主観が弱いのが、今の私のスランプの原因だと思います。
似顔絵コンテストに応募し、入賞するような似顔絵を描いてしまった。
客観的に分析し、相手が喜ぶ、投票するであろう絵を描いてしまった。
そこには、自分はいなく、クライアントの喜びだけがある。
(確かにその時点では、ベストな似顔絵だったのですが・・・)
主観的に描かずして、オリジナルのスタイルなど生まれやしない。
それは、コンテストに応募しても、入選しない似顔絵かもしれない。
一般の方からは、評価や理解されない似顔絵かもしれない。
以前、「あなたの絵は似顔絵からほど遠い」
というコメントを頂いてから、折れてしまい、
普通の似顔絵のベクトルへ進んでしまった弱い自分。
けれど、そこに自分の様式というもののキッカケがあるった気がします。
だから、コンテストは怖い。
山藤章二先生のような 以上の審査員が存在すると思って描かないと、
コビた売り絵になってしまう。
似ている顔を描いて、喜んでもらうために描いているのではない。
何かを伝えるために、感じてもらうために、似顔絵という手段を用いているのだ。
似顔絵のための似顔絵は、私にとっての似顔絵ではないのだと思います。
技術的な方向へどんどん傾いてしまって、メッセージ性がなくなってきている。
それは、文字言語化出来るものではなく、心の底から沸き立ってくるもの。
怒りに近いナマの命を、絵の閃きに変えていかねばならない。
それは、今ある似顔絵でも、過去の似顔絵でもなく、明日の似顔絵なのだと思います。
・・・それを気楽にススイとやってのけられたらどんなにいいか(^^;

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似顔絵コンテストに応募し、入賞するような似顔絵を描いてしまった。
客観的に分析し、相手が喜ぶ、投票するであろう絵を描いてしまった。
そこには、自分はいなく、クライアントの喜びだけがある。
(確かにその時点では、ベストな似顔絵だったのですが・・・)
主観的に描かずして、オリジナルのスタイルなど生まれやしない。
それは、コンテストに応募しても、入選しない似顔絵かもしれない。
一般の方からは、評価や理解されない似顔絵かもしれない。
以前、「あなたの絵は似顔絵からほど遠い」
というコメントを頂いてから、折れてしまい、
普通の似顔絵のベクトルへ進んでしまった弱い自分。
けれど、そこに自分の様式というもののキッカケがあ
だから、コンテストは怖い。
山藤章二先生
コビた売り絵になってしまう。
似ている顔を描いて、喜んでもらうために描いているのではない。
何かを伝えるために、感じてもらうために、似顔絵という手段を用いているのだ。
似顔絵のための似顔絵は、私にとっての似顔絵ではないのだと思います。
技術的な方向へどんどん傾いてしまって、メッセージ性がなくなってきている。
それは、文字言語化出来るものではなく、心の底から沸き立ってくるもの。
怒りに近いナマの命を、絵の閃きに変えていかねばならない。
それは、今ある似顔絵でも、過去の似顔絵でもなく、明日の似顔絵なのだと思います。
・・・それを気楽にススイとやってのけられたらどんなにいいか(^^;

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