と言い聞かす、まるで宮沢賢治の詩のような日々を送ったもので御座います。
そして私は刻一刻と死んでゆく嫁さんから、言葉では表せない、たくさんのことを教えてもらいました。
彼女の呼吸が間遠になり、何かを吸い込むような最後の一息を迎えたとき、私の胸にあった思いは悲しみでも、恨みでも、寂しさでもなく、ただ感謝でした。
ああ、人間ってこうやって死んでいくんだなあ・・・・
と思いましたもので御座います。
振り返って、自分の身を考えるに。
私は自分の最期のときを、慌てず騒がず取り乱さず、迎える準備ができているだろうか、否、できていない、と。
思うわけですね。
うつ病が酷かったときは、毎年元日に遺書を書いておりましたが、いつしかそんな前向きなこともしなくなり、ただ日々をのんべんだらりと送っています。
こんなことでいいのかkoro!
いいわけないけどどうしようもないじゃないかkoro!
そうして今年は終わり、また新しい年が始まるのであります。
2008年はダンナの心臓手術で幕を開ける予定です。
嫁さんは死にましたが、ダンナには何とか頑張ってもらいたいところ。
そして来年こそは私の内なる何かが形になることを願っています。
それでは皆様、2008年もお世話になります。