白っぽくきれいな内装の建物の中、ショッピングセンターかホテル、あるいは病院といった感じのところだ。
この雰囲気は、僕が阪急六甲の駅ビルの中の写真店にいた時を思い出すといえば、それはまさにそうなのだが、あの写真店はこんなに白っぽくはなかった。
あれはあの頃のフィルムではなかろうか。
六甲の写真店はスタジオだったが、系列のDPE店への取次で現像・プリントの受け付けも行っていた。
現実の君は、証明写真の撮影や仕上がりの受け取り、僕の仕事終わりを待ってくれるときには六甲の店にも顔を出してくれていたから、雰囲気的には六甲のスタジオだろうか。
・・いや、あの白っぽい雰囲気は、その後に僕が勤めた大阪のホテルに似ていたような気もする。
すると君はちょっときつい目をして、「気安く名前で呼ばんでくれる」と広島弁のイントネーションで僕をたしなめる。
横にいるアルバイトの女の子が気に障ったのだろうか。
僕は「あ、ごめんなさい、吉川さん、ありがとうございます」と君の名字を言い直す。
なぜか、このシチュエーションは僕らが若いころの一シーンに近いのだけれど、僕は今の風貌だし、君は、小顔の美人はそのままに、今の年齢、五十歳台にふさわしい小皺と、髪には白髪が混じっていた。
もっとも当時の君は、僕のいる店で不機嫌に、きつく僕をたしなめるなんてことは全くなかったはずだ。
このまま、君と離れて二十六年の歳月が経ったいまだからこそ、ようやく僕の心の奥に居ついていた君の記憶が少し薄れる可能性があったそういう時に、この夢を見たのは何としても不思議なことだ。
そして、この切なさは今日一日の僕を苦しめた。
あの頃多かった大型の居酒屋、そこにはカラオケのお立ち台があって、お立ち台では音響はもちろん、照明も凝っていて、スター気取りで歌えるという店だった。
料理や酒を頼みながら、一曲か二曲、自分の自慢を披露するのが楽しみとされたころだ。
カラオケは今のように手元で操作する端末などなく、分厚い本の中から、自分の歌いたい曲の番号を探し出してそれを申し込みの用紙に書いて、店のウェイターに渡す・・
店の客は何十人もあるから、カラオケの順番まではかなり待ち時間があるが、自分の番になるとウェイターが知らせに来てくれる・・そういう店で「僕たち」は「君たち」と出会った。
僕たちは同期の国鉄マンばかり4人ほどか・・君たちも同じようにあの病院のナースばかり4人だった
まだ、女の子と真っ当な会話ができなかった初心な僕は、君たちのグループのなかで一番大人しそうに見えていた「やっちゃん」と、「なんだか、みんなすごいよね・・とてもついていけない」なんて話をぼそぼそとしていた。
「誰も、うちのほうを向いてくれん」
君はそう思ったのかもしれないけれど、美人で頭の切れが良い君は、僕らにとっては高根の花に見えたのだろうか。
(全く余談だが、このとき、そこにいたもう一人、大山君はその後、僕の妹と結婚している)
(これまた余談だが、友田君はこの直後にやはりナースの女性と結婚している)
それが、あるとき、ふっと誘ったドライブのあと、須磨の海岸沿いのレストランへの入り口で、海からの陽光が君に降り注ぎ、一瞬、ドキリとなったことがあった。
それがその時から、なおちゃん、君は僕の片思いの相手となった。
第一印象とは異なり、話をしてみると、なおちゃん、君の深い人間性、若くして苦労を重ねたその強さ、意外に感情的に脆い部分もありそこがまた可愛く見えることなど、僕はすっかり君の虜になった。
君に言わせれば、その男性は「俺は男として、やはり家庭を持つことを捨てられない」と言ったそうだ。
幼少期の苦労がそうさせたのか、それもも生来の開放的な性格によるものか、そこは僕ではわからない。
駆け出しカメラマンだった僕の要望に、喜んでモデルもしてくれたり、呑もうといえば一緒に呑んでくれたし、ドライブの助手席にも座ってくれた。
いつも屈託なく笑う君の表情はとてもきれいで、僕の気持ちはどんどんのめりこんでいく。
「広島へ帰る」という。
「田舎に帰って牧場を手伝うの?」
君の実家は比婆郡で牧場を経営していると聞いたことがあった。
「うううん、広島市内で尊敬する産科医の先生のところで仕事をしたいんじゃ」
「それは、広島へ帰るのではなく、広島市へ行くということやん・・」
「でも、神戸と違うて、言葉も広島弁じゃけ、私のまんまで居られそうな気、するし」
「その尊敬する先生の所へ行ける確証はあるの?」
「もう、連絡はとっとるんよ、いつでも来りゃあええがって・・」
なおちゃん、君が僕の前からいなくなる・・遠ざかっていく・・それは僕にとってはこの世の終わりともいえることだった。
ただ、僕は国鉄をやめたとはいえ、鉄道ファンであることは自認していた。
君が広島へ行ってなら行ったで、そこへ行く道は・・例えばお金のない時でも新幹線を使わず、鈍行や高速バスを乗り継ぐといった方法は熟知していたから広島へ行くのは苦ではない。
それに広島へ行けば、大好きな路面電車も見ることができる・・というか、路面電車を見に行くついでに君にも会うという口実にできた。
でも、それが僕の純粋な恋愛感情からだけなら、案外、ことはうまく運んだかもしれない。
君ははるばる神戸から訪ねていく僕を歓迎してくれたし、広島や宮島、岩国を君と二人で歩くのはとても楽しいものだった。
浅はかな思想信条とやらに傾倒し、君との楽しい時間を第一義に考えられなくなっていった。
僕にとっては、将来を一緒に過ごしたい君との間だからこそ、その部分で共有したい思いというものがあったのだけれど、若気の至りとはこのことか、教条的なものに目を奪われ、君という大切な人との関係を優先できない浅はかさ・・
それでも、君は僕が行くと会ってくれたし、見た目には恋人に見えないこともない関係にもなれたのではないだろうか。
繰り返しになるが、ぶっ壊したのは僕自身だ。
神戸の病院でも、優秀な産科ナースと言われていた君が、広島の専門病院で頭角を現すのに時間はかからなかったに違いない。
あるとき、「日経ウィメン」という雑誌がその病院の件の医師を特集した。
「神戸に帰りたい」
何気なく、いつもの通りに電話をした僕は驚いて、なんとか、君が神戸に帰ってこられるようになればと思った。
友人がたくさんいる神戸と、仕事で会う人ばかりの広島では寂しさを受け流す場所がないというのもあるかもしれない。
結局、元いた神戸の病院と広島の病院の話し合いだか何だかで君が神戸に帰ることになった。
いや、神戸での写真の仕事ですら、何か月も休まざるを得なくなっていた。
やった!と思ったものだ。
「でも、あなたのことだけで帰るんやないからね、勘違いせんといてよ」
僕にしてみれば「あなたのことだけで帰るんやない」というのは、僕のためにという意味も多少は入っているということだという風に受け取った。
君がアパートを選んだ場所は阪神御影駅のすぐ近く。
当時、僕が住んでいた板宿から、一本の電車で君のところに行けると喜んだけれど、会おうといってもいつもはかばかしくない返事しかくれない。
そして、君の誕生日に、連絡を入れずに君のアパートに行った僕は、玄関先で君の女としてのたくましい生きざまを見せられることになる。
僕は今も、あの時の僕を責め続けているのかもしれない。
いや、それこそ、失礼な話じゃわ。
「そがいにやねこいこと、言わんでよ」って声が神戸の東の方から聞こえてきそう。