コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

変な負けん気?

2020-04-06 13:42:55 | Weblog

「シマ、信号の所で、飯台をぶちまけっちゃった、一緒に行って拾ってくれ」と、

寿司職人に頼みました。

僕を含めた若者達には恥ずかしかったのでしょうか、頼みませんし、無視でした。

30分位掛かったでしょうか、

二人は空の飯台とごみになってしまった寿司を持って帰ってきました。

 

これから、寿司職人は再度、25人前を握らなければなりません。

うんざりした顔をしていましたが、オヤジには逆らえません。

お客さんも倍の時間を待たなければならないので、ウンザリした事でしょう。

 

オヤジが負けん気を出した、そば屋の出前持ちは、

8段~10段を二つとソバ汁、ソバ汁の入れ物を右肩に乗せ、

片手ハンドルで駆け抜けるのですから、すごい芸当です。

 

16人~20人前です、どの位の重さがあるのでしょう?

今の東京で、このような光景を見ることがあるのでしょうか、

 

丼5個の上に丼5個を乗せた出前持ちも見ました。

お新香と椀もあるんです!

 

あの当時の出前持ち達は、本当に凄かった。

 

出前用の自転車


変な対抗意識?

2020-04-05 17:32:31 | Weblog

店の前をそば屋のお兄さんが、

右肩のおボンに、ソバの入れ物を810段重ね、

それも2列を片手自転車で走り去りました。

 

当然、ソバ汁を入れてあったポットと汁の陶器も乗っています。

片手ハンドルで、これだけの荷物を、

軽々と運んでいるのを見たので、対抗意識が出たのでしょうか、

 

10分位経ったでしょうか、青い顔をしてオヤジが帰って来ました。

 

 

 

出前用自転車は、頑丈に作られていますから、重い!


握りの注文

2020-04-04 16:23:48 | Weblog

たまに、握り寿司の注文がありましたが、本当にたまでした。

たまの注文ですが、この時は大量で、握り25人前でした!

 

飯台25個ですから、蓋を入れて1.7m位の高さになります。

二人で運んでも1人が約90Cmです。

膝位の高さから90Cmだと、頭より上になりそうです。

 

寿司職人が止めたにも関わらず、

オヤジは一人で抱えて運ぶと言い張りました。

 

あれだけの高さになると、上が左右に振れて、観ている方が不安になります。

オヤジは、得意そうな顔で出ていきましたが、

観ているこちら側は、奥さん含め全員ハラハラしていました。

 

出前用自転車は、この様な形で頑固に出来ていました。

昔は、八百屋・豆腐屋・アイスキャンディー・などが、

後ろの荷台に大きな箱を乗せ商品を運んだり、

商品をリヤカーに乗せ売り歩いていました。

この自転車は頑固で中々壊れませんでした。

 

 


大天丸の出前

2020-04-03 14:02:04 | Weblog

殆どが天重の出前で、握りやちらし寿司の出前は殆どありませんでした。

オヤジが云うように、

「東京には石を投げれば当たる位寿司屋はある」は、本当でした。

 

西の1番遠くは、

東京タワー下の森ビルで、いつも天重2個でした。

 

東の遠くは、

日比谷の全日空ビルで、上天重50個+なめこ汁でした。

(全日空と教えられていましたが、日航のようです)

天重となめこ汁1人前¥500円で、50人前です。

殆ど、月1の割合でしたから、大笑いだったでしょう。

 

西側は普通の民家でした。

 

東側はマージャン屋が殆どでした。

民家と麻雀屋の出前は、

普通の天重が主で、上天重はありませんでした。

 

たまに、握り寿司の注文がありましたが、本当にたまでした。

 

天ぷらと寿司を営業の柱にしていたのは、流石です。

どちらも宴会の主役になれます。

 

本当の江戸前の天ぷら油は、ゴマ油だったそうです。

 

大天丸のオヤジは、ゴマ油ではしつっこいので、

ゴマ油とサラダ油を半々で使っていました。

「ごま油だけでは、しつっこ過ぎて、今の若者には嫌われる」と云っていました。

時流を読んでいたのでしょう。

 

これから少しして、銀座で有名な天ぷら屋が倒産しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%91_(%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89)

池田弥三郎と云う慶応大学の教授の実家だと云っていました。

この方、NHKのTVによく出ていました。

前席真ん中の方です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%BD%8C%E4%B8%89%E9%83%8E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大天丸の制服

2020-04-02 14:38:23 | Weblog

店から支給されるのは、

洗濯屋で綺麗にプレスされた白の上下でした。

上着は袖が少し短めで胸ポケット付き、ズボンも少し短めでした。

そして、白の前掛けを短めに巻いていました。

 

靴下を履いている人はいません、全員足袋でした。

足袋に鼻緒付きのサンダルが殆どで、高下駄が二人いました。

 

高下駄は、厨房の中が水浸しの場合は、有効なのでしょうが、

この店の床のコンクリートは、乾いていますので必要ではありません。

高下駄は、

カラコロカラコロうるさい音を立て、自己主張していました。

 

下着は1年中、白の半そでのTシャツとパンツだけでした。

毎日仕事が終わって洗うのは、シャツ、パンツと足袋だけです。

それも給湯器の熱で朝には乾いています。

ですから、仕事着の下着は、替えと2つあれば十分でした。

 

夏も冬も、同じいで立ちでいました。

 

今考えると、

他の人達の洗濯物を見た事がありません、

どうしていたんでしょう?

 

「洗濯物は、毎日同じだ」とオヤジが笑っていました。

 

 

 

 

新橋駅の近くに「貞操帯」を飾っている鍵屋が在りました。

綺麗なレンガの建物だったと思います。

探してみましたが、見つかりません。

あの鍵屋さんは、無くなったのでしょうか?

 

「出前の時、

寿司のシマちゃんに不思議な物を教えてもらい、

学校で習った十字軍の話を思い出しました。」

 

銀座日劇


あ~あ、見つかった!

2020-04-01 16:23:17 | Weblog

豪華な夜食とでも云うのでしょうか、

こんな事が何回かあり、それはそれで楽しみました。

僕のホットケーキは、子供の頃、母親に作ってもらったおやつでした。

夜遅く、突然オヤジがシャッターを開け入ってきました。

夜中の1時頃だったと思います。

今まで、こんなに遅く、オヤジが店に来る事はありませんでした。

マサとコ~ちゃんは、マグロを食べていて、僕はホットケーキでした。

刺身の具の仕入れと、現実との差が大きいので探りに来たのでしょう。

当然ですが、二人は怒られ、お金を払わせられました。

それでも、お目こぼしがあったと思われる金額でした。

あのオヤジにも優しさがあったのでと思います。

僕はガス栓をシッカリ止めるようにと、

注意されるだけで終わりました。

オヤジが帰った後、3人の間に気まずい空気が漂いました。

僕はそれ程悪くないし、

やってはいけない事をした、二人が怒られたのですから、

それは仕方がない事だと思います、

日劇の前の銀座ライオンに連れて行ってもらったのが、

気を大きくさせたのでしょうか、