こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

北アルプスの展望、上信越自動車道・佐久平PAにて、2012年3月

2015-01-07 | 自動車道PA/SA

上信越自動車道において、群馬県側から長野県側へと続くトンネル(12箇所、最長距離は 4km(八風山))の通過から開放された直後、気象条件に恵まれると、北アルプス連峰が視野に入って来る。そのようなとき、私達は迷わず佐久平PAに寄る。

佐久平PAからは西に北アルプス連峰、南に八ヶ岳連峰の展望が素晴らしい。このPAには、ハイウエイオアシス(佐久平ハイウエイオアシス「パラダ」)があり、エスカレータでオアシス内の高い場所にアクセスできる。撮影、2012年3月29日11時半頃。

 

北アルプス連峰、エスカレータの降り口付近にて


 

上の画像に対応する展望図(カシミールによる)

穂高連峰から白馬乗鞍岳に至る、40座以上の高峰が一望できる。


槍ヶ岳を中心とする展望(望遠)

湯の丸山(長野県)や烏帽子岳(長野県)などの山頂からの展望には及ばないが、自動車道PAからとしては出色の眺めである。





 対応する展望図(カシミールによる)

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烏帽子岳(2,066 m、長野県東御市)の山頂にて、2011年11月1日

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鹿島槍ヶ岳(双耳峰)を中心とする展望(望遠)、エスカレータの降り口付近にて


 湯の丸山や烏帽子岳などの2,000 mクラスの山頂からは剱岳が見えるが、PAからもこの高峰を遠望できる。

展望図(カシミールよる)

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針ノ木岳から鹿島槍ヶ岳までの展望。針ノ木岳そして蓮華岳の右に立山が見える。


烏帽子岳の山頂にて、2011年11月1日

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冠雪の峰において、左は立山、右は剱岳だ。双耳峰の岩峰が鹿島槍ヶ岳である。

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 下り線のPAからの展望も魅力的である。



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ところで、ハイウエイオアシスからの八ヶ岳連峰などの眺めも素晴らしい。

逆転相の発生で霞が漂っている八ヶ岳連峰の姿は運転の疲れを忘れさせる。


ここで眺める蓼科山(右、2531 m、八ヶ岳連峰北端の山)

 

自動車道のPAでは、上り線と下り線で展望が異なる場合が多い。佐久平PAでは、どちらの側からもハイウエイオアシスにアクセスできる。そして、展望の醍醐味を味わうことができる。


2016年10月30日、画像の再現像。2017年12月16日、拡大用画像のアップロード。2023年10月 再現像(一部)


 


富士山を眺める。東北自動車道・佐野SAにて、2013年1月

2015-01-07 | 自動車道PA/SA

私達は国道50号、北関東・東北・外環・常磐自動車道にて目的地に向かった。そして、途中で佐野SA(栃木県、上り線)に寄った(午前10時頃)。

 

このとき、SAは優れた富士山の展望台であった(焦点距離84 mm(35 mm判換算 135 mm))。

 

 

 

 富士山のクローズアップ(焦点距離200 mm)

 

 

富士山はSAから約100 km離れている。しかし、その姿は大きくインパクトのあるものであった。富士山の左側(山裾)の突起は宝永山である。ところで、夜明けのときは、どのような光景が現れるだろうか。いつか確かめてみたい。

 

 

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SAにおいて、山の展望は富士山だけではなかった。八ヶ岳連峰、両神山、赤城山、浅間山などを、この日は望むことができた。

南八ヶ岳(冠雪、左から赤岳、横岳、硫黄岳)、170 mm(35 mm判換算 270 mm)

 

 雪雲で霞む赤城山(155 mm(35 mm判換算 250 mm))。この山の大きさを再認識した。

 

浅間山(山頂が見えるだけであったが(200 mm(35 mm判換算 329 mm)。

 

両神山(右側の岩峰、秩父連山)

 

 

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帰りは常磐自動車道、友部JCTから北関東自動車へと遠回りをした。北関東自動車道において、筑波山、富士山、高原山、浅間山、赤城山などの夕景が美しかった、ドライバーにとって落日は眩しかったが、赤く大きな陽が落ちていく光景は感動的であった。次回は、助手席に座り、シャッターを切ることにしよう。

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2021年11月25日、再現像画像(RAW→JPG)のアップロード

 


兼六園での雪景色とマンサクの花、2011年2月

2015-01-07 | 公園・庭園

兼六園。その名の由来は面白い。入場のときにもらったパンフレットには、「加賀藩12代藩主・前田斉広(なりなが)から依頼を受けた、奥州白河藩主・白河楽翁が、六勝(宏大・幽すい・人力・蒼古・水泉・眺望)を兼備するとの意味で、兼六園と命名した。」とある。(「すい」を漢字で書くと、ココログではエラーが発生する)

 

