「後世恐るべし」と言う言葉もある。
「世」と「生」とが違う。
どうでも良い事だが「後世恐るべし」と言うのは、まだ幼い時から計算力は有るし、読解力も有るし、漢字力も有るし、英語までうまい。
この子は将来大成する…と言う意味で、孔子の言葉ではない。
「後世恐るべし」の後世とは、自分より後から生まれた来た、若い人の意味である。
若者は体力もある。
感受性も豊かなら、直観力も鋭い。
グズグズ言わず、切り捨ても早い。
若者こそ、若いと言う偉大なる生命を持った存在である、と言う意味だ。
「後世恐るべし」に続けて、孔子は「焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや」と続ける。
この素晴らしいバイタリティのある若者が、自立的な努力をしたなら、私などはすぐさま、追い越されてしまうであろう…と。
人はいつまでも、謙虚でなくてはならない。
慎ましくなくてはならない。
威張ってはいけないと、主張し続けた孔子の味わいある言葉である。
私もちょっぴり本を書いたぐらいで、いい気になってはいけない…と、しょっちゅう心に思ってもいても、ついついどこかで威張る。
こんな時には、若者と酒を飲んでわいわい騒ぐのが、私の場合は非常によろしい。
酒が入ると若者はこう言う。
「先生よぉ。あんたね、真面目すぎるよ。夜遊びをした事ないでしょう。それじゃあダメだ…」と。