孔子の言葉に「礼を尽くせば、人以てへつらうと為す」がある。
礼の作法をきちんとする。
他人に対して頭を下げる。
これを見て「あいつは、人に可愛がられたいから、あんなに丁寧にやっている」「奴は人に頼りたくて、おべっかを使っているんだね」とそんな風に、世の中の人は言うか知れない。
それは、誠に嘆かわしい事である。
そんな事で、礼の作法をするのではない。
礼の作法は、他の生物にはありえない人間だけの行為である。
なぜ人は礼の作法を、お互いに実践するのであろうか。
それは人間だけが、自分がこうして生きているのは、宇宙の生成力(天徳)・自然の恵み(地徳)・他人様のおかげ(人徳)に依っている事を、自覚する事が出来るからである。
人間はたった一人では、決して生きて行けない。
私達が他人に対して礼を尽くすのは、へつらったり、おべっかを使ったりして、自分が利益を被りたい為ではない。
相手の人の「人徳」に対し、その人に働いている「地徳」に対し、その人に生きている「天徳」に対し、合掌し低頭するのである。
礼儀正しい態度と言葉遣いをして、客に信用させて、お金儲けをする。
学生時代は、無礼な振る舞いをし、乱れた服装をした青年が、会社員となると、見違えるように礼儀正しい態度をとる。
悪い事ではあるまいが、そこには「人を敬う、上司を敬う、会社を敬う、同僚を敬う」気持ちは殆どない。
立派に競争に勝って、自分を信用させ、成績を上げたい一心である。
悪くはないが、それだけでは不十分だ。
会社の玄関口で、美しく頭を下げてくれるのはありがたいが、同時に人を敬する美しい心であって欲しいのだ。