人は100%の善を持っていない。
また、100%の悪も持っていない。
人はみな、善と悪の二つの種を持って生きている。
ただ「人が利己的な欲望に向かって、突っ走れば必ず破滅する」…これは二宮尊徳の言葉である。
彼は若い頃から「論語」「大学」「中庸」や仏教・禅・神道など、広く東洋や日本の伝統を学んで、自分自身の人間学を確立しているが、決して現実を忘れず、貧しい生活に悩む町人や農民の為に、優しい言葉で分かりやすく、常に真心を込めて、人生の生き方を説いた。
彼は人を思いやる愛と誠の心があれば、社会は明るく幸福になると、主張し続けた。
そして、貧しい農村を救う為に、全身の汗を絞りきって働いた。
高い理想など、一つも掲げなかった。
いつも身近に起こってくる現実の問題を、どうやって解決するかに奔走し、貧困と飢饉にあえぐ多くの藩や村を救済した。
尊徳の名の通り、天徳を尊び人をこよなく愛し救った彼こそ、仁の人であった。
ここで考えなくては、ならない事がある。
二宮尊徳がいかに「仁」の人であっても、彼の努力が若い頃から、実った訳ではない。
彼が成功を収めた唯一の理由は、村の人が徳化した二宮尊敬を信じたからである。
彼の思いやりの心も民への愛も、市民の信が有って初めて、実現したのである。
「民信無くんば立たず」
政治家がいくら良い政策を打ち出したとて、国民が政府を信じなかったら、絶対に実らない。
尊徳も市民の信頼を得るまでは、すさまじい苦労をしている。