人はそれぞれ、生きる拠り所を持っている。
主観主義とか、客観主義とか、直観主義とか、ある思想を拠り所として、生きている。
名誉、地位、財産を拠り所に生きている。
良いとか悪いとかの倫理を、拠り所に生きている。
または、学歴を拠り所に生きている…と真に様々である。
何かの拠り所を持っている事は、大事な事だとは思うが、自分の拠り所に寄り添って生きて、果たして安心と幸福を得られたのか、人の世の拠り所をしっかりと持てば持つほど、円滑な心の働きが妨げられ、成長が止まる。
自分の心の状態を、常に安らかに保つ為には、何を拠り所として生きたら良いであろうか。
それは、あらゆる人間の価値観を越えた、宇宙の生成力(天徳)の目に見えない
偉大なる力を感じ、天徳を拠り所にして生きる事だ。
「徳に拠る」と言う事だ。
天徳に合掌し、感謝して生きる事だ。
人間社会の価値は、ぐるぐる変わる。
そこに拠り所を固定したら、目が回る。
「空なる事を観念して、自由自在なり」
これは一休さんの言葉だ。
自分の生命の元は、大宇宙(空)であるという事をしっかり自覚する。
そして一切にこだわらず、この世を自由自在に生きよ…と。
また、一休さんはこう歌う。
「嘘つきの釈迦が舌の根引き抜きて、有無の事をば言わさじと思う」
宇宙や大自然には、実は地獄も極楽もないのに、釈迦は嘘をついている。
そんな嘘を拠り所にして生きると、人生をもっと大きく、もっと楽しくいきられないよ…と。