先のブログで、遍路はしんどいばかりの苦行の様に、書いてしまいましたが、私は本当の一番の楽しみを紹介していません。
これは総ての人が理解出来る物でもないので、躊躇いもありました。
これは何かを感じる感性を持っている方になら、解る事かも知れませんが。
例えばその札所の御本尊が発するメッセージを、受け取る事が出来る方には、理解出来ると思います。
でも、この感性は一部の方にしか理解出来ない事ですので、紹介するのに躊躇いが有りましたが、そう言う人もいると言う事の紹介だから、やってみるかと思いました。
この感性を「霊感」などと形容しますが、答えのある学問と違い、答えが解らない人には、理解出来ない分野ですので、紹介に熱が入らない気持ちでもありますが。
一時テレビを賑わせた、UFOや宇宙人の話だったと思いますが、早稲田大学の大槻教授と竹書房の担当者の方の名前を忘れてしまいましたが、その論争と似ています。
霊感にも幾つか種類が有ります。
大別して「見える人系」と「聞こえる人系」に分類できると思います。
「見える人系」は普通見えない幽霊等が見える人で、私の知人にいました。
この人は「聞こえる人系」でもありました。
普通見えない人に信じさせるのに、一番手っ取り早い方法は写真に撮って見せる事ですが、私はこの人が撮った幽霊の写真を見せて貰った事がありました。
簡単に言えば、写りの悪いテレビ画面と言えば、想像出来るかと思いますが。
構図は室内で鴨居辺りを見上げた状態で、被写体は線画で人の形をしていました。
それとこの人は「聞こえる人系」でもありました。
この人は坊さんでした。
その家の霊を呼び出して話が出来る人でした。
その霊と家族しか知らない事を家族に聞いて貰えれば、すぐに本物と解ると思いますが。
この人は霊の生前の語り口そのままで話しますので、家族はびっくりされていたと、聞いていました。
そんな訳で、私は訪れたお寺の御本尊のメッセージを、言葉で受け取っていました。
とは言っても、耳に言葉で入る物ではなく、頭に言葉が浮かんで来ると言った方が、近いと思います。
お伺いした札所の御本尊のメッセージを受ける事は、本当に楽しみで有りました。
次の札所では、何を伝えて下さるのだろうかと。
それで、私は遍路にはまってしまいました。
身体の続く限り、私は遍路を続けたいと思っています。
神仏との出会いを求めて。