story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

なおちゃんへ、ふたたび。

2016年05月19日 21時03分40秒 | 詩・散文
昨夜というか、今朝、夢を見たんだ。
白っぽくきれいな内装の建物の中、ショッピングセンターかホテル、あるいは病院といった感じのところだ。
 
僕は店のカウンターに立っていて、隣にはアルバイトの女の子がいる。
この雰囲気は、僕が阪急六甲の駅ビルの中の写真店にいた時を思い出すといえば、それはまさにそうなのだが、あの写真店はこんなに白っぽくはなかった。
 
そこへ思いがけず、なおちゃん、君がやってきて、「これ、頼むけん、あとでくるわ」と僕に何かを渡す。
あれはあの頃のフィルムではなかろうか。
六甲の写真店はスタジオだったが、系列のDPE店への取次で現像・プリントの受け付けも行っていた。
 
確か、当時は君の勤めている病院のすぐ近く・・といってもあのクラシカルな大病院から強烈な坂を下りてきた阪急御影駅前なのだが、そこには同じ系列のDPE店があって、週に一度、僕はその店へ応援に行っていたし、たしか、そこでは君がフィルムを持ってきてくれたことがあるから、夢の中では六甲と御影が同じ店になっているのかもしれない。
現実の君は、証明写真の撮影や仕上がりの受け取り、僕の仕事終わりを待ってくれるときには六甲の店にも顔を出してくれていたから、雰囲気的には六甲のスタジオだろうか。
・・いや、あの白っぽい雰囲気は、その後に僕が勤めた大阪のホテルに似ていたような気もする。
 
なおちゃん、夢の中で僕は君に「なおちゃん、いつもありがとう」と言ったと思う。
すると君はちょっときつい目をして、「気安く名前で呼ばんでくれる」と広島弁のイントネーションで僕をたしなめる。
横にいるアルバイトの女の子が気に障ったのだろうか。
僕は「あ、ごめんなさい、吉川さん、ありがとうございます」と君の名字を言い直す。
 
君は「後で来るけん、頼んだよ」と事務的な表情で念を押す。
なぜか、このシチュエーションは僕らが若いころの一シーンに近いのだけれど、僕は今の風貌だし、君は、小顔の美人はそのままに、今の年齢、五十歳台にふさわしい小皺と、髪には白髪が混じっていた。
もっとも当時の君は、僕のいる店で不機嫌に、きつく僕をたしなめるなんてことは全くなかったはずだ。
 
僕は、店を出る君を見ながら「なおちゃん、白髪、染めたらいいのに」と呟いたところで目が覚めた。
 
なおちゃん、情けないことに、いまだに僕が君のことを丸一日、忘れていられる日はそう多くないが、ここ数週間はそういえばほとんど君の事を思い出さなかった。
このまま、君と離れて二十六年の歳月が経ったいまだからこそ、ようやく僕の心の奥に居ついていた君の記憶が少し薄れる可能性があったそういう時に、この夢を見たのは何としても不思議なことだ。
 
目覚めたときは心がポカポカと暖かく、僕の眼には涙もたまっていた。
そして、この切なさは今日一日の僕を苦しめた。
 
僕が君と、いや、僕たちが君たちと出会ったのは、僕がまだ国鉄にいたころだ。
あの頃多かった大型の居酒屋、そこにはカラオケのお立ち台があって、お立ち台では音響はもちろん、照明も凝っていて、スター気取りで歌えるという店だった。
料理や酒を頼みながら、一曲か二曲、自分の自慢を披露するのが楽しみとされたころだ。
カラオケは今のように手元で操作する端末などなく、分厚い本の中から、自分の歌いたい曲の番号を探し出してそれを申し込みの用紙に書いて、店のウェイターに渡す・・
店の客は何十人もあるから、カラオケの順番まではかなり待ち時間があるが、自分の番になるとウェイターが知らせに来てくれる・・そういう店で「僕たち」は「君たち」と出会った。
 
僕たちのグループと君たちのグループの間には鉢植えの仕切りがあって、でも、それはあえて相手を遮らないように作られていて、隣の席との会話も可能だった。
僕たちは同期の国鉄マンばかり4人ほどか・・君たちも同じようにあの病院のナースばかり4人だった
 