ところで、白河楽翁(松平定信)は茶人であり、優れた作庭家でもあった。福島県白河市には、楽翁が造園した南湖公園(国指定史跡名勝)がある。かつて、小生は風雅に満ちた南湖公園で何度か遊んだことがある。そのためであろうか。兼六園の命名の由来に、ある種の感慨を覚える。

 

さて、昨夜(6日)とは異なって、7日の朝は雨が降っていた。しかし、私達が入場する頃には晴れ間が見え始めた。園内には雪がかなり積もっている。この場所での積雪は無料のモデル(?)の身長の半分近くまでとなっているようだ。しかし、通路の除雪は行き届いている。


2011年2月7日11時40分頃

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徽軫灯籠のそばにある楓では、雨滴が枯枝(葉を落とした枝)に付いている。この雨滴が日差しを受けて輝く瞬間をしばし待った。霞ヶ池の水面は2/3程度凍っていた。融けている場所で鴨が泳いでいる。池の奥の建物は内福亭である。12時頃。

 

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瓢池のそばに、夕顔亭と名付けられた茶室がある。この茶室は園内でもっとも古い建物(1774年(安永3年)とのこと。道を隔てての立木が茶室の風情にマッチしている。亭にある竹根石手水鉢は雪に埋もれているようであった。

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夕顔亭にて。もう一つの手水鉢、12時40分頃

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園内では、私達の願いに応えてくれるかのように、マンサクの花が咲いていた。幹に「満作」との名札が付けられている。雪と満作の花、兼六園ならでの組み合わせだ。


雪を背景とする満作の花は際立って美しい。花には雨滴がついている。しかも、雨滴には他の花が映っている。花の色は、雪による光の反射でが一段と冴えている。

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さあ、帰らなければならない。旧石川城の数少ない遺構の1つ、石川門(1788年(天明8年)建立)を見ながら、駅行きのバスを待つ。今回は、石川城公園に寄る時間がなくなってしまった。


門の屋根は鉛瓦であるために白く見える。この場面では、背景として青空が欲しかった(14時20分頃)。

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私達は2月6日、7日の両日で3回ほど兼六園の中を歩いた。兼六園のみならず、園に隣接する石川県立伝統産業工芸館に入場したり、近くの和菓子屋の老舗に寄ったりしたが、カミさんの歩数計は、2日間で約3万歩となっていた。兼六園は広い。

 

 


富士山の山頂への落日、2014年1月

2015-01-07 | 夕景

何時か、私達はダイヤモンド富士を撮りたいと思っていた。自分達が住んでいる街の位置は、富士山の東方向もしくは西方向から大きく外れている。そのため、自分達にとって、ダイヤモンド富士は絵に描いた餅の如しであった。


昨年の1月中旬、富士山を遠望できる場所にお住まいのAさんご夫妻から、夕陽が富士山の山頂に沈む光景を見ませんかとの誘いを受けた。自動車道(北関東、東北、外環、常磐)を2時間ほどドライブして、私と家内はその遠望スポットに向かった。

 

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茨城県南部の市街地で撮った画像から

この日は晴天であったが、夕刻が迫ってくるにつれて雲が多くなった。さらに、濃い霞のために富士山が全く見えなかった。


ビルの奥に富士山が現れることを期待して、15時45分頃。

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夕陽が沈み始めると、富士山の姿が浮かび出てきた。フォーカスと露出条件はマニュアル設定にして、イベントを待ち構えた(16時32分)。

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霞は減光フィルターになった。撮り手は躊躇することなく太陽にレンズを向けた。当然のことながら、このイベントを肉眼で直視することはできなかった。


夕陽と山頂があたかも接触したように見えたとき、上空の雲がリング状に輝き始めた。16時36分20秒。



 


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夕陽は山頂に沈みつつあった。紅色の光景に感動を覚えながら、撮り手はシャッターのリモートスイッチを押した(連写)。


16時37分10秒

 

16時38分20秒



16時38分40秒


16時41分15秒

 



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12日の前後(11日と13日)、陽が沈む始めたとき、富士山は厚い雲の彼方となったしまったとのことであった。したがって、12日は奇跡的とも言えそうな機会となった。私達はAさんご夫妻に深く感謝したい。


イベントが終わってから、上空に漂う雲の美しさが一段と増した(16時45分頃)。その後、富士山のシルエットは、余韻にひたっている私達の視界から消えた。

 

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こつなぎの写真ノートから、部分的に画像を入れ替えて転載。

 


雲海とアカヤシオ、赤城山鳥居峠にて、2014年5月

2015-01-07 | 赤城山

赤城山で、アカヤシオの花が目立ち始めた。 鳥居峠で東側(利平茶屋方面)を眺めると、眼下の尾根を彩る淡紅色の群れが視界に入ってくる。

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自分達の街で望む赤城山(一部)。画像には入れていないが、左側に荒山と鍋割山がある。鳥居峠には、かつて地上ケーブルカー駅があった。この峠は車でもアクセスできる展望台だ。

