爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

「自分はこうだ」と決めつけない

2022-01-04 04:01:51 | 日記
人はそれぞれ、生きる拠り所を持っている。

主観主義とか、客観主義とか、直観主義とか、ある思想を拠り所として、生きている。

名誉、地位、財産を拠り所に生きている。

良いとか悪いとかの倫理を、拠り所に生きている。

または、学歴を拠り所に生きている…と真に様々である。

何かの拠り所を持っている事は、大事な事だとは思うが、自分の拠り所に寄り添って生きて、果たして安心と幸福を得られたのか、人の世の拠り所をしっかりと持てば持つほど、円滑な心の働きが妨げられ、成長が止まる。

自分の心の状態を、常に安らかに保つ為には、何を拠り所として生きたら良いであろうか。

それは、あらゆる人間の価値観を越えた、宇宙の生成力(天徳)の目に見えない
偉大なる力を感じ、天徳を拠り所にして生きる事だ。

「徳に拠る」と言う事だ。

天徳に合掌し、感謝して生きる事だ。

人間社会の価値は、ぐるぐる変わる。

そこに拠り所を固定したら、目が回る。

「空なる事を観念して、自由自在なり」

これは一休さんの言葉だ。

自分の生命の元は、大宇宙(空)であるという事をしっかり自覚する。

そして一切にこだわらず、この世を自由自在に生きよ…と。

また、一休さんはこう歌う。

「嘘つきの釈迦が舌の根引き抜きて、有無の事をば言わさじと思う」

宇宙や大自然には、実は地獄も極楽もないのに、釈迦は嘘をついている。

そんな嘘を拠り所にして生きると、人生をもっと大きく、もっと楽しくいきられないよ…と。