最初に僕たちの仲間の神木君が、なおちゃん、君に声をかけてそこから始まった物語。
まだ、女の子と真っ当な会話ができなかった初心な僕は、君たちのグループのなかで一番大人しそうに見えていた「やっちゃん」と、「なんだか、みんなすごいよね・・とてもついていけない」なんて話をぼそぼそとしていた。
 
だのに、そのとき、一番君と話し込んでいた神木君はなぜか「やっちゃん」へと、僕と、別の友人友田君が君の横でいかにも大人の女性に見えた「みっちゃん」に向かったものだから不思議だ。
「誰も、うちのほうを向いてくれん」
君はそう思ったのかもしれないけれど、美人で頭の切れが良い君は、僕らにとっては高根の花に見えたのだろうか。
(全く余談だが、このとき、そこにいたもう一人、大山君はその後、僕の妹と結婚している)
 
結局、神木君はやっちゃんと結婚寸前まで行き破たん・・彼女から一方的に彼を切り捨てたことで、大人しく見えたやっちゃんの意外な一面に驚いたし、やっちゃんに捨てられた?神木君はのちに思い切って専門学校へ通い医療系へ転職、そこで出会った別の「やっちゃん」と結婚するという結末が付いた。
 
友田君と僕が自分の売込みに必死になった「みっちゃん」は、僕ら二人ともを見事に振ってくれたけれど、詳しく思い出せない紆余曲折があり、その後、しばらくは僕にとって「みっちゃん」が相談相手みたいになったのだからこれまた不思議だ。
(これまた余談だが、友田君はこの直後にやはりナースの女性と結婚している)
 
なおちゃんの横にいた「まきちゃん」も可愛く楽しい女性で、僕はこの後、しばらく彼女と何度かデートもすることになる。
 
だから・・僕にとって、なおちゃん、君は決して恋愛の相手ではなかったはずなのだ。
それが、あるとき、ふっと誘ったドライブのあと、須磨の海岸沿いのレストランへの入り口で、海からの陽光が君に降り注ぎ、一瞬、ドキリとなったことがあった。
 
それまでは僕にとって、「みっちゃん」にブッシュしたことを除けば、君たちはいずれも不思議な出会いによって得た大事な友達であり、将来をどうするとか考えたり、あるいは男女の仲になることを想像できたりする相手ではなかった。
それがその時から、なおちゃん、君は僕の片思いの相手となった。
 
このあと、僕と神木君は国鉄を退職して、彼は医療へ、僕は写真の世界へと道を替えることになるのだが、僕と彼女たちの縁はその後も続いた。
 
なぜに僕だけが彼女たちの友人となりえたのか、今もよくはわからないのだけれど、実のところ、三十年近くが経過した今も年賀状だけのお付き合いとはいえ、「やっちゃん」や、この後仲間に加わり、さらにその後、夫婦となった堀尾君と「ゆきちゃん」を通じて彼女たちとの縁が続いているのもこれも不思議なことだ。
 
思えば僕たち国鉄の同期生が二十三~四歳、君たちナースの卵たちが二十歳になったばかり、出会いといえばこれほどの出会いを用意してくれた天に、僕は今も深く感謝をしている。
 
さて、話が逸れた。
第一印象とは異なり、話をしてみると、なおちゃん、君の深い人間性、若くして苦労を重ねたその強さ、意外に感情的に脆い部分もありそこがまた可愛く見えることなど、僕はすっかり君の虜になった。
 
君には当時、付き合っていた男性があるようだったが、あるとき、どういういきさつか、君とその男性の縁が切れた。
君に言わせれば、その男性は「俺は男として、やはり家庭を持つことを捨てられない」と言ったそうだ。
 
そう、なおちゃん、君は結婚などを考えていない・・女性だった。
幼少期の苦労がそうさせたのか、それもも生来の開放的な性格によるものか、そこは僕ではわからない。
 
ただ、僕からの一方的な片思いとはいえ、君は僕の誘いにはよく乗ってくれた。
駆け出しカメラマンだった僕の要望に、喜んでモデルもしてくれたり、呑もうといえば一緒に呑んでくれたし、ドライブの助手席にも座ってくれた。
いつも屈託なく笑う君の表情はとてもきれいで、僕の気持ちはどんどんのめりこんでいく。
 
