Song Christina Rossetti
I shall not see the shadows,
I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
Sing on, as if in pain;
And dreaming through the twilight
That doth not rise nor set,
Haply I may remember,
And Harply may forget.
ソング クリスティナ・ロセッティ
あたしは影を見はしない
雨もしずくも感じない
痛みのなかにあるような
小夜鳴鳥の歌声も 聴いたりしないつもり
明けもせず また暮れもしない
たそがれどきに夢をみて
思い出すかもしれないし
あるいは忘れるかもしれない
I shall not see the shadows,
I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
Sing on, as if in pain;
And dreaming through the twilight
That doth not rise nor set,
Haply I may remember,
And Harply may forget.
ソング クリスティナ・ロセッティ
あたしは影を見はしない
雨もしずくも感じない
痛みのなかにあるような
小夜鳴鳥の歌声も 聴いたりしないつもり
明けもせず また暮れもしない
たそがれどきに夢をみて
思い出すかもしれないし
あるいは忘れるかもしれない
すばらしい訳詩、ありがとうございます。心に沁みます。
D・G・ロセッティと言えば、私にとっては、ラファエル前派の画家というイメージが強くて、象徴主義の詩人という面をすっかり見落としていました。「灯台ぐさに」は絵画「ベアタ・ベアトリクス」の延長線上にあるようで、何かしっくりきます。
じつは、私、D・G・ロセッティの弟で文芸評論家のウィリアム・マイケル・ロセッティが絶賛したヨネ・ノグチに関する本のオンライン読書会を始めたんですが、ヨネの英詩を受け入れた20世紀初頭のイギリスの詩壇がどんなものだったか、気になっていました。そんなとき、コザカナさんのページを見つけ、英詩だけでなく、しっかり訳詩まであって感激です。ネットも捨てたもんじゃないですね。
クリスティの「ソング」好きです。(というか、私には絵も詩も好き嫌いしかわからないのですが。)
コザカナさんの訳詩もうまく甘さをつけていていいですね。
でも、生意気を言わせてもらうと、一連目と二連目の最後の And は「そして」という意味を意識した訳の方がいいのではないでしょうか。確かに「思い出す」ことと「忘れる」ことが等価に扱われているのですが、それは「思い出」したって、また「忘れる」からではないでしょうか?
実に四年越しの返信で恐縮のかぎりです。丁寧かつ有益なご指摘をありがとうございます。
接続詞の訳については、私はどうしても音とリズムを優先させてしまうため、場合によっては甚だしく不正確になってしまっているかもしれません。
クリスティナ・ロセッティのこの甘い詩を改めて読みなおしますと、もう九年近く前、内面的には殆ど少女に近かった自分自身の生きづらさが思い出されます。あのころ本当に大好きだった十九世紀の甘美な抒情詩をもう一度読み直してみたくなりました。ご指摘、本当にありがとうございました。