某学園に勤めた十八年。
今日でも何を有り難かったと思うのかと言うと、私の様な浅学な教師でも、どの生徒も礼を尽くし、敬ってくれたという事実である。
教師生活をして、あれ程優秀な生徒から、慕われ敬して頂くと、その尊敬に適当する自分になろうとして、自分もよく学問をしたし、修行もさせて頂けた。
もし生徒からバカにされ、無礼に扱われたら、今日の私はない。
生徒に礼を尽くされたのは、何も私だけではない。
どの先生に対しても、生徒は礼儀正しかった。
だからどの先生にも、情熱があった。
「之を斎うるに礼を以てす」で、学園はいつも明るく、楽しかった。
大変悲しい事だが、今日では生徒が先生に礼を尽くすどころか、校内暴力という風潮に煽られて、中学生や高校生が先生に暴力を振るい、生徒が先生を殺す事件まで起こった。
先生の指導が適当かどうかを、チェックする学校もある。
先生と生徒の集団をまとめるのに、「敬」の礼儀がいかに大切であるかを、すっかり忘れてしまった。
「之を斎うるに礼を以てす」は、為政篇にある孔子の貴重な言葉である。
「之」とは国でもいいし、家庭でもよい。
おおよそ、少しでも人が集まって、仲良く和して生活するには「礼儀」というものを、しっかりと教えておかなくてはならない。
平和で明るい生活を育てたいなら、まずは礼というものを大切にする様に…。
これが孔子の重要な人間学である。
そして、礼儀の心は人を尊敬する処から、育てられる。
敬と礼の心をうまく育てる事が出来れば、人間らしさが復活するだろう。