そんな時に、君はとんでもないことを僕や仲間の前で宣言する。
「広島へ帰る」という。
「田舎に帰って牧場を手伝うの?」
君の実家は比婆郡で牧場を経営していると聞いたことがあった。
「うううん、広島市内で尊敬する産科医の先生のところで仕事をしたいんじゃ」
「それは、広島へ帰るのではなく、広島市へ行くということやん・・」
「でも、神戸と違うて、言葉も広島弁じゃけ、私のまんまで居られそうな気、するし」
「その尊敬する先生の所へ行ける確証はあるの?」
「もう、連絡はとっとるんよ、いつでも来りゃあええがって・・」
 
僕は焦った。
なおちゃん、君が僕の前からいなくなる・・遠ざかっていく・・それは僕にとってはこの世の終わりともいえることだった。
ただ、僕は国鉄をやめたとはいえ、鉄道ファンであることは自認していた。
君が広島へ行ってなら行ったで、そこへ行く道は・・例えばお金のない時でも新幹線を使わず、鈍行や高速バスを乗り継ぐといった方法は熟知していたから広島へ行くのは苦ではない。
それに広島へ行けば、大好きな路面電車も見ることができる・・というか、路面電車を見に行くついでに君にも会うという口実にできた。
 
僕がとった行動は、君のいる広島に月に一~二度は通い続けるというものだった。
でも、それが僕の純粋な恋愛感情からだけなら、案外、ことはうまく運んだかもしれない。
君ははるばる神戸から訪ねていく僕を歓迎してくれたし、広島や宮島、岩国を君と二人で歩くのはとても楽しいものだった。
 
それをぶっ壊したのは僕自身だ。
浅はかな思想信条とやらに傾倒し、君との楽しい時間を第一義に考えられなくなっていった。
僕にとっては、将来を一緒に過ごしたい君との間だからこそ、その部分で共有したい思いというものがあったのだけれど、若気の至りとはこのことか、教条的なものに目を奪われ、君という大切な人との関係を優先できない浅はかさ・・
 
今思えば、思想というものと、人の感情をきちんと立て分けて考えられない己の幼稚さがゆえのこと、そしてその思想も今見れば、なんと自分勝手であやふやなものであったことか。
 
結局、広島での楽しい時間は短く、会えば君が泣くといった事態を繰り返してしまう。
それでも、君は僕が行くと会ってくれたし、見た目には恋人に見えないこともない関係にもなれたのではないだろうか。
繰り返しになるが、ぶっ壊したのは僕自身だ。
 
二人の関係はともかく、君は広島では著名な医師の元で、かなり頑張っていたようだ。
神戸の病院でも、優秀な産科ナースと言われていた君が、広島の専門病院で頭角を現すのに時間はかからなかったに違いない。
あるとき、「日経ウィメン」という雑誌がその病院の件の医師を特集した。
 
表紙には、美しく頭の切れそうな女医とともに、やはり美しく、賢そうな君がナースの白衣を着て写っていた。
 
だが、僕のこと以外で君が泣く日が来るのに時間はかからなかった。
「神戸に帰りたい」
何気なく、いつもの通りに電話をした僕は驚いて、なんとか、君が神戸に帰ってこられるようになればと思った。
 
病院で何があったかは僕にはわからない。
友人がたくさんいる神戸と、仕事で会う人ばかりの広島では寂しさを受け流す場所がないというのもあるかもしれない。
結局、元いた神戸の病院と広島の病院の話し合いだか何だかで君が神戸に帰ることになった。
 
ただ、そのころ、僕は自分の母が脳内出血で倒れて加古川市内の病院の集中治療室にいて二十四時間の付き添いが必要な状態となり、とても広島へ行く時間も君に連絡を取る時間もなくなっていた。
いや、神戸での写真の仕事ですら、何か月も休まざるを得なくなっていた。
 
母の病状がようやく快方に向かい、安心感から君に公衆電話をかけたとき、「お母さんのこと、よかったね・・んで、あのね、もうひとつ、ええこと、あるんじゃ、うち、神戸に帰るんじゃ」
やった!と思ったものだ。
「でも、あなたのことだけで帰るんやないからね、勘違いせんといてよ」
僕にしてみれば「あなたのことだけで帰るんやない」というのは、僕のためにという意味も多少は入っているということだという風に受け取った。
 
