爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

「やめる」勇気を持つ

2022-01-20 04:24:04 | 日記
弱いものを叩き、自分の強さに安住する。

次は自分よりちょっと強い者に食いついて相手を倒し、自分の強さに満足する。

そして、ついにはお山の大将になりたい。

いつも虎のように暴れ、受験競争であれ経済競争であれ、競争と名のつくものなら、絶対に勝ちたい。

勝つためなら、自分の持つあらゆる能力を少しも惜しまない。

こんな勇気を「血気の勇」という。

血気にまかせて、がむしゃらに競争する。

これを「猪勇」ともいう。

ただ客気にはやって相手に勝ちたい。

「仁者は必ず勇あり」_宇宙の生成力を敬愛し、その徳とともに生活している「仁」の人も必ず勇気を持っている。

ただし、その勇気は血気盛んな、戦いの勇気ではない。

いわゆる世にいう「慈母の勇」である。

相手を思いやり慈しんで、絶対に戦わない勇気である。

子供を産んだ母親のように、全てを子供に合わせ、心にまったく私念がなく、常に子供が安らかに、健やかに成長するよう…。

一歩、二歩とがむしゃらに突進していく勇気が血気の勇。

一歩退く勇気が「慈母の勇」である。

ただし、突進していく勇気、血気がまったく無くては、人生は向上しない。

ある時には、自分がカーッと憤怒した盛り上がった気持ちがないと、一事をなす事はできない。

「憤せざれば、敬せず」(述而)

孔子は、道の教えを受ける時に、いろいろな疑問を解決するために、激憤した怒ったりするような、カーッと盛り上がるような情熱がない者には、うまくその心を開き教えることは難しい…とも言っている。

学問・仕事・修行、いやしくも大成を期せんとするならば、正当の勇気がいると。