どんな山でも、いつも担ぐザックを重くしてるのは、上半身を引き締めて、肺を含めた内臓と筋に緊張感を与える意味があり、これは健常だった頃からずっとそうだ。
だからどんな山でも、ぜ~ゼ~言って歩いてる。
軽いザックだと息苦しいのが残って、下山してきてあんまり気分がスッキリしない。
ドスン・ガツンというザックの方が、肩に食い込んで歩きごたえがあるし、片手だと持っていかれそうな重さのほうが、歩きが安定する。
姿勢が良くなる効果もある。
銀座に居るといつも猫背になって、あれやこれや良くないことばかり考えて仕事してるから、余計そうなんだろう。
同行する者の荷物まで担いでやってるのは、そういう意味がある。
一年中、仕事が暇になった夕暮れ時、とっとと海水パンツとスイム帽子とタオルを抱えて出掛けて行く。
温水プールで泳ぐためだが、柔軟体操をしながら1時間以上もただただひたすら歩いていることもある。
俺は障害者手帳を持ってるから、駐車料金も入場料もすべてが公費負担のタダ、皆さん悪いね。
激しく動いた翌日から、全身筋肉痛でもキチンと動く、休息や安静なんてもんは死んでからでエエんやで。
来年の6月になれば、いつものように東京湾や太平洋の海で泳ぎ始めるから、その為でもある。
登る筋肉と、泳ぐ筋肉は、いつも柔軟でなければいけない。
俺がコツコツ地上げした銀座の土地を、最初に手を出したデベロッパーは上場して破綻し、最後にリーマン・ブラザーズが買った途端にまたまた破綻して、いわゆるファンドのバブルは一段落した。
と思ってたら大間違いで、手を変え品を変えして、怪しい投資商品は続々とその後も出回っているが、俺には興味のないゼニカネ紙芝居、あれ以来、当社の口座に7桁8桁の金がぽ~んぽ~んと放り込まれることもなくなった。
あんな阿呆みたいな話は、30数年前の不動産バブル以来のことで、この国の優秀だと言ってる役人はナニをやっておるのか? 相変わらず想うことは同じだな。
日本と言う国家をどうするか? そんなスタンスでモノを考えることがない。
小さな小さなドブネズミ、井の中の蛙に島国の土人。
銀座で高級品を買って、銀座で高い料理を喰って、銀座で??? みなヨダレカケ下げた幼稚園児やんか。
やってることが30数年前の不動産バブル時よりもみみっち~し、惨めったらしいし、だから俺は山や海で遊び呆けてる。
銀座に住む人は新聞・テレビなど興味なく、自由に田舎の自然へといつも出掛け、田舎の人は新聞・テレビに染められて、歪んだ煽動に乗せられる・・・ずっと昔からのことやで。
銀座に棲んでおりながら都会をウロウロしてるのは、心貧しい見栄っ張りばかり、これ常識でもある。
山カメラというのがあって、いつもガラケーの携帯と一緒に持ち歩いてるタブレットには入ってる。
これをザックに入れて、360度の展望がある高い山に登り、山頂で使ってみると、遠くの山々まで表示が出る訳だが、日当たりの抜群な山頂では、明るすぎて、酷い老眼ではまったく画面が見えなくなってる。
なんのこっちゃ。
俺には豚に小判。
たま~の、たま~に、山小屋があるような山に登ることがあるが、渋滞するメインのコースではなく、歩荷が使う道を歩くことが多い。
自分の背丈よりも高く荷物を積み上げた背負い子を担いで、ドス・ドス・とゆっくり登る歩荷を見かけると、すげ~なといつも感心する。
都会にウジャウジャいる筋肉馬鹿とは違って、痩せて締まってる体つきは、人間は筋で生きてることを教える。
強靭な筋は、生れたときから鍛えておかなければ、上っ面の肉なんざ、手遅れの見てくれで終わる。
この頃の子供たちは、すぐに骨折し、すぐに筋を傷めるのを見て居るから、その大事さを痛感するよ。
自分の足で歩けなくなってる高齢者もそう、そんな状態で生きて居って、ナニが愉しいの? そう想う。
歩荷の姿を見ると、これが直立歩行するようになった人類の常にやらなければいけないことではないかと、俺は痛感させられるね。