母の病状が安定し、二十四時間の付き添いが要らなくなり、そして君が帰ってくる情報・・その電話は秋の終わりごろだったと思うが、一気に春が来た気がしたものだ。
 
翌年、君が神戸に帰ってきてくれた。
君がアパートを選んだ場所は阪神御影駅のすぐ近く。
当時、僕が住んでいた板宿から、一本の電車で君のところに行けると喜んだけれど、会おうといってもいつもはかばかしくない返事しかくれない。
そして、君の誕生日に、連絡を入れずに君のアパートに行った僕は、玄関先で君の女としてのたくましい生きざまを見せられることになる。
 
いまも、夢に出てくる君が可愛く笑っている表情ではなく、ちょっと怒ったり、あるいは泣いたりしている表情なのは、あの、広島での僕自身の大失態のゆえなのかもしれない。
僕は今も、あの時の僕を責め続けているのかもしれない。
 
だから、ほかのこととは違って君のことが今も僕の心に住み着いたままになっているのかもしれない。
いや、それこそ、失礼な話じゃわ。
 
きちんと言おう、僕は今も君のことが好きであり、それが当時と何ら変わっていないということ、そして僕は今も君の姿を追い求めているということ、忘れようとした頃にそのことを、僕の深層心理が警告を発してくれたようにも感じるし、僕を君たちに出会わせてくれた天が僕に教えてくれたのかもしれない。
 
でもね・・なおちゃん、あかんよね・・いつまでも過去を引きずるの・・
「そがいにやねこいこと、言わんでよ」って声が神戸の東の方から聞こえてきそう。
 
 
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詩小説・・冬涙

2015年12月28日 00時02分14秒 | 詩・散文

北風が荒れ、晴れているはずの空を灰色の雲が覆い
わずかに水平線あたりだけが明るく見える夕方
僕はあなたの面影を探しにここにやってきた
そう、あの日もこんな寒い日だった
寒い日の夕方、日没を見ようと言い出したあなたの
・・・・僕たちはそのころ、すでに離れなければならない状況に追い込まれていたのだ・・・・
そのあなたの言葉に舞子駅から海岸に出て
マンションの裏手の石垣とわずかな砂浜があるこの海辺で
二人立ったのだ
日没時、太陽は僕たちの期待通りに
水平線上わずかなところで顔を出してくれ
周囲を赤く染める
寒い季節の浮島現象が遠くの島々を浮かすようにみせてくれる
そこにさしかかった太陽は浮島を飲み込みながら
それも不思議に島が浮いたまま太陽の円の中に入り込んで
さらにその場所で太陽の左右の裾が流れ
達磨太陽と呼ばれる一年でも数えるほどしか見られない光景を現出させてくれる

僕たちはいつの間にか、立ったまま抱き合っていた
二人して何も語らず太陽を眺める
強い風が頬を容赦なく襲う
あなたの身体の温かさが僕にゆっくりと伝わってくる
太陽はやがて半円から円の上部の弧だけしか見えなくなり
それもやがて点のように最後の光を強く出しながら消えていった

呆然と、と言うのはこのときの僕の気持ちだったのだろうか
あなたの心の中まで僕には見えない
「もう、会えないね」
つい、先ほど明石の街中で歩きながらあなたが口にした言葉
僕たちが会うことで傷つき悲しむ人たちがある
それは今までも見えていたはずなのに
誰かにわずかに覚られたことで二人の長い秘密の季節が終わることを
僕たちは改めて感じていた

太陽の沈んだ空は急速にオレンジから紺へ、紺から濃紺へその色合いを変えていく
僕とあなたに吹き付ける風は強く冷たく容赦がない
日が沈んだことで風の力は勢いを増し
それゆえに僕たちは離れることができないでいる
やがて、僕は自分の感情の高まりから
あなたを正面から抱きしめた

風の冷たさゆえか頬が凍えているような
あなたの唇を僕の口で覆いこんだ
あなたのオーバーのチャックをはずし
あなたの胸の柔らかさに僕の手が震える
あなたの息遣いが激しくなり二人はそのまま石垣の上

