私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

頌歌 ―不死なる幼きころに 三連目②

2013-02-12 10:51:22 | 英詩・訳の途中経過
Ode:
Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

William Wordsworth

III [ll.25-36]



The cataracts blow their trumpets from the steep;
No more shall grief of mine the season wrong;
I hear the echoes through the mountains throng,
The winds come to me from the fields of sleep,
And all the earth is gay;
Land and sea
Give themselves up to jollity,
And with the heart of May
Doth every beast keep holiday;—
Thou Child of Joy,
Shout round me, let me hear thy shouts, thou happy
Shepherd-boy!



頌歌
 ―不死なる幼きころに

ウィリアム・ワーズワース

III [25-36行目]


滝は崖かららっぱ吹き
嘆きはときをあやまらず
たたなづく 山並をぬけこだま鳴り
まどろみの 原から風が吹きつけて
天地すべてが喜悦して
地も海も
歓喜のもとへまいあがり
五月の心とともに
あらゆる獣たちが祝われた休みを保つ
汝よろこびの幼子よ
吾のまわりで叫べ 汝の叫びを聞かしめよ さちある
牧の児よ




 ※29行目「天地」は「あめつち」。34、35行目の「汝」はどちらも「ナレ」とお読みください。そして少々感想など。↓


 二十四行目までの鬱々としたトーンが一転、An die feudeさながらの歓喜の唄です。淀みの水がふいに弾けて迸るような歓喜。34行目「汝よろこびの幼子よ」以下三行の呼びかけに、ふとT・S・エリオットのAsh WednesdayⅥの最終行「And let my cry come unto Thee.」を思い出しました。2009年の十月にこんな具合に訳したやつです。

 
 たとえ岩の間にあろうと
安らぎはかれの望みのもとに
たとえ岩の間にあろうと
妹よ 母よ
流れのいぶきよ うみのいぶきよ
わたしをへだてさせるな

 吾が叫び汝にいたれよ
 


 
 単に私が「吾」と「汝」を用いて似た文体で訳しているだけという気もしますが……この二句はやはり似ている気がします。しかし大きく違ってもいる。「吾叫び汝にいたれよ」と「吾のまわりで叫べ」の決定的な違いは、前者の呼びかけの対象が「女性性/聖母?」であるのに対して後者が「幼子/キリスト?」であることよりも、むしろ、叫ぶ主体が「吾」であるのか「汝」であるのかの点という気がします。どちらも自分自身の内面に潜む何かに――おそらく理性では知覚しきれない、したがって客体的に感じられる何かに呼びかけている点は共通しているとはいえ、あくまでも「吾」が叫ぶことから離れられない前者に対して、叫ぶことを「汝」にゆだねきる後者の呼びかけから悲痛さはかんじられません。呼び手はその寂しい――ときには寂しいこともある自らの内的世界の底に潜む「汝」とよく似た何かが外にも在ることを知っている印象を受けるのです。エリオットの孤独とワーズワースの孤独の温度差はこの点にあるのかもしれません。血を吐くような切望とともに「汝」に対して呼びかけながら「汝」の在ることを信じきれない前者に対して、後者は「汝」の存在だけは疑っていません。「吾」と「汝」の内面が決して交わらないこと、各々の五感が享けるものは各々に異なることを認識しつつ、双方の心底にかぎりなくよく似た「よろこびの幼子」が住まっていることを信じている――というより、そもそも知っているのでしょう。だから自分に唄いながらも、その唄はたしかに外へと解き放たれている。これはまさしく歓喜の歌です。読んでいて無性に年末の第九を歌いたくなりました。