週末から歯茎が痛くなっていたが、西上州の夕暮れの紅葉を見るために娘と二匹の小さい犬等を連れて歩いて来た。
前夜にペースを忘れて大騒ぎして悪酔いしたのがいたから、午後から出発した。
高速は渋滞もなく、小さい二匹の馬鹿犬の様子をみながらハンドルを握っていたが、相変わらずにチョロチョロ喧しかった。
妙義で小腹を満たして、整備されている古道を歩いたが、紅葉は終盤だったろう。
都会で引き籠もりしている二匹の犬は最初はすぐに抱っこされようとしていたが、下りは元気に走っておった。
ただし熊公や鹿や猪や猿も暮らしてる場所だから、遭遇したらどうするのか? という興味もあった。
俺はガキの頃から幼いジェパ―ドと転居を繰り返し、一つ布団で寝ションベンをし合いながら育った獣だから、飼い主と甘やかされた今風のペットの馬鹿さ加減に呆れている。
人間の自意識過剰な甘やかしは、獣の犬や猫には不健康な生涯を強制してしまってる。
人間社会の子育てとおなじで、親や爺婆の自惚れやベタベタ過保護で性根は腐り切ってしまう。
そもそも過去や未来に振り回されてる愚かな獣は人間だけなんだが、その愚かさのまんまで今という時間をペットにも接しているのは頂けない。
源泉に浸かって、高崎でいつもの美味いモノを喰らって、離婚して二匹と一緒に貧しい中でも頑張っている娘にも人間らしい生活を味合わせてやり、帰りの高速ではメスの一匹は運転する俺の腕の中で寝ていたが、体温が高いモノ同士で熱くなって途中で喉が渇いて後部へ移動しておった。
馬鹿でも生きている以上は、可愛いもんだ。
短期の金(ゴールド)は、勝手に買っておいたよ。
学問だとか哲学だとか、倫理や宗教だとか、芸術にしても、みなすべてはその時の支配・管理する側にとって都合の良い答えが先にありきで創られて来た。
人間の世界には、本当の意味での平等や民主的な社会なんざ、生まれる訳がないという現実がずっと在る。
善だとか悪だとかも、正当なモノは本当はナニも無い。
ただ組織として、国家として、対外的にまとまる為にはナニかルールが必要になる。
法律や規則と言うモノの発祥はそんな程度のことだ。
正しくなくとも良いし、ナンでも良いとも言えるが、多くの人間がおとなしく従うにはとそれなりに知恵を絞って作っているだけの話。
守らないで組織や国家の為にならない連中は転換させなければいけないし、害となる者には罰を与えて厳しく取り締まり見せしめにしなければ、集団は解体する。
これが人間の社会の普通の光景でもある。
そうやってまとまった集団と集団がぶつかれば、争いになり殺し合いになり戦争になる。
そのきっかけとなるのは、互いの集団の利益の為だ。
そんな猿らが創って稼働させているAIロボットの時代では、中身は殺伐としたもんだ。
限界は見えているだろうよ。
大人の社会そのものが、ナニが楽しくて生きているのか? ナンの為に産まれて来たのか? その日常のどこがオモシロイのか? という受動的でメディア奴隷な惨状になっているからこそ、子供や若者たちは目的や目標を無くしてしまう。
大人の背中を見ているとぜんぶが馬鹿臭くて嫌になり・・・は俺のガキの時分だった。
反抗や抵抗をして戦っていても、相手が社会全体になってくると嫌気がさし、ならばすべて自分の思い通りに生きて行ける自営を目指すいがいに社会で生き残る道は無かった。
そういうことだな。
能書きや偉そうなキレイゴトを抜かしている大人たちは、その当人自身の日常を見ていると間抜けな猿でしかなかった。
限られた生の時間では、無視して新しい自分の生を創る、これしかなかった。
四季のはっきりした日本の島国では、4駆の軽乗用車があれば、事足りる。
いろんな車を持って、走り回って来て、今ではそんな価値観で生きるようになった。
山奥にはあちこちに古い水力発電の残骸を見ることばかりだが、原子力などといった素晴らしいのかどうか解らないモノまで作ったのなら、とっとと残骸は撤去すべきだ。
山奥の話だから、メディアも取り上げないし、知らない顔して放置したまんまだ。
新しいモノはどんどん作る、古いモノは放置している、今の高齢者社会そのものだ。
仕事も忙しいまんま、高齢者の買い出しや連れ出しも平日に続けて居る。
早朝に急遽無理を言って歯医者に予約を入れて出掛けて来たが、歯茎が加齢が原因で・・・と言われ、そりゃ~そうだろうよ、歯を食いしばることばかりの66年だったから、ボロボロにもなるわいなと、笑っておった。
痛みは引いて来たからそれだけで充分さ。
人間は、補修と手繕いと創造だけあれば、新品よりも愉快に生きて行けるのさ。