あの時から三年が過ぎていた
僕の家庭は壊れず、あなたは風の便りでは今も独身で
だからまたあの頃のような関係に戻りたいと
そう願っていてもそれを言い出せない自分があり
いや、それはしてはならぬことだと・・
自分に言い聞かせてきた

今、この海岸に立つ僕は
あのときを再現しようとしえいるのだろうか
冷たい風、白い波、その中であなたの唇の柔らかさ
あなたの胸のやわらかさ温かさ
そして激情は抑えられず
寒さのなかで、誰も見ていないことをいいことに
僕たちはこの場所で石垣の上に寝転んで
男と女の営みをやってのけてしまった
あの頃の自分に帰りたいと思っているのだろうか

けれど
今日の太陽は水平線上にも顔を出してくれず
空は赤くならぬままに、群青へと変わっていく
家庭を壊したくない僕は
ただ、自分のよくのためだけにあなたを求めていたのだろうかと
自問もしてしまう

答えなどないのかもしれない
純粋に僕はあなたが好きだった・・
そう言ってしまえばそれで済むことなのかもしれない
自分の感情が自分でコントロールできず
あの白い波のようにあちらこちらへ無謀にも寄せて
そしてぶつかって返されていく

会いたい!
そう、言葉が出た
最初は小さく、やがて大きく
海に向かって叫ぶ
「会いたい!」
蒼に染まる海と空の間に

淡路の黒い・・そして裾に人工の光を瞬かせる島影がたたずんでいる
涙が頬を流れる
海も島影もかすんでいくがその涙さえも
冷たい風に洗われる冬の早い日没後だ

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高御位山

2015年10月22日 22時38分29秒 | 詩・散文

高御位山は播州平野に屹立する独立峰で、加古川あたりから見ると高くそびえるように見えるが標高は僅か300メートルちょっとしかない。
「たかみくらやま」と呼ぶ。
ただっ広い播州平野は、一概にすべてが平野というわけではなく、ここが海だった頃の名残か、あちらこちらに小さな岩山を残した独特の景観で、その中でも、この山はよく目立つ。

播磨富士ともいう人もあるが、同じように言われる山はほかにもあるし、高御位山が富士のように見えるのは東からと北から眺めたときだけだ。

大家族で加古川市別府町の社宅へ引っ越してきた昭和48年には、そこは加古川の南端であり、高御位山は見えたとしても小さく、それ程気にすることもなかった。
けれど、別府町で親父が亡くなり、母が僕の12歳を筆頭に6人の子供との暮らしを続ける決意をして、慣れぬ加古川の、それも北の方、東神吉へ子供たちを引き連れて引越しをすることになるのだけれど、初めて東神吉の、田んぼが続くその先に見えた高御位山の姿は印象的で、その時の心情とともに、何か物悲しい風景として僕の心に納められてしまったのは致し方のないことだと思う。

僕がその家に母や弟妹と住んだのは、中学時代の2年半と、国鉄工場への仕事のために通勤をしていた5年の合わせても8年に満たない期間に過ぎなかったが、その期間こそ僕にとっては青春の多感な年頃でもあり、さまざまな思い出が加古川の町に出来、そしてここが、幼い頃から親父の都合で引越しを繰り返すことを余儀なくされた僕にとっての、ある意味では故郷的な場所になるその因であるわけで、平野に小さな岩山がポツリポツリと存在する牧歌的な播磨の風景、開けっぴろげで陽気、にぎやかで裏のない播州人の気風、温暖で年中を通して晴れの日の多い明るい温暖な気候とは、僕の心にある種の影響は与えたことが間違いがない。

さて、今日は私用のために加古川へクルマで走った。
高速道路を快調に飛ばし、明石西インターを過ぎると、正面に高御位山の山容が見え、やがてそれが近づいてくる。
「帰ってきたでな」
思わず、そういう言葉が口から出てしまうのが常だ。

あの山を見ると、なぜか、過去帳入りした友人や知人の姿が思い起こされ、なるほど、霊峰と言われるのはそういう思い出を呼び起こす力を、高御位山は持っているのだと痛感させられる。

必ずしも良い思い出ではないようなシーンすらも、懐かしい映像として頭の中にフラッシュバックしてくる。
ましてや、今日、加古川を訪れたのは夕刻だ。
オレンジに染まりかける空の下の独立峰は、僕の心に懐かしい音楽や映像とともに、亡き友人たちの姿を明瞭に映し出してくれる。

