弱いものを叩き、自分の強さに安住する。
次は自分よりちょっと強い者に食いついて相手を倒し、自分の強さに満足する。
そして、ついにはお山の大将になりたい。
いつも虎のように暴れ、受験競争であれ経済競争であれ、競争と名のつくものなら、絶対に勝ちたい。
勝つためなら、自分の持つあらゆる能力を少しも惜しまない。
こんな勇気を「血気の勇」という。
血気にまかせて、がむしゃらに競争する。
これを「猪勇」ともいう。
ただ客気にはやって相手に勝ちたい。
「仁者は必ず勇あり」_宇宙の生成力を敬愛し、その徳とともに生活している「仁」の人も必ず勇気を持っている。
ただし、その勇気は血気盛んな、戦いの勇気ではない。
いわゆる世にいう「慈母の勇」である。
相手を思いやり慈しんで、絶対に戦わない勇気である。
子供を産んだ母親のように、全てを子供に合わせ、心にまったく私念がなく、常に子供が安らかに、健やかに成長するよう…。
一歩、二歩とがむしゃらに突進していく勇気が血気の勇。
一歩退く勇気が「慈母の勇」である。
ただし、突進していく勇気、血気がまったく無くては、人生は向上しない。
ある時には、自分がカーッと憤怒した盛り上がった気持ちがないと、一事をなす事はできない。
「憤せざれば、敬せず」(述而)
孔子は、道の教えを受ける時に、いろいろな疑問を解決するために、激憤した怒ったりするような、カーッと盛り上がるような情熱がない者には、うまくその心を開き教えることは難しい…とも言っている。
学問・仕事・修行、いやしくも大成を期せんとするならば、正当の勇気がいると。