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一作日(6日)、赤城山の東・西・南方向は雲海で覆われた。斜めからの陽光を浴びる雲海、山影、青空、そして山肌のコントラストが、私達には印象的であった。

鳥居峠にて、東方向、16時40分頃


右奥のクローズアップ、16時40分頃

 

長七郎山や小地蔵岳による影はたびたび変化した。山影が薄くなると、アカヤシオの彩りが浮かび出る。また、陽射しを浴びているダケカンバの赤味を帯びた新芽も目立つ。たらればの思いは、この木のそばにアカヤシオである(16時45分頃)。

アカヤシオが群生している尾根のクローズアップ(16時45分頃)


アカヤシオの城に雲海の波(霧)が押し寄せてきた。尾根の背後では、長七郎山の影が霧のスクリーンに投影され始めた(16時50分頃)。


自分がいつかは撮ってみたいと思っていたシーンから(16時50分頃)

 


ところで、雲海がまだはっきりとしていないときの光景。このときは、数人のカメラマンが撮影していた。鳥居峠にて、13時頃。




13時半から16時頃まで、私達は地蔵岳の山頂で雲海などの眺めをエンジョイし、アカヤシオの尾根が日陰に入る時を待った。画像において、(右から)長七郎山、小沼、小地蔵岳、鳥居峠(小地蔵岳の向こう側)、篭山、覚満淵(湿原)、駒ヶ岳山麓。最奥の山陵は袈裟丸山だ。なお、篭山にはアカヤシオが群生している。

 

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EOS 6D、EF 17-40 mm f4L、EF 70-200 mm f4L、DPP + Aperture 3.5。

こつなぎの写真ノートから転載。




雲海と展望、赤城山地蔵岳にて、2014年5月

2015-01-07 | 赤城山

地蔵岳(1673 m)は、旧中央火口丘として展望の頂きである。気象条件が整うと、山頂での褒美は広大な展望となる。また、山頂は赤城山内の峰や湖を一望する上でも格好の位置にある。この記事での画像は、5月6日に撮った。


青空、巻雲、そしてアンテナ群(山頂にて、15時30分頃)

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巻雲は、寒気と暖気が上空でぶつかりあっていることを暗示する。


この日(6日)、赤城山の東、南、西方向は雲海で囲まれていた。しかし、北方向の展望は、トップクラスにランクしたくなるほど、クリアーであった。このような景色が待っているからこそ、登ったときの高揚感は強くなる(撮影、15時頃)。

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山内では、左から黒檜山(最高峰、1828 m)、小黒檜山、五輪尾根、大沼。最奥の稜線では(左から)武尊山、笠ヶ岳、至仏山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、四郎岳など。


カシミール3Dによる山座同定図

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武尊山(左)から燧ヶ岳(右)までのクローズアップ

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上越国境方面のクローズアップ

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カシミールによる山座同定。

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黒檜山の右奥(駒ヶ岳の上奥)は、袈裟丸山、男体山(日光)など

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地蔵岳信仰の面影(16時頃)

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山頂からは、赤城山の三方向が雲海で囲まれていることが一目瞭然となる。東方向。(左から)駒ヶ岳、篭山、鳥居峠、小地蔵岳、長七郎山、そして小沼。小沼の色は見る角度、天候、季節に応じて変わる。


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左端の頂は駒ヶ岳、奥の稜線は袈裟丸山だ。中央の窪地(水面)は覚満淵、右端は小地蔵岳である。かつて、覚満淵は豊かな植生の湿原であった。

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東南方向では、気温の逆転相と雲海の眺めがはっきりとしていた。逆転相の上に富士山が見えると、絵葉書の構図ができあがるだろう。この日、構図は未完成であった。


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南西方向では、荒山(1571 m)と鍋割山(1332 m)が雲海の岸辺の如くに見えた(15時50分頃)。南側(左)と北側(右)での差は、赤城山で雲海ができる気象条件を探る上で興味深いかもしれない。これらの山と地蔵岳の標高差は、それぞれ100 mと350 mである。画像において、左の切れ目は銚子の伽藍である。


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銚子の伽藍のクローズアップ。伽藍は小沼を源とする川が流れ落ちる峡谷だ。痩せ尾根の先端の展望台からの眺めには迫力がある。しかし、伽藍では転落死事故が過去に起きている。


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時刻は16時。山頂には私達だけとなってしまった。アカヤシオの尾根が日陰に入る時間帯を逃したくない。急いで鳥居峠に戻った。山頂と八丁峠登山口との標高差は約200 mである。私達のようなスロー派でも、30分程度で山頂に着く(ただし、花の季節では1時間)。


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こつなぎの写真ノートから転載。