もしかして僕は、この思い出をよびさまされるそのひと時が味わいたくて、理由をつけては加古川に向かうのではないか・・
我ながらそういう分析も試みるが、日が西に沈みきった後の、屹立する高御位山は僕の最も好きな播州の風景であることに違いはない。

鉄道で加古川に行ったとき、今の加古川駅は高架工事がなされ、ホームから非常によく高御位山が見えるようになった。
加古川に好きな風景がまた一つ出来た感じだ。
望遠レンズで迫る高御位山は、そこらのどの山よりも大きく、いや、それどころか、名山といわれる山やまに比肩するほどに立派に見える。
けれど、山が立派に見えても、この山のなす風景は僕にとっては少し胸の中が熱くなるようなものを呼び起こさせる。

先日、この加古川の町で、とても大切な先達だった方を亡くした。
高御位山を見て、その姿を思い浮かべる人がまた増えてしまった。

ゆかりちゃん、良平君、豊社長・・そして忍石先生・・
いや、父も、母方の祖母も、その祖母の連れ合いで、義理の祖父という関係だった則之氏も・・
さらにさらに、国鉄の大先輩方もすでに何人もが・・
加古川の広い、牧歌的な風景の中で眠っておられる・・

いや、自分にとっても青春の当時としては真剣な、今となっては少し恥ずかしさを覚えるあの気張りや苦悩と、まだ、まともに女性というものを知らぬ時代の淡い恋の芽生えのようなものも、すこし酸味のきいた不思議な味わいとして思い出させてくれるのでもある。

そう、だから僕は今でも、高御位山をみて、ときに思い切り泣きたくなる衝動に駆られる。

 

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暖かな夢

2014年12月26日 20時18分06秒 | 詩・散文
暖かい、そのありがたさを僕は心底喜んでいた。
身体がというより、足の指の先、手の指の先までもがしみじみと
久しく味わったことのない暖かさに
僕は喜んでいた。

オレンジの照明が満ちる部屋の
ゆったりとして柔らかいベッドの上の僕はいた。

「ねぇ、あげる・・ほら・・」

なぜ、貴女はここに居るのだろう、僕の部屋であるはずのここに

だが、その疑問を咀嚼する余裕もなく
貴女は僕の上から悪戯っぽい目をして微笑みかける

「ほら、あげるよ・・」

僕は視線を正面に向けた。
そこには実りのよい果物のような
しっかりと熟れて膨らんだあなたの胸がある
貴女はどうやら僕に四つん這いで跨っているらしい

ああ・・だから貴女は僕を上から見下ろしているんだ。

体の芯から湧き上がる喜びはさらに暖かさを膨らませ
僕の歓びはこれまでに味わったことのない大きさにいたり
僕を支配する

丸い大きな胸乳の、それでも貴女が僕に跨っていることで
その先の可愛い乳首は優しく垂れて今まさに僕の目の前にある

「ほら・・あげるよ・・」

貴女はくすりと微笑みながら僕の目を見る。
「食べていいの・・」
「ほら・・せっかくアタシがその気になっているのに」

僕はもう迷わない
貴女の桃色のその突起に赤子のようにむしゃぶりつく

「あぁ・・そう・・そう・・」

貴女は体をのけぞらせながらも
僕のに乳首を与えるその姿勢は崩さない

うれしい・・うれしい・・
まったく手に届かないと思っていた貴女が
こうして僕に胸乳を与えてくれる

夢にまで見たとはこのことか・・

いや・・まてよ・・貴女ははいつもの貴女のはずで
確かに最近、そういうことは殆んど無くなっていたけれど
でも僕は貴女の身体は決して初めてじゃない。

手に届かない相手とは貴女ではないはずで
それは僕が遠い昔に出会ったあの女性のことではないのか

そうだ、あの女性の胸は小さかったはずだ。
小さくて形のよい可愛い胸
触ると見た目以上の弾力と
ヘビースモーカーだとは思えぬ
色白で木目のこまかい肌の
まるで少女のような羞恥心を持っているかに見える
あの女性は確かに貴女ではない

