8月24日 法類寺院(お寺同士の特別な関係)の幸手市・聖福寺施餓鬼会出仕。
江戸時代、将軍 徳川家康のなきがらが日光東照宮に移されてから、歴代将軍は都合18回におよび日光参拝をされたが、聖福寺は日光街道という交通の経路にあたり、「御殿所」として将軍休憩所の役割を果たした。
江戸城を出て一泊目が岩槻城、二泊目が古河城、その中間が幸手であり将軍の休憩所となった。
聖福寺本堂
江戸時代の設計をそのまま、昭和初年に新改築した。
山門(勅使門)
この唐破風の四脚門は約350年の歴史を有し、扉には菊の紋様が刻まれており勅使門と呼ばれている。かつては将軍一行や例弊使(天皇が祭礼に送る使者)が来たときしか開かなかった。
欄間(四天王) 欄間(ぶどう) 伝 左甚五郎作
四天王の欄間は本尊様に対して、お尻を向けている。本来本尊様を守るように配置するのが形式だが脇間の将軍の間を守っている。
徳川歴代将軍(13代まで)のお位牌が安置されている。
かご2台 菊の紋
本堂廊下天井に吊るしてあるカゴは住職専用として使用された。漆塗りのかごは大名クラスの格式!
江戸時代の灯篭、前机、供物台の金具には菊の紋が・・・・!格式社会の江戸期に菊の紋が許された。
施餓鬼法要
12時半よりご法話、本日のお説教師は青森教区のご上人
法要の様子
本日をもって本年の施餓鬼法要出仕も完了!連日の猛暑だけど、昨日は「処暑」!暦の上では暑気止息する意であるが、まだまだ暑さは続くようである。ご自愛のほど念じ上げますm(__)m
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