でも僕は今、貴女こそが僕が最も求めていた女性であるのだと
豊かで柔らかい胸の先端を頬張り
なだらかな稜線のまるで上質の絨毯のような
柔らかく温かいその斜面に顔をうずめる

幸せと言えばこれほどの幸せがあろうか
欲しいものと言えばこれほど欲しいものがあろうか

これまで生きてきた中で最大の満足を感じながら・・

ん?
僕は貴女とは何度もそういう関係になっているのに
なぜ今、そう思うのだろう。
なぜ、貴女は僕の前に居るのだろう。

でも、また貴女は僕に切れ長の目で微笑みを投げかけて
今度は僕の顔に貴女の顔を寄せてきた

優しく口づけと言うがそんなものではない。
貴女の口が僕の口に覆いかぶさるかと思えば、
貴女は強引に僕の口を開けて冷たい唾液を送り込んでくる。
次の瞬間、貴女の濡れた舌が僕の口の中をまさぐる

快感とはこういうことを言うのだろうか。
僕はただ、言葉になるはずもない声を出して唸るしかない

なぜか、涙があふれ出る
求めていたその瞬間こそが今なのだ・・

いや、ちょっと待ってくれ・・
僕は貴女とは何度もこういう関係になっているのに
なぜにいまさら、そう思うのだ?
なぜに僕は貴女に支配されているのだ?

いつもの貴女は寂しがりやで恥ずかしがりやで
僕が誘っても色よい返事をくれることなどなく
それでもなぜか雰囲気だけはそういう雰囲気になって
そしてその時は喘ぎ楽しみながらも
終わるとまるでまったく見知らぬ他人でもあるかのように
よそよそしく分かれていくはずなのだ。

貴女は僕の口から貴女の口を離した後、
僕の首筋から胸元、腹へと貴女の舌を沿わせていく

ああ・・もう駄目だ。
なにも考えることができないほどに僕は貴女に支配されている

あの女性ではないはずの貴女が
僕をここまで歓ばせてくれているのだが、僕は抗う気持ちすら起こせない

いつもは僕の下にあって従順な貴女が
今日はずっと僕をリードし続けるのはなぜだろう・・

その時だ。

ぴりりょーんりょーん。

無機質で遠慮のない音が僕の耳に入る。
そうだ・・携帯電話をマナーモードにしないで寝てしまっていた。
今日は仕事は休みなのに何てことだ。

飛び起きた僕の前に貴女の姿などあろうはずもなく
灰色の天井と使い古した布団。
けれど、不思議に体は温かく、あの余韻が残っているような気がする。
「夢だったか・・それにしても何とリアルで、なんとエロティックな・・」
そう独り言を言いながら僕は頭の上にあった携帯電話をとった。

メール着信を知らせるLED赤表示が点滅している。
「おはよう、今日、散歩していいよ」

昨夜、「明日、散歩でもしようよ」と貴女にメールを送って
けれどいつまで待ってもそのメールの返事が来ないことに
なぜか僕は非常な焦りを覚え
部屋にあったウィスキーを飲みほして、倒れるように寝たのだ。

「昨夜はごめん、テレビ見ていて貴方のメールに気がつきませんでした」

メールを読んで窓を見た僕には
朝の光は眩しくて目に痛い・・
そう、もしかしたら僕は
貴女にはあの女性をはるかに超える思いを持ってているのかもしれない。
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高速道路の濡れた路面に

2014年12月04日 20時43分22秒 | 詩・散文

未明といえる時間の帰り道
冷たい雨に
体の奥にたまった熱が冷まされていく
そんな快感を覚えながら
高速道路を越える橋の上から
オレンジの光が濡れた路面を照らすのが
なんとも切なくて

きみは今、
生きていますか・・・
きみは今夜、
生きていますか・・・

会いたい人に会えない
一緒に居たい人と一緒に居ることのない
その時間の長さは
きみではない別の
会いたい人に出会い
一緒にいたい人と一緒に居るという
そんな現実を作り上げ

そして僕はその現実に満足しながら
ふと、ハンドルを握りながら
ふと、歩きながら
ふと、空を見上げながら
ふと、息をしながら

きみの名前を呼んでしまうことが
いまでもあるのです

高速道路の濡れた路面を
テールライトをにじませながら
走り去るトラックの
その行く先に
きみがいるはずもないのに
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